08-18.加護の乙女。
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ぽよっぽよっと半透明のスライムが跳ね、裏路地を行く。物陰に入り込み、ぽむっと小さな音をさせて、アイーナの姿を象った。
「うあぁおぉぉぉ……何やってるの私ぃ」
しゃがみ込み、頭を抱える。黒髪をかきむしり、大きくため息を吐いた。
「でも無理、無理だって……マナの近くにいると、〝もやもや〟して」
俯き、膝を抱える。地面に座るなど無作法もいいところだが、アイーナは気にしていなかった。
「ちゅうとか、しちゃいそう、だし……私たち、姉妹、なのに」
胸の奥から突き上げてくる激しい衝動が、今も心臓を高鳴らせている。アイーナは自分の変化に戸惑いながら、呟いた。
「女同士、なのに…………エミリアは、どんな気持ち、なのかしら」
思い浮かぶのは、灰色の瞳の凛々しい悪役令嬢。彼女はヒロイン・イリスと恋仲であるという。その絆の強さ、愛の深さは、アイーナも幾度か目にした。
「あんなふうになんて、なれないよ……私は恋なんて、知らないし」
「へぇ。じゃあ俺たちが教えてやろうか?」
突然かかった声に、ハッとしてアイーナは顔を上げる。浅黒い肌の男たちが数人、いつの間にかこちらを取り囲んでいた。
「なに、あなた、たち」
「おい、こいつ皇女かもしれないんだろう? 引ん剝くのはまずいだろ」
「俺は帝国にいたから、事情は知ってる。こいつは処刑されたはずだから、もう死人なんだよ。まぁ他人の空似かもしれねぇが」
一瞬、アイーナの頭の中でいくつかの事情が繋がる。西方出身と思しき顔立ち、帝国にいて、今は王国公爵領の路地裏をうろついている……彼らは、もしや。
「こんなとこうろついてたのが運の尽きだな。うまいこと、使ってやるよ」
「ぃ――――ッ」
ぽむっ、と音がして。
「はぁ!?」「なんだこいつ!」「スライム!?」
大きく飛び跳ねた。壁、そして天井へと飛びつき、そこで人の姿となる。アイーナは屋根を渡りながら、迷わず駆けだした。
「エミリア……マナ!」
「くそっ、待てこら!」「おい、あっち回れ!」「逃がすな!」
だが、まだ来たばかりの街。
アイーナは。
「助けて――――!」
大いに道に迷い……それでも、走り続けた。
★ ★ ★
エミリア、マナ、そしてガレットはいなくなったアイーナを探し、街をさまよっていた。
だが。
「すごい奥まで行ってるし、また離れた……こっちよ」
迷うことなく、マナが路地を突き進んでいる。エミリアは領都には慣れておらず、もうどっちから来たのかすらわからない。隣のガレットは涼しい顔なので、おそらく彼女は大丈夫なのだろうが。
「ねぇ。マナってどんなスキル持ってるの?」
エミリアはそうこそっと、ガレットに尋ねた。
「〝祝福の皇女〟と〝加護の皇女〟と呼ばれていてね」
「祝福はアイーナだから、加護はマナのこと? 加護……ってどんな」
「ブロンズランクのスキルよ。ちょっとしたおまじない程度。失せ物を見つけたり、明日の天気を占ったり、その程度の」
緑の瞳の令嬢が、答える。声に僅かに、戸惑いを感じた。彼女もまた、エミリアと同じことを考えているようだ。
「……今明らかに、アイーナの居場所がわかってる感で突き進んでる、これは?」
「私に聞かれても、さすがにわからないわ」
(そりゃそうか。加護ってだけなら、結構いろんなことができそうだけど……それだけに、強力って感じはしないわよねぇ。ブロンズでも高いくらいな印象。――――ん?)
何か引っかかり、エミリアは一人首を傾げる。前を行くマナを見失わないように、注視しながら。
(ゲーム一作目のヒロイン、〝才能〟のスキルを持っているけれど……〝万才の乙女〟って確か、ゲームやり込んで最後にとれる称号よね? 全ステータスが、限界突破した後の。あのスキルのランクってゲームじゃちゃんと出てなかったけど、確かブロンズだってどこかに書いてあったような……?)
エミリアの前世の記憶に反し、実際のイリスは、王都貴族学園入学直後のスキル判定で「ダイヤランク」を認定された。その後しばらくして、〝万才の乙女〟と呼ばれるようになったのだ。とはいえ、優秀ではあるものの、そこまで超人というほどではなかったはず……。エミリアがイリスのことを規格外だと理解したのは、彼女が精霊車を作った――スキルを物に授けられることを、知った後のことである。
いまいち現実とゲームの状況が一致せず、エミリアが混乱していると。
「こっち! 走ってる――――ガレット!」
切羽詰まった、マナの声がした。彼女は早足を止め、走り出そうとしている。
「西に向かってるのだけど、どこか回り込めない!?」
「西。ならそこの路地、右に曲がりましょう。大回りして合流します」
「わかったわ! わたくし先に行くから、二人はこのまま向かって!」
言うが早いか。
マナが駆けだし。
「「……………………え?」」
その姿が、かき消えた。
路地の奥に、土埃が舞っているのが見える。
どうも皇女マナは、すごい勢いで、走っているようだ。
「どういうこと……? マナ様、スキルが強くなられてる?」
「いや、私に聞かれてもわからないわよ」
「そうね……」
取り残された二人は、釈然としないものを抱えながらも、そのまま路地を進んだ。
だが、しばらくして。
「…………奥から、なんか人が来る?」
「だいぶ人数が、いるわね」
人もまばらな裏路地。そこを追いかけっこして、向かってくる者たちがいる。その先頭は。
「いーたー! エミリアー! たーすーけーてー!」
(アイーナ!? なんで追いかけられてるのよ! ――――ここは!)
エミリアは素早く左右を見渡す。あるのは崩れかけた壁で、建物はない。
「聖剣ッ!」
足を止め、エミリアは手の内に剣を出した。その柄を握り締め、構える。様子を察したのか、ガレットも止まり、下がった。
「アイーナ、そのまま走り抜けて!」
「わかったぁ!」
叫びを上げ、皇女が駆け寄ってくる。後ろの浅黒い肌の男たちは、剣を構えるエミリアを見咎めたのか……その腰の鞘から、刃を抜いた。短刀から細身の剣まで、様々だ。
(あれまさか、レモールの……? こんな偶然って、あるのかしらね。本当に諜報員なら、生かして捕えないと)
エミリアは彼らが迫るのを待ち、深くゆっくりと息をする。
(イリス…………イリス!)
恋人を想い、胸の奥に〝もやもや〟を湧き上がらせる。
それが腕を伝い、手から柄を流れ。
刀身を、虹色に光らせた。
皇女が後ろへ走り抜ける。
男たちが、刃を構える。
「〝斬〟ッ!」
気合いと共に、一閃。
虹の光がインクのように、ぶちまけられた。
左右の壁が崩れ出し、男たちの幾人かが巻き込まれ。
全員が、足を止めた。
「ハッ、こいつ公爵の娘だ! こうなったら――――ほべっ!?」
無事だった男の一人が声を上げ。
悲鳴を上げ。
まだ切れてなかった壁に、めり込んだ。
「は……なに?」
呆気にとられて声を上げていると、後ろからやってきたガレットが、じっとエミリアを見た。エミリアは「私じゃない」と首を横に振って。
「ほべっ」「ぬがぁ!?」「ぎゃばッ」
次々に床や壁にめり込んでいく男たちを、ただと眺めた。土埃がもうもうと立ち込める中を――――何かが駆け抜けている。
「こ、このッ!」
「――――マナ、危ない!」
祈るような声が、後ろから聞こえて。
最後の一人となった男が、闇雲に振るった刃が。
キィンと高い音を立てて――――掴まれていた。
(は? マナ……? え、ほんと?)
確かに、眼前に皇女の後ろ姿があった。別に様子がおかしかったりはしない。ただ一つだけ。
――――彼女の金髪縦巻きロールが、剣を受け止めていた。
「お姉さまを追い回す、悪漢どもめ……」
エミリアの後ろから、何か輝きがマナに向かって流れ込んでいる。振り返って見れば、胸の前で手を握り締めたアイーナから、虹のような光がさぁーっとかかって。
「なに、なんだ、おまえ」
眩いオーラを纏ったマナを目にして、賊らしき男が慄いていた。
剣を掴んだ髪が、ぎゅっと握り締められ。
刃が、砕け散る。
「成敗ッ!」
もう一房のマナの髪が、どすっという音を立てて男の腹に突き立つ。男は白目を剥き、前のめりに倒れ込んだ。
(なに、これ)
エミリアとガレットが見つめる中、姉妹の虹の光が霧散していく。
「マナ!」
「お姉さま!」
振り向いたいつもの皇女と、後ろから彼女に駆け寄ったもう一人の皇女が、ひしと抱き合った。エミリアは。
(どういうこと? 全員殴り倒されてる……さっきみたいに、髪で? 加護? 加護のスキルとはいったい……?)
「何が起こったのかしら、これ」
「私に聞かないでよ、ガレット」
真昼間の追走劇の顛末に、目を白黒とさせ、半笑いを浮かべていた。




