4_父の裁き、妻の庇護
ヴァルテンベルク公爵邸のテラスに面した応接室は、冬の終わりを告げる柔らかな陽光に満たされていました。
けれど、室内に漂う空気は、暖炉の火があってもなお肌を刺すような緊張感に支配されています。
わたしの膝の上では、生後七か月になったばかりのリオンが、何も知らずにすやすやと眠っていました。
小さな胸を規則正しく上下させ、温かな体温をわたしの太ももに伝えてくるこの子の存在だけが、張り詰めた空気の中での唯一の救いでした。
正面に座るのは、当代のヴァルテンベルク公爵、ライオネル・イル・ヴァルテンベルク閣下。
レインハルト様の黄金の瞳をさらに峻厳にしたような眼差しが、わたしの膝の上で眠るリオンと、わたしを交互に射抜きました。
閣下はわたしの父、ハリス・エリュシオンの無二の親友。
だからこそ、この「不手際」に対する怒りは並大抵のものではありませんでした。
「……まずは、謝らねばなるまい、シャルロット嬢」
低く重厚な声が響きました。
閣下は一口も茶に手を付けることなく、静かに頭を下げられたのです。
「我が愚息が、婚姻前……あまつさえ君が学業の半ばにあるというのに、分を弁えぬ真似をした。大事な友人の娘を預かりながら、このような無作法を許したこと、ヴァルテンベルクの当主として、そして父として、深く陳謝する」
「……っ、閣下、お顔を上げてくださいませ! わたくしは……わたくしは、決して不幸せなどではございませんわ」
わたしは慌てて言葉を返しました。
けれど、リオンを起こさないように声は抑えるしかありませんでした。
閣下にとって、わたしは「レインハルト様の抑えきれない情欲によって未来を奪われた、友人の愛娘」でしかないのです。
まさか、わたしの中の淫魔の血が彼を狂わせ、わたし自身がその「支配」を望んでいたなどとは、口が裂けても言えませんでした。
ライオネル閣下の鋭い視線が、わたしの隣で沈黙を守るレインハルト様へと移りました。
「……レインハルト。お前には失望したと言わざるを得ない」
レインハルト様は、一言の弁明もせず、背筋を正してその言葉を受け止めていらっしゃいました。
淫魔の血のことは、ヴァルテンベルクの血筋を持ってしても秘中の秘。
レインハルト様は、わたしの身の安全を守るため、すべての不名誉を「自身の理性の欠如」として背負う覚悟を決めていらっしゃったのです。
「女遊びひとつしなかったお前が、これほどまでに理性のタガが外れるなど、想像だにしなかった。……魔導の才においては、すでに私を超えたかもしれん。だが、領地を治め、人を導くのは、術式の精緻さとは別の技量だ」
閣下の言葉は、鋭い刃のようにレインハルト様を突き刺します。
「己の欲望一つ制御できず、友人の娘の将来を損なうような男に、この広大な領地と歴史を担う資格があると思うのか? 次期当主としての自覚が、その程度のものだったとはな」
レインハルト様は、伏せたままの睫毛を微かに震わせましたが、黄金の瞳に宿る光は揺るぎませんでした。
「……父上のお叱り、骨身に沁みます。すべては僕の不徳の致すところ。いかなる処分も受ける覚悟です」
「……処分だと? お前が今すべきは、処罰を待つことではない。シャルロット嬢と、そしてこの……リオンを、いかにして一生守り抜くか、その責任を果たすことだ」
ライオネル閣下は、わたしの膝で眠るリオンを見つめ、苦々しく吐き捨てました。
わたしは、膝の上で「うー……」と小さく寝返りを打ったリオンの背中を、落ち着かせるようにそっと叩きました。
そして、勇気を振り絞って閣下を見上げました。
「……お義父様。恐れながら、申し上げたいことがございます」
「お義父様」という呼びかけに、ライオネル閣下は驚いたように眉を動かしました。
「わたくしは、学園を離れたことを後悔してはおりません。……確かに、当初の予定とは違った形かもしれませんが、レインハルト様がわたくしに注いでくださる情愛は、何物にも代えがたい救いなのです。……それに、リオンはわたくしたちの希望ですわ」
わたしは、空いた方の手で、隣に座るレインハルト様の手をそっと握りしめました。
「レインハルト様は、毎日リオンの面倒を見て、わたくしのことも片時も離さず慈しんでくださっています。……理性が外れたとおっしゃいますが、わたくしには、それが深い愛情ゆえの『熱』に見えるのです。どうか……どうか、彼を許してあげてくださいませ」
わたしの必死の、けれど静かな訴えに、ライオネル閣下はしばらくの間、冷めかけた茶を見つめていました。
やがて、閣下はふっと、わずかに表情を緩めました。
「……ハリスから聞いた通りだ。シャルロット嬢、君は本当に心優しい娘だな。……息子がこれほどまでに君に執着する理由、今の言葉で少しだけ理解できた」
閣下は立ち上がり、レインハルト様の肩に大きな手を置きました。
「……レインハルト。シャルロット嬢にそこまで言わせて、情けないと思わんか。これからは、魔導の研究以上に、夫として、父としての義務を全うしろ。……リオンに会うのは、次回の公式の場までお預けだ。それまでに、次期当主としての顔を少しは取り戻しておけ」
「……はっ。肝に銘じます、父上」
閣下が部屋を去った後、レインハルト様は大きく息を吐き出し、力なく笑いました。
「……参ったな。父上には、すべてを見透かされているような気がするよ」
「……レインハルト様。お疲れ様でしたわ。わたし、ハラハラしてしまいました」
「ありがとう、シャル。君が助け舟を出してくれなければ、今頃僕は地下牢に送られていたかもしれない」
レインハルト様は冗談めかして言いながら、わたしの膝の上に身を乗り出し、眠るリオンと、わたしの手をまとめて包み込みました。
淫魔の血という呪いを知らぬ閣下にとっては、この事態はただの「若気の至り」に見えるのでしょう。
けれど、その誤解を一身に背負ってでも、わたしを「危険」から守り抜こうとするレインハルト様の覚悟が、わたしの心に深く、熱く染み渡っていきました。
「……さて、父上にああ言われた以上、今夜も精一杯君を愛さないといけないね。……夫としての『義務』を全うするために」
「……もう、レインハルト様ったら。リオンが起きる前に、まずはゆっくりとお茶をいただきましょう?」
赤くなるわたしの頬を、レインハルト様は楽しげに指先でなぞりました。
膝の上で眠る小さな命の重みを感じながら、わたしたちは家族としての新しい絆を、静かに噛み締めるのでした。




