6 夢の中までプライバシーは無い
人生で一番幸せだった時期は、アリサといた頃だ。それは間違いない。否定したくても否定できない。
他に女と付き合ったことが無いわけじゃない。しかしいつも冷めていた。長続きしなかった。しかしアリサだけは格別だった。俺は本気で思った。この女こそ俺と結ばれるために現れた運命の相手だと。いやあ……馬鹿だったな。今となっては心底そう思う。
「九郎は何でこの仕事しているの?」
ある時、アリサはそんなことを尋ねてきた。
「裏通りの現場組の仕事の中では、比較的安全な方だろ。デスクワークは俺の性にあわねえ」
俺の答えは嘘だった。正直に答えることが何故か気恥ずかしくて、適当なことを言っちまった。
「それ、本当? 矛盾してるじゃない。貴方は腕を見込まれて、危険が絡む仕事ばかりやらされている傾向だしさ」
「だからいいのさ。俺の取り得は荒事だけだ。腕を売り込むしかない。そういう奴はヤバい仕事を押し付けられるのが当然だが、この組織なら、他よりはそのヤバい確率が減る。いつもヤバい仕事ってばかりじゃねーしさ」
そういう計算もあることはある。しかし俺が恐怖の大王後援会で、誰かの薄汚え尻を拭っている理由は、そんなんじゃねえ。
後ろから甘く柔らかい感触が俺を包む。
「そうね。危険な仕事をしている人が、死にたいわけでもないものね。死んでほしくもないし」
耳元で囁くアリサの声が、俺の心を撫でる。
蕩けてしまいそうな時間。いや、あの数年間はずっと蕩けていた。三年経てば恋愛感情など消えるという説もあるが、俺には到底信じられない。何故なら俺は十一年経った今もなお引きずっている。
あるいは、最悪の形で終わってしまったからこそ、深い傷となって残っているのか?
「そうよ。貴方が終わらせたから、私はいつまでも貴方の心に居続ける」
俺の疑問に対し、アリサが優しい声で肯定しながら、俺の首を裸締めにしてきた。
「愛の形は変わる。恋愛感情はやがて深い絆へと変わる。でも貴方は罪へと変えた。痛みへと変えた。呪いへと変えた。愛が罰として刻まれている。他ならぬ貴方がそうしたのよ」
アリサは優しい声で囁き続けながら、俺の首を絞め続ける。
俺は必死で藻掻き、どうにかしてアリサの腕を振り払った。
振り返り、俺が目にしたアリサの顔は――
***
目を覚まし、跳ね起きる。
荒い息をつく。全身脂汗まみれだ。
カーテンの隙間から陽の光が射しこんでいる。安堵と忌々しさが同時に湧き起る。
すさまじく生々しい夢だ。首をしめられた感触まで確かに残っている。アリサの体臭まで鼻腔の奥に確かにある。
サイコメトリーの能力の暴走によって、記憶が夢の中でリアルに呼び起こされる事が、たまにある。しかし途中からは、記憶にはない展開になっていた。ただの悪夢になっていた。
「ひどい夢だったね」
空中で逆さまになって俺の顔を覗き込むカイ。
「夢まで覗けるのかよ……。十年以上付き合ってて初めて知ったぜ」
大きく息をつく俺。
「可哀そうなおじさん。ほーれ、よしよしよしよし」
カイが体勢を直して、俺の頭を撫でる。犬や猫撫でる時と同じノリか。こいつはよく動物も撫でるが、その時似たような声を出して撫でている。
「心外だね。俺はちゃんとおじさんのこと、心底同情して慰めてるんだよ。俺とおじさんは運命共同体なんだし。おじさんの哀しみは全て知っているし、理解もしている」
カイは間近から大きな目でじっと俺を見つめ、力強く言い切る。こんな時も、こいつから子供らしさが消失しているように見える。顔は子供なのに、凛々しい男の顔になっているかのように見えちまう。ま、これは悪いことじゃねーが。
「おじさんと会った時、おじさんの力で俺は実体化できるようになって、おじさんの心が覗けるようになったけどさ、おじさんがアリサを殺した時、おじさんの哀しみがダイレクトに俺の心にも伝わってきた。感情が流れ込んできた。だから俺がおじさんの支えになりたいと思ったんだ。そして今もその気持ちは変わらない」
臆面もなく言い切るカイに、俺は泣きそうになる。しかしカイの前で、カイの台詞に涙するとか、恥ずかしくてたまらん。何とか堪える。
「なんでそんな風になるかねえ……。初対面だったのによ」
「初対面じゃない。俺はおじさんのことを前から知ってた。俺は、俺を殺したアリサに憑いていたからね。常時アリサの傍にいたわけじゃないけど。おじさん、いつもあの女とラブラブでさ、わりとムカムカして見てた」
「ぷぷっ」
カイの言葉を聞いて、俺は思わず笑ってしまった。おかげで泣かずに済んだぜ。
「そうかよ……。そのムカついていた相手に同情して、仇の女の代わりに保護者気どりしだしたわけだ」
「おじさんも被害者だったわけだしね」
皮肉げに言う俺に対し、カイは相好を崩した。
「よっこいしょっと。あ……」
起き上がろうとして、俺はしまったと思った。
「よっこいしょとか、よいしょとか、おっしゃとか、うーっすとか、んーっとか、どっこいしょとか、どっせーいとか、どすこーいとか、何かする時いちいちかけ声するの禁止って言ったのに、また破ったねっ」
カイが半眼で俺を睨み、責める。仕方ないだろーに……。歳食うと、力を出しづらくなるんだ。だから声を出して力も一緒に出すようになっちまうんだよ。それに、どっせーいだの、どすこーいなんて言ってねーし。
「だからそれ駄目。おじさんがおじさん臭くなっちゃうから、すっごく嫌だ。絶対禁止」
「そんなこと言われても俺はおっさんだし、お前も俺をおじさん呼びしてるだろうが」
「それとこれとは話が別だよ」
言い返す俺だが、カイは聞く耳持たない。
「ほっ! ほっ! ほっ! ほーっ!」
その時、聞きなれたかけ声が窓の外から響く。
見ると、緑色のジャージを着た老婆が朝のマラソンをしている。二十年以上ずっと見かける老婆だ。流石に大分歳はとったが、それでも声の張りは変わらない。
「ほれ見ろ。あの婆さんだって、声あげて元気にマラソンしてる」
「あのおばあさんのかけ声はいいんだよ。いつまでも元気でいてほしいね」
カイもマラソン婆を見て、微笑みながら言った。全くだと、心の中で俺はカイに同意した。
***
翌日、俺は恐怖の大王後援会の本部に赴き、ボスの小田岳都に、りえの所持品をサイコメトリーして掘り起こした記憶内容を報告した。
「ふへえ。『しみったれニヒリズム』の名が出てくるとはねえ~。キナ臭くなってきた。それにこれ、九郎からすれば、因果や因縁を感じないかい?」
岳都がにやにや笑いながら言う。視線は俺に向けられていない。空中に無数に浮かぶホログラフィー・ディスプレイに向いている。さっきからずっと事務作業を行っている。こいつはこいつで忙しい。
「ま、しみったれニヒリズムの名が、アリサの娘から出ている時点でな。どうしたって感じるものはある」
正直に認める俺。
しみったれニヒリズム――裏通りでも悪名高き犯罪組織だ。何故評判が悪いかといえば、他の組織の吸収合併を生業としているからである。所謂乗っ取り屋だ。完全に合併はせず、下部組織として傘下に収めさせるケースも多い。表通りで言うならM&Aを繰り返し、下位会社を作りまくったってところだ。ま、やり方は褒められない方法でばかりだが……
武闘派の組織でもある。吸収されることは逃れても、ここと抗争を行って多大な損害を受けた組織も多いので、恨みを抱く者は少なくない。力ずくの抗争だけではない。内部に工作員を放つのも奴等のやり口だ。情報を奪い、弱みを握り、さらには組織の評判を落とす工作を仕掛ける事も多々ある。
十四年以上も前に、しみったれニヒリズムは恐怖の大王後援会を乗っ取ろうと、工作を始めていた。年月をかけてその準備を進めていた。だがその企みは十一年前に潰えた。俺がアリサを殺したことによって。
アリサはしみったれニヒリズムの工作員だった。恐怖の大王後援会の一員になることで堂々と潜り込み、怪しまれないように俺と結婚して、組織の情報を何年も流し続けていた。おまけに組織にとって不利益が及ぶ工作まで仕掛けていた。重要な仕事を失敗させて、特定の組織に借りを作る構図を作っていた。その組織はしみったれニヒリズムの傘下にある組織だ。
「りえを使って、またちょっかいかけてきたのかもな。諦めの悪い連中だしねー」
その可能性は、掘り起こした記憶の中でしみったれニヒリズムの名が出た時点で、真っ先に思い浮かんだ。
りえは情報組織『鞭打ち症梟』に所属していた。そして鞭打ち症梟のボスはしみったれニヒリズムの名を口にしていた。
りえは恐怖の大王後援会に入る前に、しみったれニヒリズムと接触している可能性がある。加えて、奴等に利用されている可能性もある。
「親子揃って似たような経緯か。歴史は繰り返すね」
呆れ気味にそう言ったのは、俺の後方にいるカイだ。いや、まだ断定はできねーだろ。そして同じ結末にはしたくないもんだぜ。
「引き続き、探りを入れていく」
「おっけー、よろしくぅ~」
言い残して部屋を出る俺の背に、岳都はおどけた口調で声をかけた。




