3 幽霊に生かされている
組織本部を出た俺は、安楽市絶好町繁華街を歩いていた。
安楽市――数十年前に東京西部の複数の市町村を併合して出来た巨大都市だ。俺含め、多くの裏通りの住人がこの巨大都市を根城にしている。
この町のとある場所に、かつて俺を改造したマッドサイエンティストが住んでいる。今日はそいつの元に、定期診断に行く日だ。
ペデストリアンデッキの上を歩いていると、人だかりが見受けられた。人だかりの方から、アコーディオンの音色が聴こえてくる。
「聴いていこうよ」
カイが俺の手を引っ張る。
俺は仕方なく人だかりの合間を抜け、人だかりの前方に向かう。
赤、黄色、オレンジの三色に染め上げたパイナップルヘアー。ピンクと水色を基調とした派手な柄のワンピースを着た婆が、アコーディオンを弾いている。アコーディオン婆さんと呼ばれる、繁華街の人気者だ。
アコーディオン婆さんが俺とカイに気づいて微笑む。俺達とは顔見知りだ。アコーディオン婆さんは、カイのことが見えている。
「あうあー、あうあうー」
禿頭の知的障害の子供が、演奏するアコーディオン婆さんにしきりに何かを訴えている。アコーディオン婆さんの前でよく見かける子だ。
「はいっ、はいっはいっ」
「あうーっ、あうあうあーっ。あうーっ」
アコーディオン婆さんが知的障害の子に向かって、笑顔で声をかける。アコーディオン婆さんのかけ声にあわせて、知的障害の子が嬉しそうに子をあげて、体を大きく揺らし続けた。
以前この婆さんは言っていた。演奏によって、この子の世界を大きく動かせると。この子は知的障害だけではなく自閉症もあって、普段は反応が乏しく、ぼーっとしてばかりいるって話だ。
「あら、カイ君。いらっしゃーい」
婆さんがカイを見上げて声をかける。ギャラリーの多くは、アコーディオン婆さんが誰に声をかけたか、わかっていない。まあ中には霊感の強い奴もいて、カイが見えているかもしれないが。
「アコーディオン婆さんの霊能力、かなり強いよね」
俺の耳元でカイが囁く。
曲が一つ終わり、拍手が巻き起こる。
「今の曲はね、アンジルちゃんの哀しみと喜びを表現した曲なの。アンジルちゃんはねえ、誰とも心を通わせずに独りぼっちで寂しかったけれど、迷子の天使のモキョエルさんと仲良くなって、ハッピーになるっていうストーリーを、曲で表しているのよん」
嬉しそうに曲の解説をする婆さん。
「アンジルちゃんとモキョエルさんて、またお婆さんが創ったキャラ?」
ギャラリーの中にいた女子小学生が尋ねる。
「そうねえ。私の創ったお話とも言えるし、本当にあったお話とも言えるわねえ。あの子はきっと私の演奏を聴きながら、アンジルちゃんとモキョエルさんの物語がわかったから、元気になっていたのよ」
ニコニコ笑いながら、アコーディオン婆さんは曖昧な答えを返した。完全に否定しないのがこの婆さんらしいわ。
「言葉で説明しないお婆さんの物語を曲にしたからこそ、あの子に伝わったっていうの?」
カイが知的障害の子を指して尋ねる。
「音楽は命の引き継ぎだからね。わかる子にはわかるのよ」
アコーディオン婆さんの口にした言葉は、奇妙な暗喩に感じられた。そして俺がひねくれているせいか、命の引き継ぎなんて言われると、死の方を意識しちまう。
「九郎ちゃん、お待ち」
立ち去ろうとする俺を、婆さんが呼び止めた。俺の名前、何故か知っているんだよな。そんな有名人でもない気がするが。
「靴の踵が微妙にすり減っているわよ。いざという時に致命的なことになりかねないわ」
「あ……」
アコーディオン婆さんの注意を受け、俺は頭を掻く。
以前からわかっていたが、このアコーディオン婆さん、明らかに裏通りの住人だ。そしてかなり荒事に長けている。近くに寄っただけで俺にはわかっちまう。婆さんの裏通りにおける顔と名は知らねーが、名の知れている手練れなんだろう。
「おじさん、親切にされたら、ちゃんと御礼言わないと駄目だよ」
そうだな、うっかり言いそびれちまった。でももう移動しちまった。
「心の中でもいいから、御礼言っておこう」
心の中で言っても聞こえやしねーだろ。
「そんなことないよ。どこかで届くよ」
どこか、ね。じゃあ祈っておくか。親切なあの奇天烈婆さんに幸あれ。
「いいね。きっとお婆さんに幸運が届くよ。おじさんの祈りのおかげでね」
カイが笑顔で言い切った。ったく、ロマンチストなおこちゃまだわ。こいつの方が俺なんかよりずっとロマンチストだろうに。
***
繁華街の一角にある、カンドービルという名のビルに入る。ビルの中は階層によってはショッピングセンターであったり、公共施設があったりするが、それは全て一階から上の話だ。一階はショッピングモールと直結している。
このビルに、地下一階があることを知る者は限られている。俺の目的地は、その秘密の地下一階だ。
人気のない非常階段の脇。周囲に人がいないことを確認して、俺は壁の中に隠された蓋を開き、旧式のテンキーにパスワードを入れる。すると壁に切れ目が入り、秘密の入り口が開く。入り口の先にあるのは、地下に降りる秘密の階段だ。俺はその階段を下りていく。
十一年前、俺はどうしても力が必要だった。ヤバい奴に命を狙われていた。だからこそ、自分の命をチップにしてでも、いちかばちかの賭けで我が身を護る必要があった。
そこで俺が目を付けたのが、裏通りでも有名なマッドサイエンティスト、雪岡純子の存在だ。このマッドサイエンティストに自身の人体改造の依頼を行うと、人智を超えた力を得られる可能性がある。その力で願いを叶えた者の逸話は多く伝わっている。
ただし、雪岡純子の望みはあくまで人体実験。つまりは実験を兼ねたうえでの改造なので、化け物になったり障害が残ったり最悪死んだりと、そんなリスクもある。
雪岡研究所と書かれた自動ドアの前に立つと、中から研究所の主が現れた。
「おいすー、鴉山さん、カイ君、お久しぶりー」
弾んだ声と共に、神秘と魔性を同居させた真紅の瞳が煌めく。
出迎えた件のマッドサイエンティストは、猫を連想させる顔立ちをした、ショートヘアの美少女だった。ボーイッシュな服装の上に着た白衣が、マッドサイエンティストアピールしているんだろうな。
最初に出会った時から十年以上経つってのに、見た目の年齢が全く変わっていない。十代半ばの少女のままだ。本人曰く千年以上生きているとのことだが……
「で、俺はあと何年生きられるんだ? いや、何ヵ月か? 何日か?」
出会い頭に皮肉っぽく尋ねる俺。
「んー、もう大丈夫だと思うよー」
頬を掻きながら純子が微苦笑を零す。
俺が改造されたばかりの頃だった。改造した結果、肉体への負荷がひどく、二年くらいしか生きられないと純子に伝えられた。しかし俺は二年以上生きられた。そうしたらあと一年と言われた。その一年後には四年後と言われた。んでもって、結局十一年も生きている。
「おじさんのガッツで、寿命を伸ばしてる? おじさんは根性と執念深さは人一倍だからね」
「根性はともかく、執念深いとか言うなよ。別に執念深くねーよ」
冗談めかすカイに、俺は肩をすくめる。
「えっとねー……。ああ、人工魔眼の解析機能はメンテ中だった。こっちの解析装置を使うかなー」
純子が言うと、空中に大量のホログラフィー・ディスプレイが出現する。
空中に投影されたディスプレイ。通常は指でタップし入力していくものだが、純子はそれをしていない。しかし全ての画面が高速で切り替わり、変化していく。これは――ブレイン・マシン・インターフェイスで操作しているのか。
二十一世紀後半の現代の科学技術において、理論上は実現可能な技術だ。脳の電脳化はともかくとして、脳波で直接機械に入力するBMIは、限られた領域のみにおいて実用化されている。だがこの技術は様々な理由で、厳しく制限されている。
BMIに限った話ではない。二十一世紀半ばから、科学文明の発展は停滞しだした。それは一つの価値観の台頭だ。科学の発展を規制し、環境保護を推し進める思想の蔓延。そのおかげで新しい技術は中々出てこなくなった。出した所で精査に時間がかかる。あるいは精査以前に自主規制されてしまう。イノベーションも起こりづらくなった。昨今、全世界において、新しいものを作ることが悪という風潮だ。
「ああ、何となくそうじゃないかと思ったけど、やっぱりそうだった。鴉山さんが生き延びているのは、カイ君のおかげだよ」
「俺の?」
純子の口から思いもよらぬ言葉が出て、カイが不思議そうに自分を指さした。
「うん、鴉山さんの力で、カイ君は幽霊でありながら実体化が可能なんだ。でもカイ君も実体化したことで、余剰生命エネルギーを鴉山さんに与えている。それによって、鴉山さんの肉体は健全に維持されているの」
「へー、そうだったんだー。俺とおじさんの間で力が循環しているってことか」
純子の話を聞いて感心するカイ。
「俺の力でこいつは実体化しているのに、その実体化したこいつの力で俺が生かされているとか、変な話だな」
変な話とか言って茶化したものの、俺はかなりの衝撃を受けていた。俺はずっとこのがきんちょ幽霊に、守護されてきた。それは戦闘の時だけかと思ったら、そうじゃなかったとか言われて、衝撃受けなかったらおかしい……。俺の命そのものを直接的に維持しているなんて言われたんだぜ。
「カイ君の実体化は、鴉山さんの力が起点ではあるけど、鴉山さんの力だけを動力にしているわけじゃないみたいだから。他からも力を取り入れているみたいだよ」
純子が解説する。その動力源が、飯と風呂ってことかよ。
「俺に感謝してね、おじさん」
やたら嬉しそうににやにやするカイ。
「俺が実体化しているのって、おじさんの力だけじゃないんだよ。ご飯を食べて栄養を得て、お風呂に入っているおかげなんだからさ。だからこれからも美味しいものいっぱい食べさせて、綺麗に洗ってくれれば、おじさんはますます健康体でいられるってことだね」
俺の心を読み取って、カイが要求する。飯はまだわかるが、風呂はどういう理屈だ?
***
翌朝。俺は恐怖の大王後援会の本部に赴いた。今日は新しいパートナーとやらと御対面する日だ。そしてすぐにそいつと一緒に仕事だと。
岳都は俺の負担を和らげるためのサポートだなんて言っていやがったが、新人研修やらせるつもりだろうと、俺は頭から信じて疑っていなかった。だが――岳都の真意は全く別にあったと、知ることになる。
「新人さんて若いんでしょ?」
カイが伺う。華子が同い年って言ってたから十八だな。ま、裏通りは十代の奴も珍しくねーし。若いと言って、気になる年齢でもない。
エントランスで、新人が来るのを待つ。初仕事でいきなり先輩を待たすとはいい度胸だ。
「遅れてすみませんっ。そちらで待っていたとは思いませんでした」
駆けてくる音と、慌て気味の少女の声。
あれ? 待ち合わせ場所、もしかしたら俺が間違っていたか?
そんな疑いを抱きつつ、声がした方を向いた俺は、現れた新人の容姿を見て、固まってしまった。
エキゾチックな雰囲気を漂わせる顔つき。目つきが鋭く、野性味を感じさせると同時に、凛とした美貌。そして浅黒い肌。
かつて俺は、全く同じ特徴を持った女に溺れたことがある。そして、その女は俺の手で殺した。
アリサ……。
心の中で女の名を呼ぶ。
「おじさんっ」
呆気に取られている俺を見かねて、カイが鋭い声をあげた。
いや、違う。髪型は違うし、若いし、身長も異なる。服のセンスも違う。色々差異はあるが、顔立ちは、そして雰囲気は、あまりにもアリサに酷似している。
あいつそっくりの少女は、俺の反応に少し戸惑っていたようだが、深々と頭を下げる。
「初めまして。今日から一緒に仕事をさせていただく蟻塚りえです」
自己紹介した少女の姓を聞き、俺はまたしても衝撃を受けた。
蟻塚……。あいつのフルネームは蟻塚アリサだった。苗字同じで顔がそっくり。つまりこいつは妹? あるいは親戚か?
「蟻塚アリサの――」
「お母さんのこと知っているんです?」
俺がアリサの名を口にすると、りえは驚いた表情になって、とんでもない台詞を口にした。
お、お母さん?
こいつは十八歳だと聞いた。俺とアリサが結婚したのは十三年前。
あの時、すでにアリサは子供がいたと。しかもアリサが死んだ時点で七歳……。
数秒間、俺の思考が停止する。
嗚呼……俺はつくづく間抜けなピエロだ。哀れな道化だ。あいつはつくづく俺を騙していやがった。まさか子持ちで、それを隠して俺と結婚までして……俺に夢中な素振りを見せて、俺をうまいことたらしこんで、俺はあいつに夢中になって……
「あの……滅茶苦茶顔色悪いようですけど、どうしました?」
りえが心配げに声をかける。しかし俺は動揺――いや、混乱したままだ。
混乱する俺の頭が、突然強く抱かれた。カイだ。
「おじさん、落ち着いてよ」
俺の頭を抱きしめて、柔らかい声で囁く。
これが落ち着けるか――と思ったが、このがきんちょ幽霊に抱かれて、俺は心底落ち着いてしまっていた。幽霊なのに実体化できるから、肌の感触も体温も確かに感じられる。つーか子供だから体温高めなのか? 妙に熱く感じられる。
「鴉山九郎だ。ちょっと確認することがある。そこで待っていろ」
短く自己紹介すると、俺はりえとは距離を置くために通路に入り、電話をかける。相手は岳都だ。
「どういうつもりだよ、てめえ。アリサの娘だと?」
『うん。俺も驚いたよー。たははは』
岳都はあっけらかんと笑っていた。畜生、一発殴りてえ。
『何の目論見があってうちに来たのか、わからないからね。ただの偶然かもしれないけど。面倒見るだけじゃなくて、こっそりとその娘の調査もやっといて。彼女の真意を探るんだ。油断するなよ~』
「偶然なわけあるか。母親関連で何かありそうだと考えるのが普通だろ」
アリサの娘――何かしらアリサ関連で目的があって潜入してきたんだろう。そしてだからこそ、岳都は受け入れた。りえの真意を探るために。
「ふざけやがって……」
『まあまあ、九郎がどうしても嫌っていうんなら、他の奴にやらせるよ。でも九郎が適任だと思うけどな~』
「ああ、そうだろうさっ」
苛立ち紛れに吐き捨て、電話を切る。
『大事なものを作るのは怖い。でもね、それはとても素晴らしいことでもあるの』
アリサが俺に、結婚を迫った時に口にした台詞を思い出す。アリサはまるで知っているかのように、そう語った。それはこいつのことか? 娘を生んだことか?
そのうえで、それを隠したうえで、俺と結ばれて、俺を騙して……いやはや、まったくもって女って奴は恐ろしいもんだ。そしておぞましいもんだ。




