ディストピア飯職人の朝は早い
ディストピア飯職人の朝は早い。
γ県г市北西部、ディストピ川中流域に位置する街の一角に、早朝から植物の葉を撫でるような柔らかな音が響く。ディストピア飯職人・折出白三さんが、漁で使う神経ワイヤーの被膜を指触し検査する音だ。今年で七十歳となり、三度の抗加齢処置を受けて尚皺の目立つ指が、しかし滑らかに半透明の人人工神経伝導線維を撫でる。中肉中背、短い白髪に痩せた手足。優しげな眼を細めてワイヤーの傷み具合を確認する様子には、穏やかさと同時に一定の鋭さも感じられる。
九月前半の短い休養期間を終えて、ディス飯職人の新たな一年はここから始まるのだと、白三さんは言う。
「正月や年度初めよりも、ディストピア祭が終わった後のこの季節こそが区切りだって気がしますね」
白三さんの言葉は、そのまま現代のディストピア飯職人の在り様を端的に表している。
かつて存在したこの国の社会体制――俗に『新社会』と呼ばれた超平等主義社会が崩壊してから三十年が経過した今、かつての新社会、ディストピアと評される過去の時代を思い起こし、その終了を記念する行事として、γ県г市の「ディストピア祭」は全国的に広く知られている。全国から一日あたり百万人近くの参加者が訪れる、正に国家最大規模のイベントだ。
『新社会』は、よく知られている通り、戦後に大きく広がる格差と政治腐敗が民衆の不満に火を点けた結果の大変革が作り上げたとされる、一九六〇年代初頭に形成された社会体制である。あまりにも広く深く蔓延する人類社会の不平等と不公平を排除し、人間社会を更に一歩、公平と平等へ、またその止揚としての公正へと近づけることを宣言したこの体制は、何よりも大きな不平等とされていた「生まれの格差」の是正をはじめとして無数の不平等を禁止し社会として矯正することを掲げていた。
当初、人を生まれの制限から解放するユートピアと熱狂的に支持されていたこの社会体制はしかし、あまりにも無理のある平等政策を短期間で突き詰めた結果として国民の自由を極端に制限し、その人生の選択肢を極小化してしまい、最終的には人間性を否定するディストピアと罵られて崩壊した。ディストピア祭はこの前時代の社会体制を忘れないために、新社会崩壊後の一九九一年より行われ、二〇二〇年の現在まで毎年実施されている。
ディストピア飯職人は、このディス祭においてメインとなる催しの一つ、「ディストピア飯の実食」のためのディストピア飯を製造する職人である。「新社会」当時の製法をそのまま受け継いだディストピア飯職人は、「新社会」の中心地であったこのγ県に多く存在していたが、現代ではг市に僅か五家が残るばかりである。
折出白三さんは、五大職人と呼ばれるディス飯職人の中で最も高齢であり、五人の現役職人の代表でもある。
「十月の翠身供養を挟んで、十一月から冬にかけては漁の装備やディス飯の工房の設備の本格的な修理やパーツ発注がある。神経ワイヤーやLO機体みたいな小物の状態は九月中に把握しておかないと」
言葉通り、十月に入ると白三さんを含めたディス飯職人たちはすぐ本格的な仕事を再開する。
翠身とは、ディス飯の半分を占める「タンパク・糖質ペースト」の主原料となる淡水魚であり、この年に獲った翠身の供養が十月の半ばに行われる。
「我々はディス飯職人であると同時に、皆が翠身漁の漁師でもあります。供養は祭と同様に大切な行事ですね。来年の豊漁と安全も祈念します」
伝統的な食品の原料をその製造職人が自ら調達する例はいくらかあるが、翠身のような電磁攻撃魚を自ら獲る職人は世界的にも非常に珍しい存在である。白三さんたちディス飯職人五人は、г市の神社で行われる供養の後すぐに、来年の祭りに向けたディス飯製造のための協議に入る。誰がどれくらい作るのか、翠身以外の原料調達の都合や、各自の設備の状態や装備の状態の情報交換、お互いに設備や装備を融通する算段など、数日にわたって綿密な話し合いと調整が行われる。
十一月に入ると、協議の結果を元に、まずは装備・設備類の修理や調達が行われる。白三さんはまず、漁で使う金剛界式エクソスケルトンの修繕を行う。
金剛界式エクソスケルトンは、「新社会」時代に使われていた戦闘用外骨格である。現代ではほとんど見られないスタンドアローン式の強化骨格で、現代の装備のようにネット接続してオンラインで高度な運用ソフトウェアやAIの支援を受けることのない、全て使用者自身で制御するタイプの兵装となっている。白三さんのそれは漁で素早く動くために軽装甲化されており、正に「骨格」といった印象を受ける。
「翠身は電磁パルスで漁師を攻撃するとともに、電子機器の通信を阻害します。新社会時代の途中からは人手に頼らず自律無人機の大規模運用などでまとめて漁獲を上げようという計画も実施されたが、採算は悪かった。個々の漁師がシールドされた非ネット接続型の装備を身に着けて獲るのが効率的で良かったんですね」
当時の様子を知る白三さんは懐かしそうに語る。
装備は他にもあり、先に紹介した神経ワイヤーと、そのワイヤーに繋がって漁師の眼となり耳となり、また指向性振動波などで翠身を瞬時に捕らえる、一抱えほどの大きさの多目的小型端末機・『LO』が十数機。更に電磁プラズマ槍が一本。
工房のディス飯製造用の機械類と合わせて、全てが年代ものである。丁寧に使用されていても傷みは進む。こうした道具の修理用のパーツ調達は年々難しくなっているという。
「職人の道具もまた職人が作っていたりする。伝統と褒めてくれる方は多いが、継承者は少ないし、絶えていく技術も多い。難しい所ですが、まあ工夫してやっています」と白三さんは悩ましげだ。
数日間の正月休みを挟んで年が明けると、今度は翠身以外の原料の調達のためにあれこれと動くことになる。ディス飯は「新社会」時代当時四つのメニューが存在した(国民はこの中から毎食選択していた)が、白三さんが作るのはこのうち一種のみ。どのメニューも翠身を使ったタンパクペーストに穀物糖質などを混ぜ込んだ白色ペーストが主食としてトレーの半分にセットされ、残り半分にビタミンや繊維質、ミネラルなどを補う補助ペーストがセットされる。これに更に栄養錠剤がいくつか添付されるのが当時の「平等標準食」だった。
補助ペーストや錠剤、それにトレー(新社会当時は金属製だったが現代では樹脂製で代用されている)の調達のために白三さんは農家や工場など、γ県以外にも出かけて調達のための確認や交渉、視察に向かう。毎年の事であり決まりごとのように同じ原料を生産し続けてくれる農家もあるが、一部の原料は製造元が変わることも多く、苦労が多いという。
雪の降りしきる北部や寒風の吹きすさぶ海沿いの町にも足を運ぶ中、二月に入ると並行してディス飯製造設備と漁のための装備の最終点検も行う。前年の暮れに修理を行った後の、最終点検である。
それが終わると、三月からはディス飯職人たちが大勢の人の目に触れるシーズンがとうとうやってくる。翠身漁の解禁である。
解禁初日、г市中心部を流れる大きな清流・ディストピ川のほとりに、観光客とディス飯職人たちが集まる。漁の初日、解禁に際して、安全祈願と共に職人たちが漁の装備を纏って祝賀の場で皆にその姿を見せるのだ。この日のために表面塗装も新たにしたエクソスケルトンを纏った五人は夕方までその場にとどまり、陽が落ちる前に川上の猟場へと向かう。
「この時ばかりは、全てを忘れて心が漁へと一点に集中する。人間性が失われかけたあの時代にあっても、漁に臨む時だけは、人間性を超えた荒れ狂うような野生の心が滾っていたね」
それだけを言い残し、白三さんは川へと入る。外骨格に包まれた爪先が川面に突き立ち、電磁気的な力場を利用して白三さん達漁師は川の水の中、深さ数センチあたりの水流を踏みしめる。流れる水に逆らうように足を電磁力場に固定して水面に立つ姿は、宵のディストピ川の黒々とした川面と合わさってどこか妖しく、そして僅かに恐ろしい。
決められた猟場のスタートライン、ディストピ川の上流から、市街中心部までの数キロメートルほどを、五人はゆっくりと進む。徒歩翠身漁と呼ばれるこの漁法では、各々の漁師が完全な通信遮断状態でそれぞれ各個に漁を行う。
顔面を半分以上覆う電磁防護・情報表示用バイザーの上部から、水面に波長を調整した光線が向けられる。走光性をもつ翠身はこの光によって漁師の周囲に集まる。
白三さん達五人の左手からは、十数本のワイヤーが水面に伸びている。手首のジャックと外骨格を介して白三さん達の神経と接続された情報・感覚伝導ワイヤーであり、その先端にはLOと呼称される小型端末ロボットが繋がり、水中で探査を行う。一人で十数機のLOを操り、同時にそこからの情報を処理するには長年の訓練と経験が必要であり、この素人には全く真似のできない神業を五人は皆当たり前のようにこなす。ゆったりと軽く腕を身体の横に開き、その手の平からきらきらと煌めくワイヤーを垂らす外骨格に包まれた五人の漁師たちは、どこか異世界から抜け出してきた神霊のようにも見える。
しばらくすると、漁師たちの近くに赤い影が現れ始める。翠身はその名の通り胴体に翠緑色の模様のある美しい川魚だが、危険を感じたり興奮すると赤い体色を表す。夜の黒い川面にまるで季節外れの紅葉を映し出したかのような色彩が広がる光景は、なんとも美麗で幻想的である。
翠身の群は川を歩く漁師たちに次々と指向性電磁パルスを放射する。まともに食らえば人体に強い火傷などの外傷や内臓損傷を与え、機械類が受ければ電子部品を破損してしまう危険な攻撃だ。翠身は非常に栄養価が高く個体数も豊富でありながら、この攻撃性のために長い間資源化されてこなかった。現代のオンライン式の高機能兵装を白三さん達が使わないのは旧式の装備が伝統であると同時に、この電磁魚に対して脆弱すぎるからでもある。
赤い翠身たちを、水中のLOが次々に振動音波や電場の投射で仕留めて、漁師たちが引き連れる追尾航行式の水上ストレージボックスに格納していく。
川の両岸では、まだ肌寒い三月ながら見物客が白三さん達の様子を熱心に見守っていた。堤防近くには電磁シールドが張り巡らされており、見物客に危害が届くことは無いため、安心して観覧できる。
漁は休日を挟みつつ三月、四月と続き、五月には海外の要人を招いての外交接遇翠身漁が行われるが、観覧客が最も多くなるのは六月の中頃である。この頃には水温が上がり数の増えた翠身が群れを成しており、翠身漁が最も盛り上がる。
六月の第三週目、いつものように漁を行う白三さんの前方で、それまでに見たことのない数の赤い翠身たちが蝟集していた。
翠身たちは電磁放射のための細胞のほかに体表に特殊な変形ロレンチーニ器官を持ち、電波の送信だけでなく受信も可能である。危険を感じた翠身が一定数以上集まると、電波通信によって翠身の体表に特殊な変化が起こる。
無数の翠身が体表に粘液を放出し、お互いの身体を接触させると、接触面の粘液が細胞同士を接合し強固に一体化する。驚くべきことに接着・一体化した個体同士では神経の一部までもが共有される。
一塊になった赤い翠身たちはおおむね自らの元の形状をスケールアップしたかのような形にまとまり、そこに更に他とは異なる暗い色の翠身が入り込み、頭部辺りに定着する。これを核とするかのように、巨大な集合体翠身は巨体をうねらせ漁師たちに挑みかかる。
全長五メートルにもなる、巨大翠身との決闘。これこそ、翠身漁の最も猛々しい瞬間であり、観光客が一目見ようと願う瞬間である。
「一年にまあ一度か二度。遭遇しない年はないけど、出会うと毎回緊張はする。漁に絶対はないし、本能的な恐れは消えはしない。なにせ古い時代には、人間には抵抗する術の無い怪魚だった。それを眼前に見る。見るだけでなく、獲る。物凄い興奮と、冷えた恐れが両方あります」
後にそう教えてくれた白三さんは、LOで巨大翠身を牽制しながら、背中にマウントしていた電磁槍を右腕で掴んで構える。巨大翠身はその巨体と凄まじい運動性能で水中から跳び上がって襲い掛かる。個体の時のようなパルス投射は行わないが、強力な電磁場を斥力場として纏う翠身の突撃は圧倒的な破壊力をもつ。
一度、二度とすんでのところで突撃を躱す白三さんは、機を窺うように水面を小さく蹴りながら態勢を整え、ついに三度目の突進に対して水中のLOを引き上げ、空中で全機一斉の電磁シールドを形成、翠身を押しとどめる。宙に縫い留められたような巨大群体魚に、白三さんは槍を真っ直ぐ突き入れる。翠身の纏う力場に押される槍の刃先が二股に展開し、刃の間から眼を焼くような強い光が吹き出す。電磁槍の奥に仕込まれたプラズマ炎の投射だ。
小さな太陽のような光が一瞬辺りを照らし、炎を散らしながら巨大翠身が貫かれると、観客たちから歓声が上がる。
こうして、翠身漁は最盛期を迎えるのだ。
「今年は中々の豊漁です。怪我人も出なかったし、装備の破損も少ない。いい年です。でも、我々にとってはここからがまた正念場だ」
六月最後の漁の後で白三さんはそう語った。ディストピア祭は八月の半ばに行われる。六月が翠身漁のクライマックスならば、七月は、ディストピア飯製造の山場である。
工房では素材を加工するために各種の機械類が使われているが、ディス飯の仕上がりは単純な加工だけでは難しいと白三さんは説明する。
「磨り潰し一つとっても長年の経験が物を言う。口当たり、栄養成分の保持、調味料による粘りの変化など、数字だけ記録して再現しようとしても不可能なことが多くある。温度、湿度、原材料の状態によっても微妙に機械の動かし方は変えるんです」
言葉通り、白三さんは各加工機の設定をひたすら細かく入念に設定していた。
「完璧にできたと思ったことは一度も無い。漁と同じで、整理された数字やルーチンワークではなく、世界という混沌を相手にしなければならない。いつも工夫して、最善に近づくために努力し続けなければ、最低限の品質すら保てないんです」
磨り潰しや練り、混ぜ込みを経てディス飯原料は次第に食品らしい形を失い、均質なペースト状となっていく。無機質な白いトレーに完全に均等に(新社会時代の平等政策はこの際の誤差を一マイクログラム以下と定めており、白三さんのディス飯もこれを守っている)入れられたペーストは一定期間冷蔵され冷え固まる。
完成したディス飯はフィルムで密封され、祭のために包装されていく。毎日微妙に気象などの条件が違う中、伝統的なディス飯としての均質さを保って製造するのは非常に困難であり、白三さん達五人の職人以外には不可能である。
「何人か後進はいますが、まだ日によって味にばらつきがあります。私ももう歳だし引き際は考えているが、今の出来では任せられない。でも、五年後や十年後は楽しみですね」
若い弟子たちのことを語る際には、白三さんの顔にいつもより明るい笑みがこぼれる。
ディス飯の準備が整い、文化庁などへのサンプル献上などが済めば、あとは祭を待つばかりである。
ディストピア祭は、八月半ば、第二週の水曜日から一週間続く。かつ夢見られたユートピアの行き着く先、ディストピア社会が起こったこのг市で、その崩壊を祝い、記念する祭だが、近年は娯楽としてのあり様が強くなっているという。
「昔に比べれば単純なお祭り騒ぎの雰囲気が強くなった。若い方々の中にはそもそもディストピアが何なのか分からない人も多い。『新社会』崩壊からすでに三十年ですからね」
ディストピア飯は、祭においてどこででも見かけることができる。無数の屋台が密集する市街中心部でも数軒に一軒はディストピア飯の配布所になっており、祭の期間中は市内のどこでも安価にこれを手にできる。
休憩所や野外の食事用スペースでは、どこか懐かしそうに白三さんたちの作ったディス飯を頬張る年配の方々の姿があちこちに見られる。
ディス飯を綺麗に完食したとある高齢者は次のように語っていた。
「当時はこんなもの食い物じゃないと思ってましたけどね、なにせほんの数種類しかメニューが無くて、しかも毎食同じペースト食ですから、歯が退化して無くなるんじゃないかと皆で冗談を言ったものです。でも今になってこうして年に一度食べると、色々と思い出すし、とにかく懐かしい。味や匂いは記憶を引き連れてくる」
一方で、学生などの若い層はこの完全栄養食にして完全平等食とされたペースト食に困惑を隠せないようだ。樹脂を固めたようなペースト食を前に、「これ、食べ物?」という率直な疑問の声も、小さな子供からは上がる。
そうした様々な反応を、白三さんは各所へのディス飯の送付や運送を行う合間に休憩がてら見てとって、ただ黙って優し気な笑みを浮かべていた。
ディストピア祭は、かつての新社会体制を記憶し続ける為という名目で、様々なイベントが催される。ディス飯の喫食はその一つで、他にも当時の標準平等服の着用と写真撮影や、新社会文化と呼ばれる当時の絵画・音楽の展示やコンサート、それに多くの人が参加する人気イベントである「銅像倒し」などが次々に行われる。
銅像倒しは、当時各都市に設置されていた、新社会体制の指導者層の数人をかたどった胴像のレプリカを引き倒して破壊するというイベントである。新社会崩壊時に行われた各地での銅像の引き倒しを模倣して、プラスチック製の縮小サイズのレプリカ像を倒して壊し、当時に思いをはせる。
祭が始まった最初の何年かは厳粛な雰囲気の中で行われていたこの行事も、今では思想や政治的な思索の色が薄くなったと、白三さんは回顧して言う。
「正直、何とも言えない気分ではあります。今は新社会体制について細かく学ぶ機会もない。学校ではカリキュラムの都合で近代史や現代史はあまり学ばれない。新社会体制がなんであったのか、どういうものでどんな意味を持っていたのか少しも知らない人間が、ただ像を破壊して、よく知らない過去の体制を罵倒しているというのは、危ういようにも感じます」
祭の行われる市の目抜き通り、その一角で、白三さんと我々はディス飯を食べながら祭に沸く街の様子を眺めていた。白三さんの顔には、安堵とも心配ともつかず、また喜色とも哀色ともつかない、曰く言い難い表情が浮かんでいた。
「そりゃあ、新社会――あのディストピア社会は、地獄でしたよ。平等を謳いながらそのために人間性を剥奪し、平等のディテールに拘るあまり人民からは自由が消えた。ひどい時代ですね。ユートピアの実現のために無理な平等政策を推し進めて、それで無理が不満となって蓄積すれば、最終的には強圧的な権威主義と全体主義によって社会構造を維持しようとしていたんです。本当に悲惨です。ただ、そういう『前の社会』を殊更悪魔化するというか、その悪辣さを現実以上に誇張して、それでもって今の社会構造を称揚するような動きもまた危ういと思ってますよ。
ねえ記者さん、私の作るディストピア飯、どうでしたか。意外に美味いもんでしょう」
言われて、私は頷くしかなかった。確かに白三さんのディス飯も、その後食した他の職人たちのディス飯も、風味自体は非常に良い。タンパクペーストは爽やかに香ばしく、絶妙な塩味と旨味が癖になる。素直にそうした感想を告げると、白三さんは少し皮肉気に笑う。
「そう、美味いんですよ、六十年前から三十年前まで皆が食べていたディストピア飯は、味自体は実はいいんです。何せ原料が良いですからね。新社会ではまず平等な食として国民の健康を充分に増進できる標準食が必要で、ディス飯は半ば採算度外視で開発されたんです。メニューがほんの数種類で見た目も触感もペーストですから、こんなものばかり食べるのは人間の生活じゃないと早々に飽きられてしまいましたが、美味いことは美味いんですよ。でも、ここ数年はね、祭に出すディス飯をもっと不味く作れという要望があるんです。もっと不味くて、あの悪夢の『新社会』を皆がより嫌悪するような味にしろとね」
これは初耳だった。どこからの要請かと訊いてみたが、白三さんは言葉を濁す。ただ、民間からの意見だけでなく、公的な機関や人物からの要望というものを白三さんは我々に匂わせていた。
「これはね、何と言うか、歴史の修正というんですかね。ここのところ、現政権はあまり上手くいってないでしょう。経済も停滞しているし、少子化も止まらない。そんな中で、とにかく今の社会は良いんだ、って肯定を押し付けるような動きが出てきている。過去の社会を悪魔的に描いて、それと比して今の社会を理想的だと描くことで、現状への批判を封じるというね。なんとも権威的です。それに、そういう風潮に異を唱えれば『新社会主義者か』と非難されるような状態です。何と言うか、全体主義的ですよ。新社会崩壊後は自由な社会が構築されましたが、最近じゃ自由主義の御旗の元に公的な保険制度も解体されたし、公共サービスの類は何もかもが民間に払い下げられている。『新社会と逆を行け』、という思想が何でも無理を通すみたいに、そういう動きがどんどん進んで、あちこちで無理が出てきている。私はね、最近はよく……まるで社会が一回りして同じ場所に出てきたかのようだ、なんて考えるんですよ。逆に向かっていたはずがいつの間にかスタートに、というね」
ディストピアというものは、決して過去の物じゃない。白三さんは、どこか意を決したようにぽつりとそう呟く。
「『小さなディストピア』は、どこにでもあるんですよ。新社会が過去の社会を痛罵して己を称揚したのと、新社会を痛罵して現在を肯定させようとする今の社会は同じことをしている。ディス飯も祭もいまや現代の自由主義や自己責任論や格差社会をこのままでいいのだと語るための錦の御旗になっている。こんなにひどいんだ、こんなにヤバいんだと煽って、逆の極端な場所に誘導する。逆にあって、しかし凄く似たような場所に」
あの過去の社会の一部をリアルに伝えるはずのディストピア飯という伝統文化が、しかし歪んだ扇動によって正に伝えていたはずのディストピア社会をもう一度再来させる道具にされているのではないか。白三さんの危機感はそこにある。
「『これでいい』とした瞬間から、社会はディストピア化するんじゃないか。そうも思うんですよ。社会は社会である時点で、自動的に個人を抽象化して『集団』にしてしまう。個々人であるというレベルで発生しているはずの人間性を集団社会のレベルに還元してしまう。社会というものは、それが民主主義であれ王政であれ独裁であれ、また社会主義や共産主義であれ資本主義であれ、社会というシステムであるという時点で原理的にディストピアとなる欠陥を抱えざるを得ないんじゃないですかね。
人間は社会的な生き物ですからそりゃあ、社会は必須になるでしょうけれど、同時に社会であるということは人間性を剥奪する第一歩でもある。人は完全に自由な個人であれば原始的な獣として生きる他ないが、逆に理性的な社会そのものであれば人間性を抑圧し、個人を忘れ圧殺してしまう。だから、社会は常にその誤りを見つめ続け、修正し続ける必要がある。社会であるということと、人権や人倫が存在するということの均衡点を探し続けなければならない。決して完全な均衡点などないことを知りつつも、なるべく最善に近くなる努力を続けなければならない。
これでいい、このままでいい、というのはあり得ないんです。完成された全体主義のユートピアも、そのままにしておけば全て上手くいくような自由主義も個人主義も、両方ともあり得ない」
『完璧にできたと思ったことは一度もない』と語っていたディス飯を自ら口に運びつつ、白三さんはここまでの職人生活で積み重ねた実感と思索を、打ち明けていた。
「だから、ディストピア飯作りには、複雑な思いがあります。ディストピア祭と共に今の社会を野放図に肯定して思考停止する材料にされているんじゃないかっていう思いもあるし、逆にだからこそ本当の、あの時代の味を作り続けて真実を伝えて、それで今を考えてもらおうって気概もある」
あの『地獄の時代』を実際に経験し、その中でディス飯職人という道を歩み始めて、新社会崩壊後の社会を新社会時代と同じくらい長く生きた老齢の職人。両時代を知る人間としての偽らざる思いと覚悟が、その言葉には強く込められているように思える。
白三さんの瞳は、今と昔の間で揺れ動きながら、既に次の年のディス飯作りを見据えている。
(中域律経新聞ウェブ有料版 月刊連載「今を知る・重要無形民俗文化財」シリーズ第33号)
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