第6話:真理
「さあ、皆さん、立ってください」
私が優雅に両手を広げると、神々しい光が勇者一行を包み込む。
砕けた骨が繋がり、裂けた肉が瞬時に塞がっていく。
『チィッ……! こざかしい真似を! まずはその首から捻り潰してやる!』
魔王軍幹部・ザルグが、四本の丸太のような腕を振り上げ、私へと襲いかかってくる。
しかし、この凄惨な状況と、この後起こりうるであろう事象を夢想し、
昂ぶり切った私の意識は、とうにこの物質世界になど存在していなかった。
◇
嗚呼……視界を圧する暴虐なる質量と、鋭敏に研ぎ澄まされた殺意の極致。
生々しく蠢動する臓腑の、なんと蠱惑的で冒涜的な艶。
やがて訪れる絶望を知らぬ、無垢なる生を湛えた瞳の、脆くも美しい煌めき。
砕け、軋む白骨が奏でるは、死という結末へ向けて疾走する完璧にして残酷な狂想曲。
嗚呼……この凄惨なる蹂躙の只中にあって、私はついに認識したのだ。
これこそが世界を統べる神の恩寵――狂気と見紛うほどの『愛』なのだと!
至高だ。なんという圧倒的な生の顕現か。
嗚呼……脊髄を這い回り、脳髄を焼き尽くすような甘美なる悪寒。
狂おしいほどの感情の濁流に呑まれ、熱を帯びて蜜を零す、私の秘めやかなる蕾。
性愛などという泥濘の如き卑小な獣性など、とうの昔に脱ぎ捨てた抜け殻に過ぎない。
私はついに見出したのだ。君という狂おしい幻影を傍らに置き、この血塗られた至高の真理へと至る道程を!
よもや、魂の輪郭すら融解させるほどの背徳的な法悦が、この無慈悲な世界に隠蔽されていたなどと。
信じられるものか!到底信じられるはずもない!
嗚呼……私はようやくこの絶対的な真理へと辿り着いたのだ。
魂の髄まで打ち震えるほどの歓喜。今すぐ血の滾りという名のインクで、世界への背徳的な賛歌を綴りたい衝動が胸を掻き毟る。
だが、教えてくれないか。今も傍らで愛らしく微笑む、愛しい君よ。
いかに神聖な美辞麗句を掻き集めたところで、この激情の奔流を、果たしてどうやって『言語』という矮小な檻に閉じ込めろというのだ!
嗚呼、嗚呼……ああぁっ…ぁぁ…!
◇
「ミラッ!ぐぅっ…!」
戦士ドレイクが私の前へと立ちふさがり、攻撃を防ぐ。
そこでようやく私はこの世界へと戻ってくることができた。
絶頂へと至り、意識を失っていたようだ。
……やはり、
この死地にこそ、
勇者たちとの旅路にこそ、
私の求めるモノがあったのだ。
「……治癒」
『ガァ……ッ!? な、なんだこれは!? 腕が、内側から……ッ!』
ザルグの右腕が、異常な速度で膨張し始める。細胞が爆発的に増殖し、自らの筋肉の圧力で太い骨がメキメキと音を立てて砕け散る。
「っ、あぁぁ…言葉では、足りない、言い表せない………ねぇ…?」
私は愛しの彼女に向かって、うっとりと囁いた。
「ギャァァァァアアアアアア!!」
悲鳴が森にこだまする中、私は愛する彼女と優雅なおしゃべりを楽しんでいた。
◇
「……あぁ。神よ……」
そこにあるのは、圧倒的な「救済」と「自己犠牲」の姿だった。
ミラは意識がないのか、身動き一つしない。
ザルグが腕を振り上げ、ミラへと襲い掛かろうとしている。
「ミラッ!ぐぅっ…!」
俺はなんとかその一撃を食い止めるが、ミラはその光景に一瞥もくれず、悪魔の巨大な体に神聖な光を打ち込み続けている。光を浴びた悪魔の体は、そのあまりの神聖な力に耐えきれず、内側から浄化されるように崩壊と爆発を繰り返していた。
そして彼女は、絶え間なく天を仰いで祈りの言葉を紡いでいる。
「っ、あぁぁ…言葉では、足りない、言い表せない………ねぇ…?」
その声は震え、恍惚としているようにさえ見えた。
痛いほどわかった。あんなにも命を奪うことを恐れていた彼女は、俺たちを救うためだけに、神への祈りに集中することで、無理やり正気を保っているのだ。
「……すまない、ミラ。俺たちが不甲斐ないばかりに、こんな凄惨な罪を背負わせてしまって……!」
ゼインも、ダリアも、アクセルも。
皆、ボロボロと涙をこぼしながら、ただ一人で巨大な悪に立ち向かう血まみれの聖女の姿を、目に焼き付けていた。
◇
『ば、化け物め……! 殺せ……早く、殺してくれぇぇッ!』
もはや原型を留めない肉塊と化したザルグが、哀れにも命乞いをする。
「美しき生命に、等しく…慈悲を…」
パァン、という破裂音と共に、魔王軍幹部はついに息絶えた。
「――ミラッ!!」
静寂が訪れた森の中、ドレイクは血だまりの真ん中に立つミラの元へ這い寄り、その場に深く、深く土下座した。ゼインたちもそれに続く。
「すまなかった……! 俺はお前を子供扱いし、何も理解していなかった! お前は安全な場所へ逃げられたはずなのに、自らの手を血に染めてまで、愚かな俺たちを救いに来てくれた……!」
「……」
ミラは一瞬きょとんとしたが、足元で号泣するベテラン戦士を見て、慈悲深い笑みを返す。
「お前こそが、真の救世主だ。ミラ、俺たちが一生かけてお前を守る。だから……どうか、これからも俺たちの背中を預かってはくれないだろうか!」
その言葉に、ミラの胸は大きく高鳴り、
そして脊髄を何かが走り抜ける感覚を覚えた。
「ああ、神よ、感謝します…」
ミラは心からの感謝を虚空へと投げかけ、どこまでも清らかに、聖母のように優しく微笑んだ。
「……頭を上げてください、ドレイク様」
ミラは血に濡れた手で、ドレイクの頬をそっと包み込んだ。
そして、隣に立つ彼女とこっそり視線を交わし、穏やかに囁く。
「私の方こそ、……これからも『一緒』に、頑張りましょう」




