超能力で気になる男子を落としたい神代さん(と難攻不落な佐伯くん)
「最近のゲリラ豪雨はすごいな」
佐伯愛世は、窓の外を見ながら言った。
七月の空は快晴だった。
グラウンドでは、野球部だけが豪雨に襲われていた。
「ゲリラ豪雨って、あんなに狭いの?」
「最近のは狭いんだよ」
愛世の声には、本人が期待するほどの説得力はなかった。
◇
話は、その三十分前にさかのぼる。
神代美鈴は超能力者である。
念じるだけで物を動かし、遠くの景色を見通し、まだ起きていない未来を知ることができる。ほかにも色々できる。
愛世が本人に何種類あるのか尋ねると、少し考えてから「だいたい何でも」と答える。
美鈴は、そんな自分を超エスパーと呼んでいた。
正しい呼び方かどうかは怪しい。
内容については、おおむね正しかった。
美鈴は人の心を書き換えることさえできる。
だが、愛世に自分を好きだと思い込ませたいわけではない。自分を好きになってほしいのだ。
だからマインドコントロールは使わない。
天候操作は使う。
この日、美鈴は愛世と相合い傘がしたかった。
相合い傘。
男女二人が一本の傘を共有し、肩が触れるほどの距離を自然に確保できる、雨天限定の恋愛行事である。
成立に必要な条件は三つ。
美鈴が傘を持っていること。
愛世が傘を持っていないこと。
そして、雨が降っていること。
第一条件は、鞄に入れた水色の折り畳み傘によって達成済みだった。
残るは二つ。
「佐伯くん」
昼休み、隣の席でパンの袋を開けていた愛世が顔を上げた。
「今日、傘持ってる?」
「持ってないけど」
「そう」
第二条件達成。机の下でガッツポーズをとる。
「雨、降るの?」
「降るよ」
美鈴は迷いなく答えた。
愛世が窓の外を見る。七月の空には雲一つない。
「天気予報は晴れだったけど」
「天気予報がいつも正しいとは限らないから」
「未来を見た?」
「今回は違う」
「今回は?」
愛世が眉を寄せる。
「それより、放課後はすぐ帰る?」
「そのつもりだけど」
「誰かと?」
「一人で」
「寄り道は?」
「しないと思う」
「そう」
第三条件以外の確認は完了した。
「神代、今日何かする気?」
「何も」
「その言い方のとき、大体何かするよな」
「偏見」
「三か月分の経験」
美鈴は返事の代わりにパンを一口かじった。
四月の入学以来、愛世に能力を知られてから三か月。美鈴が何かを企んでいるとき、必要以上に平静な顔になることを、彼はすでに学習していた。
ただし、その企みのほとんどが自分へ向けられていることには、まだ気づいていない。
相合い傘には、偶然性が重要である。
突然の雨。一本しかない傘。そして、偶然帰り道を共にする男女。
避けられない事情によって距離を縮めるからこそ、そこには価値が生まれる。
しかし、待っているだけで都合のよい偶然が起きるとは限らない。
偶然が起きないのであれば、自分で起こせばよい。
それを偶然と呼べるかについて、美鈴は考えなかった。
◇
放課後。
愛世が教科書を鞄へ入れている間に、美鈴は校門の上空へ意識を集中させた。
空気中の水分が集まり、青空の一点に薄い雲を作る。雲は徐々に厚みを増し、灰色へ変わっていった。
大きさは直径十五メートル。
降水量は、走って逃げるほどではない。しかし傘を差さずに歩くには少し強い。
愛世が校門へ到着する時刻まで、あと七分。
雨雲の位置、大きさ、発生時刻。
すべて計画どおりだった。
美鈴は鞄から折り畳み傘を取り出した。
計画は完璧だった。
風向きを除けば。
開いた窓から夏の風が吹き込み、カーテンを大きく膨らませた。
校門上に浮かんでいた雨雲が、ゆっくりと動き始める。
「あ」
「どうした?」
「何でもない」
雨雲は校門を離れ、駐輪場を越え、グラウンドへ向かった。
美鈴は雨雲を作ることができる。
大きさも位置も雨量も、ある程度は指定できる。
しかし、作ったあとの雨雲は普通の雲になる。
普通の雲なので、風が吹けば流される。
恋する女子高生が生み出した雲であろうと、その都合までは考慮してくれない。
美鈴は念じた。
戻れ。
雨雲は戻らなかった。
サッカー部の頭上をかすめ、その奥にある野球部へ到達する。
そして降った。
「うわ、冷たっ!」
「急に降ってきた!」
「ボールどこ行った!?」
グラウンドから悲鳴が上がった。
愛世が窓へ駆け寄る。
マウンドから外野の一部だけが豪雨に包まれていた。その隣では、サッカー部が乾いたグラウンドで練習を続けている。
教室に残っていた生徒たちも、異変に気づいて窓際へ集まってきた。
愛世は折り畳み傘を持った美鈴を見る。
美鈴はそっと傘を背中へ隠した。
遅い。
◇
「最近のゲリラ豪雨はすごいな」
そして時刻は、冒頭へ戻る。
「ゲリラ豪雨って、あんなに狭いの?」
「最近のは狭いんだよ」
「野球部のところだけ降ってるけど」
「ピンポイント型なんだろ」
「そんな型ある?」
「今できたんじゃないか」
愛世は自然の神秘へ全責任を押しつけた。
自然としても不本意だっただろう。
クラスメイトたちは窓の外と愛世を交互に見る。誰も納得していない。
しかし、「神代美鈴が相合い傘のために雨雲を作った」という正解へ到達する者もいなかった。
「まあ、最近は異常気象も多いし……」
一人が窓から離れた。
会話を終わらせるための説明として、ゲリラ豪雨は辛うじて機能した。
「神代さんは何か知ってる?」
クラスメイトの女子が美鈴へ尋ねた。
美鈴は背中へ隠した傘を鞄に押し込んだ。
「天気予報では降らないはずだったけど」
「だよね。変な雨」
「うん」
三か月かけて、美鈴も多少は学習している。
その返答に胸を撫で下ろした愛世は、美鈴と目が合った。
彼女が窓の外へ視線を移す。
豪雨がぴたりと止んだ。
「止み方も急だな」
「最近のはそうなんだよ」
愛世は押し切った。
正確には、押し切ったことにした。
「神代。ちょっと来て」
「どこに?」
「人のいないところ」
「二人で?」
「そうだよ」
「分かった」
美鈴は素直に立ち上がった。
教室の数人が、今度は雨ではなく二人を見た。
超能力の秘密は守られた。
代わりに、別の疑惑が生まれた。
◇
「学校では能力を使うなって言っただろ」
人の少ない階段の踊り場まで来ると、愛世は声を落とした。
「使うなとは言われてないよ。なるべく控えろって言われた」
「今日から使うなに変更する」
「横暴」
「野球部に言ってくれ」
窓から見えるグラウンドでは、ずぶ濡れの部員たちが水をかき出している。
「別に、知られても何とかできるのに」
「何とかする前に、今までどおり学校へ来られなくなるかもしれないだろ」
「佐伯くんは困る?」
「困るよ」
愛世は即答した。
美鈴の指が、折り畳み傘の留め具の上で止まる。
「毎回、俺が誤魔化すことになるから」
「……そう」
「何、その顔」
「別に」
美鈴は傘を鞄へ押し込もうとした。
愛世がその手元を見る。
「結局、何で雨なんか降らせたの?」
「実験」
「何の?」
「雨量調整」
「その傘は?」
「防災意識」
愛世は美鈴の顔を見た。
美鈴はふてくされたように折り畳み傘だけを見ている。耳がわずかに赤い。
「結局、何で雨なんか降らせたの?」
「必要だったから」
「何に?」
美鈴は答えず、折り畳み傘の留め具を何度もなぞった。
「……その傘を使いたかったの?」
「悪い?」
「悪くはないけど、傘を使うために雨を降らせるのは順番が逆だろ」
愛世は傘と、窓の外の水浸しになったグラウンドを見比べた。
「能力の試し方、もう少し考えた方がいいよ」
「実験じゃない」
「じゃあ何だったの?」
「もういい」
美鈴は傘を鞄へ押し込むと、階段を下り始めた。
「帰る」
「一人で?」
その足が止まる。
「佐伯くんは帰らないの?」
「帰るけど」
「じゃあ、一緒」
美鈴は振り返らないまま歩き出した。
愛世は少し遅れて、その隣へ並んだ。
◇
昇降口を出ると、雨雲の姿はなく、七月の夕日が校舎を照らしていた。
美鈴は鞄から折り畳み傘を取り出した。
留め具を外し、晴れた空の下で傘を開く。
「晴れてるけど」
「日差しが強いから」
「もう夕方だよ」
「夕方にも紫外線はある」
「それ、雨傘だろ」
「雨にも使える日傘」
美鈴は傘の片側へ寄った。
隣には一人分の空間が残っている。
愛世はそこを見たあと、傘の外を歩き始めた。
三歩目で、制服の袖が横へ引かれた。
「神代」
「何?」
「能力使った?」
「風じゃない?」
「袖だけを引く風があるか」
「最近の風はすごいから」
愛世は黙った。
自分が使った言い訳だった。
もう一度、袖が引かれる。
「分かった。入るから引っ張るな。制服が伸びる」
愛世は傘の下へ入った。
二人で並ぶには少し狭い。
愛世の左肩が外へ出ると、美鈴が傘をそちらへ傾けた。今度は美鈴の右肩が出る。
愛世が柄へ手を添え、傘を二人の中央へ戻した。
指先が触れた。
美鈴は手を離さなかった。
愛世も、すぐには離さなかった。
◇
美鈴の恋愛作戦は、それから一か月続いた。
愛世の好みを知ろうと読心を使った日は、近くにいた二十七人分の思考が混線した。
翌日の美鈴は、髪を結んだかと思えばほどき、明るく振る舞った直後に無口になり、手作り弁当を差し出しながら体育では異様な速さで走った。
「今日の神代、何か変だぞ」
「いつもの私と、どっちがいい?」
「いつもの神代」
愛世は即答した。
計画は失敗した。
美鈴だけは、多少の成果があったと判断した。
席替えでは念動力を使った。
軽い紙ほど微調整が難しいという性質を忘れ、くじ箱の中身をすべて教室へ舞わせた。
「風だな」
愛世は言った。
「窓、閉まってるけど」
「最近の風は窓くらい抜けるんだよ」
夏の怪談が一つ増えた。
瞬間移動で海へ誘おうとした日もあった。
美鈴の瞬間移動は便利だが、移動先にある何か一つと自分たちの位置を交換する。何と入れ替わるかは選べない。
二人が砂浜へ移動した瞬間、海岸に立っていた巨大な観光看板が学校の中庭へ現れた。
「新しい展示?」
クラスメイトに聞かれた愛世は、搬入業者が場所を間違えたと答えた。
愛世にも、そろそろ限界が近づいていた。
未来予知で放課後を完璧にしようとすれば、行動を変えるたび未来が外れた。
愛世の夢へ入ろうとした夜には、間違えて担任の夢へ入り、翌朝まで説教された。
念写で愛世の欲しい物を調べようとすれば、愛世本人の写真が二十七枚できた。
写真は美鈴の机の引き出しにそっとしまわれた。
分身を作って作戦会議を開いた日には、美鈴同士で意見が割れた。
告白すべきだと主張する美鈴。
まだ早いと主張する美鈴。
愛世の方から告白させるべきだと主張する美鈴。
いっそ洗脳すればいいと主張し、残り全員から追い出された美鈴。
作戦はことごとく失敗した。
それでも、愛世との距離は少しずつ縮んだ。
愛世は朝、美鈴の机を確認してから席へ着くようになった。
能力を使いすぎた日には、何も聞かず飲み物を買ってきた。
放課後、美鈴の姿が見えなければ教室で待った。
怪現象が起きていない日まで、一緒に帰るようになった。
美鈴の計画は、本人のあずかり知らぬところで着実に進んでいた。
◇
夏休みの終わりが近づいた、八月最後の登校日。
その日、美鈴は一度も超能力を使わなかった。
落とした消しゴムは自分で拾った。
教室へ忘れたノートは走って取りに戻った。
自動販売機の前では、小銭を一枚ずつ入れた。
愛世は落ち着かなかった。
「神代」
「何?」
「今日、何もしないの?」
「しないよ」
「体調悪い?」
「普通」
「何か企んでる?」
「企んでない」
「本当に?」
「三か月分の経験は?」
「何もしない神代は経験にない」
美鈴は少しだけ笑った。
愛世の方が、能力を使わない美鈴へ慣れていなかった。
放課後、ほかの生徒が教室を出ていく。
美鈴は帰り支度を終えた愛世を呼び止めた。
「佐伯くん、話がある」
「能力の?」
「違う」
「じゃあ何?」
美鈴は何度も考えた言葉を頭の中へ並べた。
「私、佐伯くんのことが」
そこで時間を止めた。
教室から音が消える。
カーテンも、窓の外の木々も、振り返りかけた愛世も動かない。
美鈴は息を整えた。
今の言い方では唐突すぎる。
時間を動かす。
「神代?」
「私、ずっと」
また止めた。
二度目の静寂。
ずっと、では重いかもしれない。
別の言葉を探し、時間を動かす。
「佐伯くんと一緒にいると」
三度目。
美鈴は机へ手をついた。
時間を止めても、自分の心臓までは止まらない。
結果を知るだけなら未来を見ればいい。
愛世の気持ちなら読心で分かる。
断られる未来が見えたなら時間を戻し、告白自体をなかったことにもできる。
それでは意味がない。
美鈴は時間を動かした。
愛世が振り返る。
「神代、大丈夫?」
「大丈夫」
「能力、使ってる?」
「使ってない」
「使ってるときの顔してる」
「どんな顔?」
「いつもより、いつもどおりの顔」
愛世が美鈴の手を取った。
今度は時間を止められなかった。
「使わないで言って」
逃げ道を塞ぐような言葉だった。
けれど、手は離さなかった。
美鈴は息を吸った。
「佐伯くんが好き」
教室は静かなままだった。
今度は時間を止めていない。廊下を歩く生徒の足音も、窓の外の運動部の声も、秒針が進む音も聞こえている。
止まったように見えたのは、愛世だけだった。
「ずっと、振り向いてほしくて。色々やったけど、全然うまくいかなくて」
「色々って……」
「雨を降らせたり」
「野球部に降ったけどな」
「席替えのくじを動かしたり」
「全部飛んだけどな」
「海に行こうとしたり」
「あの看板、戻すの大変だったな」
「今は静かに聞いて」
「ごめん」
美鈴は一度、愛世から目をそらした。
言葉にしてしまえば、あれほど繰り返した作戦の大半は失敗である。超能力者としての実績を紹介するには、あまり適切な内容ではなかった。
それでも、どの失敗のそばにも愛世がいた。
驚き、呆れ、叱り、最後には必ず美鈴と一緒に後始末をした。
「佐伯くんが秘密を知ってるから、一緒にいてくれるのは分かってる」
愛世の眉が動いた。
「でも私は、それだけじゃ嫌だから」
未来は見なかった。
心も読まなかった。
断られたときに備えて、時間を巻き戻す準備もしなかった。
「私と付き合ってほしい」
口にした瞬間、美鈴は愛世の手を離した。
返事を待つためだった。
愛世は何も言わない。
数秒が過ぎる。
美鈴にとって、未来を知らない数秒はひどく長かった。
「……その認識、逆なんだけど」
やがて愛世が言った。
「逆?」
「神代が俺と一緒にいるのは、俺だけが秘密を知ってるからだと思ってた」
「違うよ」
「今、分かった」
それだけ答えて、愛世は視線を落とした。
美鈴が離した手は、二人の間にぶら下がっている。
「俺も最初は、秘密を知ったから放っておけないんだと思ってた。でも最近は、何も起きてなくても神代を探してた」
能力事故が起きそうだから。
また何か企んでいそうだから。
危ないことをしないか見張るため。
理由なら、そのたびにいくつも思いついた。
「今日、神代が何もしないから、ずっと気になってた」
「能力を使わない方が気になるの?」
「そうみたい」
「変なの」
「神代に言われたくないよ」
愛世が笑った。
それから、美鈴が離した手を取り直した。
「俺も神代が好きだ」
美鈴の指が動く。
「能力のことがなくても、一緒にいたい。だから、俺でよければ」
「よければ、何?」
「……付き合ってください」
「そこはちゃんと言うんだ」
「神代に言わせたままじゃ格好悪いだろ」
美鈴は握られた手を見た。
読心を使えば、愛世が本心で言っているか確かめられる。
未来を見れば、二人が明日も一緒にいるか分かる。
どちらも必要なかった。
「はい」
美鈴は愛世の手を握り返した。
◇
校舎を出ると、八月の空はきれいに晴れていた。
二人は手をつないではいなかった。
教室では勢いで握れたものの、廊下へ出た途端、ほかの生徒の目が気になったからである。
付き合えば自動的に恥ずかしくなくなるわけではない。
美鈴は愛世の半歩隣を歩きながら、何度か右手を開いては閉じた。
念動力を使えば、愛世の手を引き寄せられる。
風のせいにしてもいい。
しかし今日は能力を使わないと決めていた。
美鈴は鞄へ手を入れた。
中には、水色の折り畳み傘がある。
相合い傘をするために雨を降らせた日から、使う機会がなくても毎日持ち歩いていた。
空に雲はない。
当然、傘を開く理由もなかった。
「佐伯くん」
「何?」
美鈴は鞄から手を出した。
「明日も一緒に帰る?」
「帰るよ」
「雨が降らなくても?」
「むしろ降らせないでくれ」
「じゃあ、傘もいらない?」
「いらないんじゃない?」
「そう」
二人は再び歩き出した。
数歩進んだところで、美鈴の右手に愛世の指が触れた。
驚いて顔を上げると、愛世は前を向いたままだった。
「佐伯くん」
「何?」
「今の、偶然?」
「偶然」
愛世の指が、今度ははっきりと美鈴の手へ重なった。
「二回目だけど」
「最近の偶然はすごいからな」
「そういうもの?」
「そういうものだよ」
使い回された言い訳には、やはり大した説得力がなかった。
美鈴は追及する代わりに、その手を握った。
鞄の中で、折り畳み傘が揺れる。
雨を降らせる必要は、もうなかった。




