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13_君が愛でるべきは、僕が与えるものだけ


 その言葉がメイドの唇からこぼれ落ちた刹那、別宮の穏やかな空気が、一瞬にして氷結しました。


 パキッ、と乾いた音がしたかと思うと、レインハルト様の指先から黄金の魔力の奔流が溢れ出しました。

 次の瞬間。


「――――ッ!!」


 メイドが抱えていた紫の薔薇の花束が、音もなく、光の粒となって霧散しました。

 燃えるわけでも、崩れるわけでもなく。

 ただ、この世界から存在そのものを消し去られたかのように、花束は一瞬で灰色の塵へと変わり、床に落ちる前に虚空へと消えていったのです。


「……あ、あ、……レインハルト様……! 今のは……」

「……不快だ」


 レインハルト様の声は、地獄の底から響くような低さを帯びていました。

 彼の黄金の瞳は、もはやわたしを見てはいません。

 花束が置かれていた空間を、獲物を屠る獣のような鋭さで睨みつけていました。


「まったく。他人の妻をなんだと思っているんだ。……どこの馬の骨とも知れぬ男が、僕のシャルロットに、このような卑俗なものを送り届けるなど……。忌々しい。吐き気がする」

「……でも、お花が……可哀想ですわ……」


 わたしは、一瞬にして消えてしまった花の美しさを思い、悲しげに呟きました。

 その言葉に、レインハルト様がはっとしたように表情を和らげます。

 彼はわたしの肩を強く抱き寄せ、その耳元で、独占欲に満ちた熱い吐息を漏らしました。


「シャル、そんなにあの花が気に入ったのなら、僕が同じものをもっとたくさん用意してあげる。……いいだろう? 他人の色に染まった花など、君には相応しくない。君が愛でるべきは、僕が与えるものだけだ」

「…………はい……」


 彼の瞳に宿る、異常なまでの執着。

 わたしは、彼をここまで怒らせてしまった姿の見えない送り主への恐怖よりも、目の前の彼が放つ圧倒的な熱に、ただ頷くことしかできませんでした。






 ――その夜。

 レインハルト様が宣言した通り、わたしたちの寝室は、世にも奇妙で美しい光景に塗り替えられていました。


 扉を開けた瞬間、噎せ返るような薔薇の香りが鼻を突きました。

 足元から天井に至るまで、部屋の隅々に、昼間のそれよりもさらに深く鮮やかな紫色の薔薇が、魔法の力で枯れることなく敷き詰められていたのです。

 ベッドの周りも、窓辺も、ドレッサーの上も。

 視界のすべてが、深い紫色の海でした。


「……凄いわ。……本当に、用意してくださったのですね」


 わたしは、その圧倒的な物量に息を呑みながら、部屋の中央へと歩みを進めました。

 紫の薔薇。

 それは本来、神秘や高貴さを象徴する色。

 けれど、この部屋を満たすそれは、どこかレインハルト様の「怒り」と「独占欲」をそのまま形にしたような、狂気的なまでの色彩を放っていました。


「……これなら、満足だろう?」


 背後から、レインハルト様が音もなく忍び寄り、わたしの腰をきつく抱きしめました。

 その腕は温かいのに、込められた力だけが切実で――まるで、わたしが一瞬でも消えてしまうのではないかと恐れているみたいでした。


 彼はわたしの首筋にそっと顔を寄せ、深く息を吸い込みます。

 薔薇の香りに混じって、彼の魔力の気配が肌に触れるだけで、胸の奥が小さく震えました。


「シャル……。君は僕の妻だ。君の瞳に映るもの、君の肌に触れるもの、君が綺麗だと言葉にするもの……そのすべてが、僕の手によって与えられたものでなければならない」

「……レインハルト様、気にし過ぎですわ。……わたしはここにいます。貴方の腕の中に」


 わたしは、彼の強張った背中に手を回し、優しく諭すように撫でました。

 彼は、王国最強の魔導師。

 何でも手に入れられ、何でも壊せる力を持っているのに、どうしてこれほどまでに、一人の女を失うことを恐れているのでしょうか。


 わたしにとっては、あの贈り物はただの石や花に過ぎません。

 それなのに彼は、その背後に潜む「誰かの欲望」を敏感に察知し、それを取り除くために必死になっている。


「……気にし過ぎなものか。……君は、自分の美しさがどれほど残酷なものか、分かっていない」


 レインハルト様の声が、低く沈みました。

 次の瞬間、彼はわたしの肩口へ唇を落とし、確かめるようにゆっくりと重ねます。

 痛みはないのに、胸がきゅっと締めつけられる。

 ――僕のものだ。

 言葉にしなくても、そう刻みつけられている気がしました。


「君を連れ去ろうとする視線が、僕には手に取るように分かる。……シャルロット、君をどこにも行かせたくない。この部屋に、僕の魔力で作ったこの檻の中に、一生閉じ込めておきたい」

「……檻、だなんて」


 笑って受け流そうとしたのに、声がほんの少し揺れました。

 冗談ではない、とわたしの本能が告げていたからです。


 彼はわたしを抱き上げると、花の海を踏まないよう慎重に歩き、寝台へとそっと下ろしました。

 紫の薔薇がかすかに揺れて、香りがいっそう濃くなる。

 月光の中で花びらが妖しく光り、わたしたちの影が重なって、ひとつの塊になる。


「……君の心の奥まで、僕のものだと分からせたい」

「……わたしは、どこへも行きませんわ。……わたしを愛してくださるのは、貴方お一人だけで十分ですもの」

「……ああ。……愛している、シャル。死ぬまで、君を離さない」


 彼の唇がわたしの額に落ち、次に頬へ、最後に指先へと移る。

 まるで祈りのように静かで、けれど熱を含んだ確かめ方でした。


 窓の外では、夜の帳が降り、離れの別宮は深い静寂に包まれていました。

 部屋を埋め尽くす紫の薔薇。

 その不自然なまでの美しさは、わたしたちの幸せが、今や崩れやすい砂の城の上に成り立っていることを象徴しているようでした。


 わたしの知らないところで、運命の歯車は着実に不穏な方向へと回り始めている。

 けれど今のわたしはただ、この熱い独占欲に身を委ね、彼の魔力に抱かれて――最も甘美で、最も危うい眠りへと落ちていくことしかできなかったのでした。






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