08-12.悪役令嬢の帰還。
翌朝。
腫れた目元や顔を、なんとか化粧で誤魔化し――エミリアは国王と王妃に別れを告げた。ガレットにスキルで〝返事〟を覚えてもらい、三人で城門前へ。あらかじめ出しておいた精霊車に。
「わたし、疲れてて。休みたいので、後ろ乗りますから。ガレットさん、代わってください」
イリスがそうぽつりと零して、素早く後部座席に乗り込んだ。しかもすぐ横になり、顔を伏せてしまう。
(イリス……)
瞳が揺れそうになるのを、エミリアはなんとか堪えた。起きてからも、イリスとは目も合わず、声も掛けられず……気まずいまま。じっとこちらを見ていたガレットが、ドアを開けて運転席に入る。エミリアも扉に、手を伸ばし。
「――――行け、早くしろ! 必ず見つけ出せ!」
そんな、男の声を聞いた。遠く、城の裏手の方だ。よく見ると豪奢な装いの青年が、数人の男たちに何やら命令しているようだった。
(セラフだ……手紙を空の便箋に入れ替えたの、もうバレたのかしら)
見つからないうちに、とエミリアも車に乗り込む。
自動運転の精霊車が、ゆっくりと石畳の上を走り出した。
(イリス……)
後部座席を振り向いてみれば、恋人は本当に寝ているようで……エミリアは彼女の姿を見ると、ぎゅっと胸が痛くなった。
(我慢、できないなら。少し、距離を、置いた方が……)
涙が零れそうで。誤魔化すように、エミリアは窓の外を、眺めた。
☆ ☆ ☆
「――――ア。エミリア。そろそろ領都に着くわよ」
「ん……」
声。微妙な揺れ。赤い眩しさ。眼球に、少しの暖かな空気。開いた目は、幾度か瞬いて。フロントガラス越しに、夕暮れの広い空が見える。その赤と、僅かな白と、少しの黒の中に。
(なに、あれ。竜…………?)
小さな影が、見えた。竜だと思ったのは、首が長く見えたからだ。翼を広げ、飛んでいる小さな影。どうもかなり遠く……上空を飛行しているようで、小さく見えるのはそれゆえのようだった。実際には、以前帝都で見た精霊竜ほどの大きさかもしれない。
(え。なんで竜が? 領都上空に? 竜鳥ですら、稀にしか人里の空には来ないのに……竜なんて、いったいどこに現れたんだろう。一大事、じゃ)
空のシルエットを眺めるうちに、エミリアの頭は急速に目覚めていく。なんとなく、腕を掲げて体を伸ばす。気持ちの良い震えが、上半身を駆け巡った。
「私、寝てたの?」
「ん」
右隣を見れば、なぜかガレットが自分の目の下を指さしている。ハッとしてこすろうとし、触れたところで化粧していたことを思い出した。座席前からダッシュボードを引き出し、その上に〝積載〟のスキルの中から取り出した、手鏡や化粧道具を並べる。
(涙のあとひっど。でも顔のはれぼったさはなくなった……よく寝たの、かしら。三日ぶりくらい?)
手早く痕を隠しながら、エミリアは小さくため息を吐く。なんとなく後ろを振り向いてみれば、イリスがだらしなく眠っていた。仰向けで、少し口の端によだれが垂れている。着衣も乱れ、どうもぐっすり寝付いているようだった。
(かわい――――いやいや。こういうのが、よくないのね。頑張らないと)
エミリアは思わず食い入るように見つめそうになり、顔を背ける。頬に少しの熱を感じ、目を閉じて呼吸を整えた。
(イリスもきっと、頑張ってる。結婚までは控えたい、って言ってたし。昨日も、何か辛そうだった、し。きっと何かあるのよ……何か。私が嫌われた、わけじゃ)
目と鼻の奥がつんとした気がして、歯を食いしばる。化粧道具をさっと片づけ、今度は水のボトルを取り出した。口をつけ、中身を飲み込む。もう一本を取り出し、ガレットにも差し向けた。
(そういえば、ガレット……朝から、何も言わないわね)
静かに受け取る彼女の緑の瞳を眺め、エミリアは薄く笑みを浮かべる。
「どうしたの? エミリア」
「聞かないでいてくれるの、ありがたいなって」
「イリスとのこと?」
エミリアは小さく頷く。すると、ガレットは首を横に振った。
「聞けなかっただけよ……ごめんなさい。私が余計なことを、したばっかりに」
「えっ、いやいや。そんなことないわよ。二人っきりにしてくれたのは、ありがたかったの。ただ」
頭を下げる友に、エミリアは慌てて両手を振って否定する。悪いのは自分だ……そんな思いが、根強く頭の奥底にあった。
「イリスは……結婚までは嫌、みたいで」
「女同士なのに?」
「子ども作れるようにするんだって」
「どうやって? どっちかが男性になるの?」
矢継ぎ早に問い返され、エミリアは首を振る。
「それはー……わかんないけど。イリスは教えてくれないし」
「ふぅん……イリス、何か疲れてるし。昨日も、微妙に私から距離をとっていたし。もしかして今、何か試してて、大変なのかもね」
何か納得したように言って、侯爵令嬢が水を飲んでいる。エミリアは思わず、眉根を寄せた。彼女の言う「何か」や「大変」が、まったく想像つかない。
「距離を……? というか、大変って、何よ」
「さぁ? でも我慢するの、殿方の方が大変だとは、言うでしょう?」
(えぇ~……? イリスが? スキルか何かで性転換? まさかぁ)
またちらりと、後部座席を見る。寝息を立てるイリスの胸元が、上下していた。服越しでも、そのふくらみは、確かで。
(ないでしょ。胸とか、そのまんまっぽいし。ちょっとイリス、ごまかせるサイズじゃないし)
エミリアは大きく、首を捻った。
☆ ☆ ☆
一昨日と同様、車を仕舞って領都正門をくぐる。迎えの馬車に乗り、公爵邸へ。日が落ちるギリギリ前、であったが、今回は当主自らが出迎えた。
「ご苦労であった、エミリア」
「はい、お父さま。国王陛下とは意思疎通が図れました」
しっかり寝たせいか、エミリアはすっきりとした頭で言葉を紡ぐ。イリスが気になるということもなく、心は落ち着いていた。
「謀略の主犯も判明し、証拠も手に入れています。今後の段取りについては、またしっかりとご相談したく思います」
「なんと、そこまでか……さすがだな、エミリア」
今回の手柄に関しては、間違いなくエミリアが手を尽くした結果なので……褒められて逃げることも叶わず、エミリアは照れを見せる。誤魔化すように咳払いし、口を開いた。
「く、詳しくはガレットがスキルで起こします。ただすでに数度使用しているので、少し休ませてあげてください」
「あいわかった。概要だけ知ることができれば、それで構わない」
「公爵閣下、先に一つだけお話が」
エミリアが言及したガレットが、進み出る。彼女が訴え出たのは。
「本件には、レモール国の諜報員が関わっているとみられます」
公爵領でのかの国の諜報活動について、だった。
「それで。我々がこちらに雇っていただいてすぐの頃、セラフ王子が訪れたと記憶しております。結構な数の、使用人も連れて」
(えっ。そんなことあったんだ。やっぱりこちらにも根を張ってたってこと?)
エミリアはつい嫌そうな顔をする。家に土足で上がられたような、おぞけを感じた。
「ああ、その通りだが……まさか」
「はい。当時……彼らが来た時と、去る時。私は両方目にしているはず、なのですが。人数が違ったような気がして」
「この街にまだ、手の者が残っていると?」
「〝才の庭〟もしくは、烈火団で調査すべきと、進言させていただきます」
ガレットが胸を張って告げている。メンター公爵も頷いており、エミリアは少しほっとした。
「…………そうだな。手を付けられる者から、向かってもらおう」
「お聞き入れいただき、感謝いたします。閣下」
(……いまさらながら、ガレットたち滅茶苦茶信用されてるわねぇ。お父さまが即決されるなんて)
友を頼もしく眺めながら、エミリアはそっとほほ笑む。今日は出迎えに来ていないディアンたちも、きっと忙しく働いてくれているのだろう。
「とはいえ、ガレット嬢も……もちろん、エミリアとイリス嬢も。まずは休みなさい。できれば、事態が収まるまでは逗留していてほしいが……今すぐ、何かをせねばということもないだろう」
「ありがとうございます、お父さま」
エミリアは礼を言って頷く。
その時。
「竜…………」
さっと、日差しが陰った。見上げると、車の中で見た竜が、東から西に向かって飛んでいる。相変わらずかなりの高空だが、形を見ると確かに鳥ではなく、巨大な竜だった。
(精霊竜には翼がないから……あれとは違う、のよね。色が白い……そんなのいたっけ?)
「昨日から、この辺りを飛んでいるようでな。だが飛び回るだけで、何もしてこない。烈火団曰く、見たこともない竜種だそうだ」
父の漏らす不穏なコメントを聞き、エミリアは視線を下げ、彼を見る。
「そうなのですか。さすがに民が、不安を覚えそうですが」
「ああ。今は捨て置いているが、郊外で撃ち落とす作戦を検討中だ。それまでにどこかに飛び去れば、それでもよし」
(嫌ね……竜絡みは、トラブルの予感しか、しないわ)
エミリアはそっと、胸元のブローチを握り締める。そこにあしらわれているのは、〝竜鳥の涙〟。竜の血を引く大鳥が、産卵の際に零すものである。
(イリス……)
同じように、おそろいのブローチに触れている恋人が、目に入って。
しかし彼女に、目を逸らされて。
エミリアは小さく。息を呑み込んだ。
そこへ。
「ちょ、ま、まって! 待ってお姉さま!」
高く、大きな声が邸の中から響いた。
(マナの声? どうしたのかしら……というか、お姉さま?)
扉の隙間から、何かが駆けて来て。
そのまま、大きく飛び立ち。
階段下の、エミリアに。
「え、え? うえあっ!?」
「エミリアー!」
のしかかってきた。
さすがに支えきれず、地面に倒れる。歯を食いしばって衝撃を堪え、腕で体を支えて起こそうとした。その眼前に。
「やっと会えたわ! エミリア!」
どこかマナに似た顔立ちの、黒髪黒目のお嬢様がいた。さっぱりとした短髪で、瞳が大きく切れ長で、活発さが窺える。肌が妙にぷるんとしていて、うるおいたっぷりで白い。彼女の向こうには、あわあわしているマナ皇女や、殺気立っているイリスが見える。
だが見覚えのある女性の存在に、エミリアの意識は釘付けだった。
(この、人。前に、スライムに入られたとき、見た――――まさか!?)
「初めまして。悪役令嬢エミリア?」
彼女が囁いた一言で。
エミリアは目を見開き、凍り付いたように身を固めた。




