08-14.彼女の初恋。
エミリアが王都から帰還して、一夜明けて。朝食の席には、エミリアとその家族、さらにイリスと。
「うっま。卵とろっとろでおいしい……!」
皇女アイーナがいた。マナやディアンは別室である。エミリアが頼み込んで、しばらく自身のそばにアイーナを置いてもらうよう、取り計らってもらったのだ。
(この感情と関係性の火薬庫を、野放しにできないしね……というか)
もちろん、昨日のディアンと彼女の接触を反省してのことである。しかし。
エミリアは右隣のアイーナを、ちらりと見てから。
(なんか、イリスからの視線がきついような……? 昨日は目もくれないって感じだったから、見てくれるだけマシ……?)
左隣のイリスを見る。だがすぐに、目を逸らされた。新たな火種の予感がし、ため息を無理やり飲み込む。
(昨日は、疲れてるって感じだったけれど……今日はなんだか、機嫌悪そう。やっぱりほんとに、怒らせてしまったのかしら……嫌われ、たり)
先日、王宮の客間で我慢の限界に達し、エミリアはイリスに口づけを迫ろうとした。それを拒否され……以来、一言も口を聞いていない。目も合わず、1m以内に近づかせてもくれなかった。
暗くなりそうな顔を無理やり取り繕い、エミリアは視線を上げる。
(気持ちを、切り替えましょう。今は何言っても、拗れそうな気がするし)
ナプキンで口の端を拭いている当主を見つめ、様子を窺いながら口を開いた。
「委細は昨日、説明いたしましたが……これからはいかがなさいますか? お父さま」
「王家とは、公式の使者でやり取りをする。もちろん、十二分な護衛をつけてな。その上で独立記念式典を前に、一度会談を行いたい」
(公式と言うことは……お兄さまが立たれるのね。私は復籍してもらえるけど、対外的な周知がまだで、当分は勘当中って思われるだろうし)
エミリアは兄サイクルをちらりと見る。彼は妹の視線に気づいたのか、口元に笑みを浮かべてから、優雅にカップへ口をつけていた。
「ではそちらでお手伝いできることは、なさそうですね。復籍に関しては」
「もう済ませてある。法治の件は、早速ディアン殿らが手を着けているぞ」
「わかりました、我々も参加いたしますので。イリス」
「承知いたしました、エミリア様」
一言だけ、愛する人から冷淡な声が返った。エミリアは。
(はぁぁぁぁぁーっ、きゅんきゅんするッ! キリッとした声、イイ!)
平静を取り繕いながら、内心で萌え悶えていた。
(っと、いけない。こういうのがいけないのよ……我慢我慢。そして冷静に……もう一つあるんだった)
深く細く息を吐き、エミリアは姿勢を正す。
「お父さま、あと一件。精霊工学の影響とみられる現象で、一時行方不明となっていたアイーナ皇女は復活されました。現象の解明は、今日からジャクソン教授らと行いますが……対外的には、彼女を皇女だとは扱わないでください」
「それはなぜだ、エミリア」
父に静かに尋ねられ、エミリアはアイーナに視線を向けた。彼女はその黒い宝石のような瞳を、丸くしている。
「帝国法では、一度死亡届を出したら覆せないのです。処刑されたアイーナは生きていようとも人間として扱われませんし、名誉の回復も行われません」
「なんとっ!? それ私、どうなっちゃうの?」
「どうとも」
驚くアイーナに対し、エミリアはどうしょうもないと静かに首を振った。
「帝国に入れないこともないですが、外国人扱いです。根無し草の冒険者たちに近いですね。ただ精霊教もアイーナ・ジーナの死亡を、帝国から通知されてるはずですから……公国が新たに人として、身分保障をした方が良いとは思います」
「言ってはなんだが、そこまでする利益はあるのか? エミリア」
死んだはずの皇族に肩入れする……この件が知られた場合。皇帝ヘリックは理解を示そうとも、帝国貴族や周辺国は、良い顔をしないだろう。公国にとって、メリットのある話ではない。
だが。
「ジャクソン教授の助手としてなら、十分すぎるほど」
アイーナという人物そのものには、それを補って余りある資質があった。彼女はスキルによって、他者や物に祝福を与えることができる……精霊のようなことが行えるのだ。使い過ぎは禁物だが、使い道はいくらでもある。
「……なるほど。新たに門外漢の人員を当てるより、当面はよかろうな。当主として、認めよう」
「ありがとう存じます、お父さま」
メンターの許しを得て、エミリアは内心、胸をなでおろす。
王国と公国の関係に手を出さなくて良いなら、エミリアが当面行わなくてはならないのは、公国の法整備だ。同性婚を可能にするための措置を入れ込みつつ、公国が法治国家としてやっていける地盤を整えなくてはならない。そしてそれとは別として……復活してしまったアイーナの処置もまた、急務であった。その身分が最低限保証されたのであれば、次は。
(さて……まずは研究室ね。ジャクソン教授あたり……マナとも、少し話をして、と)
彼女の人間関係が問題である。まだ元気に朝食を食べ続けているアイーナを見て、エミリアは少し口元を歪めた。
(いずれはディアンとも、引き合わせないと。あのままはいくらなんでも、忍びないわ)
姉を慕っていると言っていたマナ皇女。そして近いことを述べていた上に……アイーナを処刑するきっかけを作ったと思い込んでいる、ディアン。もちろん、エミリアが手を下さず、放っておいてなるに任せてもいいだろう。彼女に責任は、ない。
だが。
(せっかくできた友人たちが、辛い想いをしていたら……寝覚めが悪いものね。死んだと思った人が帰ってくるなんて、奇跡のような一大事。ハッピーエンドで終わってくれなきゃ、損ってものよ)
エミリアの素直な善性が、傍観を許さなかった。
☆ ☆ ☆
朝食の後。
(さて……イリスやガレットたちのところは、まだいけないわね。ディアンがいるし)
爆弾を放り込むにはまだ早いと、アイーナを連れ立ってエミリアは屋敷をうろつく。
「どこ行くの? エミリア」
「ジャクソン教授のとこ。マナもいるかもだけど……」
年上とは思えない、人懐っこい犬を思わせる皇女を横目でちらりと見て。
(教授とアイーナは聞いた感じだと、ただの師弟って印象。だからここはいい……いや、精霊工学の重要性を考えると、ほっといちゃだめなんだけど。どちらかというと、マナのことね)
いつか嘆いた友のことを思いだし、エミリアは奥歯を噛みしめた。
(あの子、アイーナのこと好きなのよね。私とイリスみたいに、きっと)
同性でしかも姉妹となると、さすがにエミリアもどうかとは思う。だがイリスと結婚しようとしている彼女が、どうこう言える立場ではない。止めるくらいなら、なるに任せるか、背中を押すか。まず必要なのは。
(この火薬庫。聞いた話と実際の態度を踏まえると、本当に無自覚系ハーレム主人公なのよね……それが許されるのはフィクションの中だけよ。スキル持ちが病んで発狂するこの現実を思うに、介入やむなしだわ)
アイーナ自身の矯正、である。
「アイーナって、好きな人いるの?」
エミリアは何の脈絡もなく、突然そう聞いた。反応を見つつ、探りを入れようという腹であったが。
「……………………アイーナ?」
振り返る。いつの間にか、アイーナが足を止めていた。なぜか震えていて、顔が真っ赤である。
「すすすっすすすすすすすきになんてなるわけないでしょ!?」
(何その反応。っていうか、そんな聞き方はしてないんじゃが?)
皇女、語るに落ちすぎであった。「特定の誰かに対して、恋慕の情を抱えそうになっている」と白状され、エミリアはにやりと笑う。
「あら、意外。誰彼構わず愛想を振りまいて、篭絡しといて無自覚……なのだと思っていたけれど。誰か好きになっちゃったんだ?」
「なってないっ!」
「なぁに。誰よ、誰よ。喋ったりしないし、応援するから。教えてよアイーナ」
「喋らないいらない教えないっ!」
彼女の反応が若干楽しくて、エミリアはにじり寄る。アイーナは後ずさる。赤い顔を両手で覆い、彼女は頭から湯気が出そうな勢いだ。
そこへ。
「お姉さま!」
アイーナの後ろから、声が掛かった。
「んきゃああああ! 違う、マナ違うのぉ!? わた、私は!」
「…………お姉さま? どうされたのですか? お顔がとても赤くて」
「なんでもないからぁ! 私は大丈夫です!」
アイーナがさらに錯乱しつつある。エミリアはその様子を見て。
(うそぉ…………)
まさかの展開に、顔を引きつらせていた。




