第7話 一人の魔導師として
魔導師団の入口に立つのは、三年間通い続けた裏口とは反対側だった。
正門。白い大理石の柱。王都エーレンブルクの中央区から見上げると、太陽が柱の先端で輝く。王宮東翼。宮廷魔導師棟の正式な表玄関。いつも、侍従たちは裏口から物資を搬入していた。報告書も、記録も、全てが無人の時間に。けれど今日は違う。昼間だ。正午。誰もが見ている時間に、私は正門をくぐっていく。
申請書類を握っていた。三枚。入団試験申請書、実績記録、推薦状。クラウスのサインがある推薦状。団長のサインだ。
(何かが変わってきている。三年間の延長線上にはない、別の道が始まったのか)
書斎の机の上で、クラウスが推薦状を書いていた。ペンを走らせるその手つきは、いつもと同じ。報告書を書く時と変わらない。淡々とした筆致。けれど、その内容は異なっていた。
『宮廷魔導師団 団長クラウス推薦の件。候補者:リーア・ライナー。三年間の結界維持補助に従事。その魔力波長は、現在の防衛結界の安定性に不可欠なものである。科学的根拠を付す。』
科学的根拠。つまり、データ。三年分の魔力波長データ。それが全てを物語っていた。私の存在を。私の価値を。名前が消されようと、データには嘘がつけない。機械は、感情を持たないから。
建物の中に入ると、魔導師たちの視線が集まった。藍色のローブ。銀糸の刺繍。私は、その中に立っていた。灰色のカーディガンを脱いで、初めて、正式な書類を提出しに来た。
「入団試験申請ですね」
書記官が言った。男性だ。中年。書類を受け取る手が、いつもと違う。丁寧だ。敬意がこもっている。(三年間、私は何だったのか。それとも、これが当たり前だったのか)
「はい。宮廷魔導師団への入団を申請します」
丁寧語を心がけた。それが、この場では正しいのだろう。
◇◇◇
申請が受理されてから三日目。
書記官室に呼ばれた。ミランダが側にいた。「サポートします」と申し出てくれた。書類の書き方が分からなかったから、感謝した。(正直に言うと、何が正式な手順なのか全く分からなかった。魔導師団の中に、正規ルートで入ってきたことがないから)
「試験は、実技と筆記です。実技は結界保持。筆記は魔導理論」
書記官が説明していた。その時だ。
ドアが開いた。エルヴィラだ。藍色のローブが、はためいている。副団長のバッジが、ローブの胸元で光っている。
「その申請は、却下する」
声が冷たかった。いつもより、さらに冷たい。
「理由は?」
ミランダが前に出た。その背中が、真っ直ぐだ。
「補助触媒は、魔導師ではない。あくまで『補助』である。補助には入団資格がない。これは規約である」
エルヴィラが、規約書を出した。古い羊皮紙。黄色くなっている。そこに、確かにそう書いてあった。『補助触媒は、給金対象外。入団資格なし』。
(そう。私は補助だった。補助にはなれない。ずっと、この論理で、外に置かれていた)
「その規約は、相互支援室の設置に伴い改定されています」
クラウスが静かに言った。どこからか、別の規約書を持ってきた。新しい羊皮紙。銀のインクで修正されている。『補助触媒が、実任務において証明された魔力供給能力を有する場合、入団試験の受験を許可する』。
エルヴィラの顔が、曇った。
「彼女の魔力データはどこにある。そんなものは、存在しない。報告書には記録されていない」
「副団長の報告書には、記録されていない。しかし、機械計測データには存在する。三年分」
クラウスが、ファイルを開いた。グラフが広がった。魔力波長。ちょうど波のような形をしたデータ。その波は、結界の波動と完全に同期していた。重ねてみると、一つの波になった。リーアの供給がなければ、結界の波動は崩れる。グラフがそう示していた。
「この機械計測は、改ざん可能性がある」
エルヴィラが言い張った。
「その通り。だから調査を開始した。あなたの報告書の改ざんについてだ」
クラウスの声が、さらに冷たくなった。いつもの団長の声だ。報告書のような無感情な調子。
「君の報告書に記録された夜間防衛結界のデータ。それは、実測値と乖離がある。三年分、全て。君は、別の数値を記録していた。なぜか」
「それは……」
「答える必要はない。調査委員会が決定する。副団長としての職務遂行中に改ざんが発覚した場合、懲罰規約に基づき、即座に職を失う」
その日のうちに、エルヴィラの副団長バッジは外された。
◇◇◇
試験は一週間後に設定された。
実技試験の日。結界室に呼ばれた。試験官は五人。団長を含めて。クラウスは、何も言わなかった。ただ、立っていた。
「では、結界への魔力供給を開始してください。三時間の連続供給です」
試験官の一人が言った。
魔力を流す。いつもと同じ。ただし、今度は違う。一人では立っていない。目に見える形で、評価されている。グラフが記録されている。数値が取られている。
波動が、結界を包み込んだ。いつもと違う。今日は、誰かが見ている。見守っている。否定ではなく、確認する視線。データと私が一致する瞬間。
三時間後。
「試験合格」
試験官の一人が宣言した。その瞬間、クラウスが小さく頷いた。(業務連絡だ。でも、違う。それ以上の何かが、その頷きに含まれていた)
◇◇◇
正式な入団許可が出たのは、その翌日だった。
書類に、私の名前があった。リーア・ライナー。正式名で。補助ではなく、魔導師として。三年間、消されていた名前が、ここに戻ってきた。
(何か、変わってきている。確実に。この季節が、全てを連れてきたのか)
書斎でお茶を飲んでいた。いつもの時間に。クラウスは、報告書を読んでいた。いつもと同じ風景。けれど、何かが違う。空気が違う。
「三年間のデータが、全てを証拠とした」
クラウスが言った。報告書を読みながら。
「機械は嘘をつかない。機械の波動グラフが、君の価値を示していた」
呟いた。「機械に証拠を出してもらうまで、誰も気づかなかったんですね」
「そうだ。それは、システムの失敗だ」
彼が初めて、認めた。
窓の外では、春告げ草が、どこかで花を開いているのだろう。季節は変わっていく。名前が戻った。記録が修正された。
けれど、本当の変化は、これからなのかもしれない。
一人の魔導師として、私は立ち始めたばかりだ。




