08-11.昂りは限界を迎えて。
客間のバルコニーから窓を開け、部屋に入る。後ろ手に窓を閉め、エミリアは顔を上げた。澄ました顔だが心配そうな雰囲気のガレット、泣きそうな表情のイリスが出迎える。
「エミリア様……!」
近寄ってくるイリスを見て、エミリアはふっと頬を緩め。
「え――――エミリア様!?」
がくり、と膝をついた。
(あ、れ? 私……疲れたの、かな)
頭がふらつき、視界が定まらない。額に手を当てるも、触っている感覚が薄かった。
「エミリア様!」「エミリア……」
霞む視界に、しゃがんで自分を支えようとしてくれているイリスと、同じく覗き込んできているガレットが映る。
「だい、じょうぶ。今日はわりと、スキルつかった、し。寝て起きれば」
「そう、ですね。遅いですし、休みましょう」
イリスに肩を貸され、エミリアはなんとか立ち上がる。腰に力が入らず、太ももと膝が震えたが、寝台までは辿り着くことができた。腰かけ、深く息をする。
「セラフ、王子は。手紙をすり替える、スキルの持ち主、みたい。元の手紙を、保管、してた。ただの便箋と、すり替えて、きてやったわ」
「…………なるほど。内容を書き換えるのではなく、すり替える。事前に偽の手紙を用意しておかねばならない、ということね。だからこそ、謀略に朴訥さが見えた」
「けれど、手紙がいつどこで、誰にどんな内容で宛てられるか……これは別途知らないといけないのでは?」
膝に肘をつき、頭を押さえ、揺れる視界がおさまるのを待ちながら……エミリアは思考する。セラフ王子が手紙すり替えで謀略を行ったとすると、その前提として十分な諜報網が必要になる。顔を上げ、イリスの瞳を覗き込んだ。
「諜報員を、連れて、きてるでしょう。もしかすると、公爵領や、帝国にも」
「いそうね。向こうに帰ったら、あぶり出さないと」
「迅速に動いたことが、功を奏しましたね。エミリア様」
褒められ、くすぐったい気持ちになりながら、エミリアは深く息を吐く。イリスが体を支え、ベッドに横たえてくれた。素直に甘え、目を閉じる。世界が回っているかのように、ぐらぐらした。
「イリス。隣の部屋にもう一つベッドがあるから、私はそちらで休むわ。何かあったら、呼んで」
「わかりました、ガレットさ……え? こっちにもベッドは十分――――」
「ちゃんと看病してあげて。エミリア、たまにすごい目をしてあなたを見てるわよ?」
「っ、それは、その」
思わず開けた瞳が、遠くなるガレットの背中を見る。この客間はいくつかの部屋に区切られていて、その一つの個室に向かったようだ。結果、戸惑うイリスとエミリアが、二人残された。
エミリアは。
(――――友達と恋人に、ガン見してたことバレてました。死のう)
光の消えた目で、天井を呆然と眺めた。
☆ ☆ ☆
弱い風の音が、時折窓を叩いている。ぬるいが、暑くはない……そんな時間が、随分流れた。
(……………………この後に及んで眠れないとか、こんなのってある?)
エミリアは諦めて目を開き、どんよりとした瞳で暗い部屋を眺めている。
(……いや、あるか)
その首が傾き、左を向いた。一日動き回って、少しもったりした金髪の後ろ頭が、見える。あまり大きくないベッドで、イリスが一緒に……背中を向けて、寝ていた。
確かしばらくは、端に座っていたはずだ。だが疲れたのか、気づいたら彼女も横になっていた。なぜ向こう側にあるもう一つのベッドではなく、同じ寝台にいるのかは……よくわからない。
そんなイリスは、夜着ではないが薄着で、楽な恰好をしていて。
服越しにも、体のラインがわかって。
(――――背中えっろ)
エミリアの目は充血のあまり、血の涙が出そうになっていた。鼻の奥の毛細血管も、いつ切れてしまうかわからない。
(鍛えられた肉の厚みと丸みが両方わかってお得感がすごいですよこれは……おしりからふとももが特にすごい。たくましさ万歳)
荒くなる息、動きそうになる体を、必死になって抑える。丸二日起きていることに加え、その間はまったくイリスと触れ合えていない。興奮のあまり神経がよじれるような不快感を覚えつつ、エミリアは寝返りを打って横を向く。
「んぅ…………」
「ッ!?」
イリスの体もまた、動いた。上半身だけがひねられ、仰向けになる。彼女の右腕が、布団の中に架かる細い橋のように、横たわった。手のひらが天井を向いており、細い指が……どこかいざなうようで。
エミリアはその目に。
(イリス……私)
大粒の涙を、溜めた。
(我慢するの――――つらい)
鼻を鳴らした拍子に、雫が零れ落ち、枕を濡らす。
(結婚まで、我慢なの? 触れても、いけないの? それはあと……どのくらい? 一年? 二年?)
はぁっと吐き出す息が、彼女の指にかかる。
(こんなに、近いのに。こんなに、愛しいのに。こんなに大事に……してくれて、いるのに)
イリスの、親指の先を。
(――――とっても、つらい)
そっと、唇で食んだ。
きゅぅっと、胸の奥が、締め付けられるようで。
切なく、寂しさが溢れる。
「イリスぅ……」
零れた言葉が、彼女の手に届く。
エミリアは自らの声の行方を追いかけるように、顔を、首を、肩を、腰を起こした。疲れた体は、少し震えて。濡れた視線は、イリスの手、腕、肩、髪、頬を辿り……半開きの唇と、薄く青が見える目に行きつく。エミリアは左手を、イリスの投げ出された右手に重ねる。指を絡め、吐息を漏らし、腰を進める。右手で彼女の左肩を撫で、その顔を見降ろした。
「だめ、なのに。こんなの、イリスに、嫌われる……」
寝ぼけているのか、握った手が握り返された。エミリアはじっと、イリスの瞳を見つめる。彼女の眉根が寄り、半開きの唇が艶めかしく動いて、瞼が薄く――――開いた。
「ぅ…………エミリア、さま?」
「イリス――――ごめん」
目を閉じる。
左手で、彼女の手を握り締める。
右手で、彼女の肩を押さえる。
腰が震えそうになりながら。
ゆっくりと顔を下ろして。
唇の位置は――――見なくてもわかった。
「ダメッ!」
声にハッとした瞬間、手が離れる。肩がすり抜ける。彼女の体温が、遠ざかって。
「どう、して」
エミリアは呆然と呟く。ベッドから降りて立ち上がり、上着の裾を手で持ち、内股でイリスが……エミリアをじっと見つめている。その顔は、暗闇でもわかるくらい真っ赤で。
今にも、泣きだしそうだった。
愕然とし、唇をわななかせる。目を震わせ、自分のしでかそうとしたことを顧みる。取り返しのつかない行いが、エミリアの息遣いを引きつらせた。
「ぁ…………わた、し。ごめん、なさ――――」
「ごめんなさい! わたし、あちらの部屋で寝ます! おやすみなさい!」
イリスが背を向け、内股で腰が引けたまま歩み去る。彼女も疲れて寝ていたところだったろうにと、扉の向こうに消えるのを見送って。
エミリアは力を失い、うつぶせに倒れ込む。
「ぃゃ……こんな……きらわない、で……イリス、イリスぅ……」
体を震わせ。声を抑えて。眠ることなく。
窓から光が指すまで、ずっと。
すすり泣き続けた。




