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08-20.あなたを信じてる。

 マナの予言染みた助言を受けたエミリアは、まずガレットに相談し、イリスの派遣を依頼した。人前で話せる内容ではないが、仕事でもなければ今のイリスは来てくれない……そんな気がしたからだ。


(嫌われてなど、いない。そう信じている。でも会えない時間が多いと……私は)


 そうして、不安を無理やり押さえ込み、客間に机を持ち込んで書類をチェックしていたところ。昼下がり頃に、ドアがノックされた。


「開いてるから入って、イリス」


 拳を握り締め、震えを無理やり抑え、努めて冷静に呼びかける。


『失礼いたします』


 固い声と共にほどなく扉が開き、一礼したイリスが入ってきた。

 彼女の姿を目にした途端。


(――――いけない)


 涙が出そうになって、エミリアは少し上を向いて堪えた。静かにはぁっと息を吐き出し、それからイリスに椅子を勧める。執務机を挟んで向かい合わせ。イリスは逡巡を見せたが、表情を変えずに席に着いた。


「お疲れ、でございますか」

(イリス……そう、よね。こうして差し向えば、わかる。どんなにあなたが、固く冷たい態度をとっていようとも)


 心配でつい出た感情を、無理やり飲み込んだ……イリスにそんな印象の言葉を、かけられて。


(愛されている、と)


 エミリアは少し頬を緩め、紙束を机に置いた。イリスから見えるように紙を向け、その上に指をとんっと置く。


「認識を合わせたいところが、いくつかあるの。読み合わせをしたいのだけど……その前に」


 エミリアの声が届いたようで、イリスの顔が上がる。ただ目は、こちらを向いているものの……エミリアを見てはいなかった。

 だがエミリアは。

 もう、迷わない。


「疲れ……そうね。聞いてると思うけど、トラブルが多くて。それでどうしてもあなたに、確認しなければならないことが、できたの」

「だからわざわざ仕事にかこつけて――――」


 答えるイリスの顔は、表情がなくて。その青い瞳は、開いてはいても、どこも見ていなくて。



「顔を見たくもないわたしを、呼んだのですか」



 彼女の歯を食いしばったような声を、聞いて。エミリアは直感した。


 ――――愛しいイリスは、激情を堪えているのだ、と。


「……本題に入りたいけど、さすがに気になるわね。なぜ、そう思ったの? イリス」


 エミリアは正面から穏やかに、素直に聞いた。


「っ、それは……!」


 エミリアの顔を見て息を呑み、口にしてから唇をかみしめるイリス。エミリアはそんな彼女を、じっと見つめる。その固い口元が、緩むまで。ずっと。


「あのようなことが、あって」


 堪えているものが、少しずつ漏れ出してくる。

 あの夜からため込まれていたものが。


「先ほどだって、ため息を――――」


 一生懸命されている蓋の下から。

 溢れてくる。


「あなたは。今、私がどんな顔をしているか。見えていないのね?」


 エミリアは。

 ただ、心のままに……笑みを浮かべて。

 瞳を潤ませ、頬を染め、〝あなたが愛しいと〟。

 そう顔で訴えかける。イリスが決して、無視できないように。


「この顔が、〝あなたに会えて嬉しい〟以外の、何に見えると言うの?」


 反論を飲み込むイリスを見て、エミリアは確信を深める。

 彼女がいったい何を、我慢しているのか。

 そこにどんな葛藤が、あるのか。


「でも、わたしは! わたしは…………」

「ちょっとわかったわ」


 『何をしてもいいと言っているのに』そんな言葉を、飲み込んでから。きっとそんなことは彼女も、わかっているのだと信じてから。どうしてイリスが、そんなにも我慢するのかと、そう考えて。


「何度言っても、あなたが私を信じられない理由。そもそも」


 エミリアは自らを省みる。


「どうして私が、あなたを好きになったのか。なんで、何をしても許せるのか。言ってなかった……わよね?」

「伺ったことは……ありません」

(理由なく、何をされてもいいと言われて、そうされても。信じられることではない、か……むしろ、自分が私に対して酷いことをしたと思うたび、私がイリスを無条件に許していたら。怖くなるかも、しれない)


 イリスは言ってみれば、エミリアを婚約者から奪ったのだ。しかしエミリアは、それを葛藤もなく許した。エミリアからすれば、それは当然の行いであったが……された方はどうであろうか。最初は喜んでも、不安になったのではなかろうか。そう、思い返しながら。

 エミリアは自分の想いを、綴る。


「私の前世の話は……少ししたと思うけど、そうね」


 言葉をまとめようと、エミリアは立って部屋の中を歩き始めた。ゆっくりと、一歩一歩。イリスの視線が、追ってくるのを感じながら。


「大好きな恋愛小説の最後で、主人公が想い人と結ばれて。なのに次のシリーズで、前作主人公が子どもにも恵まれず、亡くなっていると知ったら。あなたならどう思う?」

「えっ。それは……悲しい気持ちに、なります」

「私はね、悔しかった」


 イリスが意外にすぐ返事をしてくれたのに、少し喜びながら。エミリアは眉尻を下げ、視線を落とした。


「物語にさえ救いはないのかって、腹が立ったの。だから、なにくそっ! って奮起して、現実を幸せにしようって頑張って……そしたら、運悪く事故に巻き込まれて、死んだんだけど」


 良い人生になろうとしていた矢先、未練を残した前世。何の因果か彼女は、その救われなかった主人公を最も貶めた……悪役令嬢に転生した。それは原罪を背負った、二度目の人生の始まりだった。ジーク王子との結婚という自分の幸せが、目の前にありながらも――エミリアの最優先は常に、イリスへの贖罪。あるいは、彼女の幸福を祈ることだった。


「今の私は、その続きを生きている。救いのなかった物語に、現実のあなたを殺させたくない」


 最初は彼女が幸せになれば、それで良いと思った。だがそれは変わった。


「あなたに不幸をもたらすのは、物語で対立していた……エミリア・クラメンス。だから、私は。あなたに何をされても許せる。そのために、生きているから。イリスを生かすために、生きているから」


 自ら彼女を幸せにするべきだと、変わったのだ。

 エミリアが振り返ると。


 イリスの青い瞳が、真っ直ぐに見ていた。


「…………じゃあどうして、わたし、なんかを。好きになって、くれたんですか。わたしが、かわいそうだから?」

「違うわ」


 惑うようなイリスの言葉を、エミリアはきっぱりと否定する。


「ゲームの、ひたむきなイリスに惹かれたの。私は努力とか、苦手だったから。でも現実で出逢ったあなたは、もっと素敵で」


 きっかけは小さな、憧れだった。

 ただそれが、彼女と睦み合う中で。

 どうしょうもなく大きく、膨らんだだけで。


「失いたくなかった、何としても」

「わたしは、そんなに、立派じゃ」

「知ってるわよ。頑固で意地っ張りで、わがままなところとかも。それでもいいの」


 エミリアは静かに、歩み寄る。


「あなたは私が求めてやまないものを、持ってる。でも私はそれが――――ちっとも羨ましく、ない。私はあなたにだけは嫉妬せず、あなたのそばでだけは、穏やかにいられるの。本当よ? 少なくとも、ジーク殿下は……好きだったけど」


 胸の奥から湧き出る〝もやもや〟を抱えたまま。それは激しい嫉妬を呼び起こすこともあるが……イリスに対する敵意を喚起したことは、一度もない。

 それはエミリアの魔力にして。

 どうしょうもない、本心。


「許すことも、信じることも、できなかった。あなたは逆。わざと私と殿下を引き裂いたと聞いても、なんの怒りも沸かなかった。納得しちゃった」

「エミリア様…………」


 触れられるほど、近くに寄る。イリスはもう、引き下がらない。


(やっと……話ができるわね)


 逃げない彼女を見て、エミリアは穏やかにほほ笑んだ。


「確認、なのだけど。イリス。もし公国と王国の会談の場に、私と一緒にいて欲しいと言ったら……今日ここに来る前のあなたなら、なんて返事してた?」


 同じように笑みを返すイリスに、試すように問う。すると。


「んっ……場合によっては、やむなしですが。辞退を申し出ていたかと」


 案の定、そう告げられた。もしエミリアが胸の内を明かしていなかったら、やはり同じ選択であっただろう。


「そう。今はそれだけ、私の傍にはいたくないのね? ああ、責めてるのではなくて」

「そこは責めてくださいよ……でも、はい。そのとおりです」


 何やら内股になってもじもじとしながら、イリスが少し視線を逸らす。エミリアはすっと離れ、回り込んでまた椅子に座った。

 どこか切なそうで、すがるような目を向けるイリスに、また笑みを向けて。

 机に置いた書類を、掲げて見せた。


「わかった。信じてるわ、イリス。同性婚の整備を、猛然と進めてるあなたを。1日でも早く、私と結婚してね?」

「〜〜〜〜っ! か、必ずや!」


 法整備は――――恐るべき速度で進んでいた。


(私。公国になったらすぐに……お嫁さんにされちゃうんじゃ、ないかしら)


 照れて真っ赤なイリスを前に、エミリアは期待に胸を膨らませた。


「それで、ここからは相談……いえ。ほとんど命令に近いわね。首脳会談の場に、あなたにもいてほしいの。私たちの、未来を紡ぐために」


 目の前に迫る、破滅の未来を見据えながら。


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