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5_最強魔導師の英才教育

 公爵邸の朝は、かつての刺すような静寂ではなく、どこか甘やかで温かな空気に包まれるようになっていました。


 ヴァルテンベルク公爵邸の最奥にある、数多の禁書が並ぶ広大な書斎。

 そこは本来、王国最強の魔導師が真理を探究するための聖域でしたが、今やその光景は一変しています。


「いいかい、リオン。魔力の根源は、自己の存在の証明であり、世界との対話だ。……まずはこの術式の基本構造を、視覚的イメージとして脳内に定着させるんだ」


 高級な黒檀の机の上に座らされているのは、ようやくハイハイができるようになったばかりの、ぱちぱちと瞬きを繰り返す生後八か月の赤ん坊でした。

 レインハルト様は、大真面目な顔で古代語で綴られた魔導書を開き、リオンの目の前に掲げています。


「……うー、あぅ?」

「そうだ、その意気だ。今の『あぅ』は、おそらく魔力の流動に対する肯定的な反応だね。素晴らしい……八か月にしてすでに術式の美しさを理解し始めるとは。やはり僕の子だ」


 傍らでその様子を眺めていたわたしは、思わず口元を押さえてクスクスと笑い声を漏らしました。


「レインハルト様……。リオンはまだ、お喋りもできませんのよ? 古代魔導文字を見せるよりも、もっとおもちゃで遊んであげたほうが喜ぶのではなくて?」

「シャルロット、これは遊びではない。教育だ。……それに、リオンは退屈などしていないよ。ほら、見てごらん」


 レインハルト様がリオンの小さな手のひらに、魔力を通しやすい鉱石で作られた積み木を置いた、その時でした。


「……きゃっ!」


 リオンが喜びの声を上げて短く手を振ると、その手元にあった積み木が、ふわりと重力を無視して浮かび上がったのです。

 それは意識的な魔法の発動ではなく、内側から溢れ出す膨大な魔力が、赤ん坊の感情に呼応して物理現象を引き起こした、純粋な「力の奔流」でした。


「――――っ!!」


 レインハルト様の黄金の瞳が、驚愕と、それを上回るほどの狂喜に輝きました。


「浮いた……。無詠唱、かつ無意識での物体浮揚レヴィテーション。……シャルロット、見たかい!? この月齢でこれほどの精緻な魔力出力を……。ああ、なんてことだ。リオン、君は天才だ。王国一、いや、大陸史上最強の魔導師になることは確定したよ!」


 さきほどまでの厳格な「教師」の顔はどこへやら。

 レインハルト様は慌ててリオンを抱き上げると、その小さな頬に自分の頬をすり寄せ、目尻を溶かすように下げました。


「さすが僕とシャルロットの息子だ。……ああ、可愛い。なんて賢いんだ、リオン。パパと言ってごらん? パパが世界の魔導書のすべてを君に読み聞かせてあげようね」

「……うふふ、レインハルト様ったら。すっかり親馬鹿さんですわね」


 わたしは歩み寄り、レインハルト様の腕の中にいるリオンの頭を優しく撫でました。

 すると、リオンは満足そうに笑い、その指を小さな手でギュッと握りしめました。


 その瞬間、リオンの周囲の魔力が、ピリリと静電気のような刺激を放ちました。


「おや……?」


 レインハルト様は眉をひそめ、リオンの手をそっと観察しました。

 リオンは、シャルロットの指を離そうとせず、まるで自分の所有物であることを誇示するかのように、さらに強く握り込んでいるのです。


「……シャルロット。どうやらこの子は、魔力だけでなく僕の『性質』も色濃く継承しているようだ」

「えっ? 性質……と言いますと?」

「……この執着心だ。自分にとって心地よいもの、愛しいものを、魔力を使ってでも引き寄せ、決して離そうとしない。……リオン、いいかい。ママはパパのものなんだ。君にはまだ早いよ」


 レインハルト様は、生後八か月の我が子に対して、大人気なくも真剣な独占欲を露わにし、リオンを引き剥がそうとしました。

 しかし、リオンは「うーっ!」と声を上げ、さらに魔力を高めてわたしに縋り付きます。


「まあまあ……。二人とも、わたしを引っ張り合わないでくださいな」


 わたしは困ったように微笑みながら、二人をまとめて抱きしめるように腕を回しました。



 窓から差し込む陽光が、絡み合う三人の影を床に長く引き伸ばしていました。


 かつて、淫魔の血と、それを狩る魔導師の血。

 決して交わるはずのなかった二つの運命が、今や一人の小さな命を通じて、完璧な調和を見せている。


「……ふふ。リオン、早く大きくなって、パパと一緒に魔法のお勉強ができるようになるといいわね」

「いや、あまり急がなくていい。……このままだと、この子が成人する頃には、僕の居場所がなくなってしまいそうだからね」


 レインハルト様は自嘲気味に笑いながら、わたしの肩に頭を預け、リオンの小さな寝顔を見つめました。


 英才教育と言いつつ、結局はリオンの可愛さに屈服し、魔法でおもちゃを踊らせてあやすことになる……。

 そんなヴァルテンベルク公爵邸の平和で騒々しい日常は、これからも宝石のように色褪せることなく続いていくのでした。






次回、いよいよふたりの結婚式回になります!

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