自然の騎士
馬車。それは文明の結晶であり、貴族にとっての移動する聖域であるはずだった。
ギムレットが用意させたその馬車は、外見こそ「そこら辺の商人が使っていそうな地味な荷馬車」に偽装されていたが、内装は私の好みを反映して、座面には最高級のベルベットが張られ、衝撃を吸収する魔導具のバネまで仕込まれている。本来なら、揺られながら優雅に読書を楽しみ、隣国のグルメフェスティバルに思いを馳せる至福の時間になるはずだった。
……はずだったのだ。
「……ねえ、ベレッタ。さっきからその、ミラー越しに私を凝視するのをやめてくれない?」
御者台に座るベレッタは、後方を確認するためのバックミラーを、完全に「私を観察するための専用モニター」として活用していた。鏡越しに目が合うたび、彼女の頬は朱に染まり、鼻息が荒くなる。その熱視線のせいで、車内の空気はサウナのようにじっとりと熱を帯びていた。
「申し訳ございません、セレスティーヌ様! ですが、グリフィンの防具を纏った貴女様のその凛々しいお姿……あまりに神々しくて、一秒でも瞬きをするのが惜しいのです! ああ、今の角度、最高ですわ……! 迅速に、私の網膜に焼き付け(デリバリー)させていただきました!」
「……もういいわ。勝手にしなさい」
私は溜息をつき、窓の外に目をやった。そこには、さらに理解不能な光景が広がっていた。
「ハッ! ホッ! セレスティーヌ様、見てください! ボブの足取りも軽やかですぞ!」
銀色の甲冑を纏ったアルフレッドが、馬車の横を全力で並走していた。しかも、わざわざ四足雑巾こと愛馬ボブに跨ったまま、馬車の速度に合わせて一定の距離を保っているのだ。
「……ねえ、アルフレッド。馬車の中、一人分くらいなら座れるわよ? 鎧を脱いで中に入ったら? 外は埃っぽいでしょう」
「滅相もない! 騎士たるもの、貴婦人を守る盾として常に外側に身を置くのが道理! それに、この風、この振動! これこそがボブとの真の対話、軟弱な馬車などには代えがたい絆の証明なのです!」
……暑苦しい。窓を閉めたいけれど、閉めたら車内はベレッタの熱気で酸欠になる。私は絶望的な二択を迫られながら、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。
野宿という名の拷問
日が落ち、街道沿いの宿場町が見えてきた頃、私はようやく「まともなベッド」という希望の光を目にした。しかし、その希望は一瞬で踏みつぶされた。
「セレスティーヌ様、今日はここで街道を外れ、あの森で野営をしましょう!」
アルフレッドが、キラキラとした瞳でとんでもないことを言い出した。
「は? 何言ってるの? あそこに宿屋の看板が見えるじゃない。あそこの二階の角部屋を押さえなさいよ」
「いいえ! 騎士たるもの、星空の下で眠るのが真の贅沢! 宿屋の煤けた天井など、神が創りたもうた満天の星空に比べれば、ただの蓋に過ぎません! さあ、大自然の懐に抱かれ、自由を謳歌しましょう!」
「自由なんていらないから、私はふかふかの羽毛布団が——」
私の抗議は、アルフレッドの「善意の暴走」によってあっさりと無視された。彼は手際よく(無駄に力強く)馬車を森の中へと誘導し、深い木立の間にキャンプ地を設営し始めた。




