02-04.チートヒロイン。
よく見ると御者台がなく、紺の車体はレトロな自動車にしか見えない。素っ頓狂な声を上げ、エミリアは呆然と見つめる。しばらく見てから、ハッとなった。
(あ、あー……そういえばこのゲーム、〝2〟の舞台の帝国とかで、普通に車出てたわ。動力はガソリンじゃなくって、精霊なんだっけ。どうやってか、人じゃなくて物に祝福を与えることができるって……)
「いいでしょ、アイテールっていうんです。この子」
後部にトランクルームもついていて、イリスがそこを開けて、中にカバンを放り込んでいる。
「ご覧になるのは、初めてですか? 王国じゃまだ、珍しいですからね。精霊車」
呆然としていると、手を差し出された。カバンを渡すと、エミリアの分も詰められる。
「どうぞ、エミリア様」
回り込んだイリスが助手席の扉を開けて、誘う。中年紳士の前を軽く頭を下げながら通り、エミリアは座席に体を滑り込ませた。
(馬車より……座りやすい。日本の乗用車……高級車? みたい。乗ったことないけど。……ふかふかだわ)
座席に背を沈ませて、無意識にシートベルトをしようとし……そもそもベルトがあることに驚く。ハンドルやペダルのない運転席に目を剥きながら、エミリアはベルトをかちり、と締めて深く息を吐いた。
向かって右、運転席?側の扉が開く。
「帝都なら、三番街の黒猫通りにある〝アロンド商会〟ってとこに持ち込むといい。商会のフリをしてるが、精霊車の工房だ。そこなら整備もできる」
「ヤバイところじゃないよねぇ? そこ」
「俺の古い仲間がやってるとこだ。少なくともスラムの店とかじゃねぇよ」
「ヤバイとこじゃない――――ありがとう。またね、おっちゃん」
「おう」
イリスと紳士のやりとりをぼんやりと耳にし、エミリアは彼女が座るのを待った。
「ぉ。ベルト、してくれてるんですね。ないと思いますけど、事故のとき大変ですから」
「え、えぇ。どうしたの、精霊車なんて。確かその、禁輸品じゃなかった?」
「ええ、だから」
かちり、とイリスがベルトを締めた音がする。言葉を切った彼女が、にやり、とした笑みを向けてきた。
「わたしが作りました」
「そう…………えぇぇ!?」
狭い車内に、エミリアの叫びが籠ったように響く。きょろきょろと車内を見ているうちに、ゆっくりと車が前進を始めた。
「動く!? ほんとに動いてる! イリスが作った車!? 本当に!?」
「本当ですし、動きますよそりゃ」
「全然揺れない……馬車よりガタガタしない……」
「精霊がうまいことやってくれますから」
「ちゃんと角曲がった!? イリスも運転してないのに!?」
「運転って……自転車じゃないですし。精霊車は全自動ですよ」
(じ、自動運転車……知らない世界だわ。ここファンタジー? 近世というより、近未来……?)
車はするすると裏手に回り、そのまま路地を走って通りに出る。浮遊感にも似た乗り心地に、エミリアは大いに戸惑った。
窓の外には、怪訝そうな人々が映っていて。
『間違いない! 〝万才の乙女〟だ!』
『乗ってるぞ、捕まえろ!』
『引きずり出して、ジーク様に献上するんだ!』
(はぁ!? しまった、追いつかれて……!)
外から声が聞こえ、エミリアは反射的に窓に張り付き、視線を走らせる。通りに何人か少年の姿が見え、彼らはこちらを指さし、あるいは走って回り込もうとしていた。
その腰には――――剣が下がっている。
「ひっ!」
剣を突き入れられることを想像し、エミリアは窓から離れて慄く。
『こんなもの持ち出しやがって! おい、止まれ!』
『構わない、壊して降ろせ! 多少痛めつけても構わないと言われてるだろう!』
窓を破られ、扉を開けられ、ベルトを切られて引きずり出される――――〝その後〟も含めた嫌な未来が脳裏をよぎり、エミリアは震える手でドアのカギを確かめた。
剣を抜く少年たちは、まだゆっくりめに走っている車と、並走している。人々の悲鳴もまた、車内まで聞こえてきた。
「イリス、イリス! ど、どうし、どうしよう――――」
後ろに手を彷徨わせ、エミリアは素早くイリスを見て、そしてまた振り返る。一瞬見えた、運転席の向こうの景色を思い出して、また振り向き――――。
「イリス!? 危ない!」
彼女に飛びつき、抱き寄せた。窓の向こうに、剣を振り上げている大柄な少年がいて。
彼は走りながら、両手でもった剣を。
振り回した。
ガンッ、と大きな音が響き……思わず首を竦めて、目を瞑る。
…………だが、それっきりだった。
「エミリア様、ちょっとくるしいです……」
「ぁ、ごめん、なさい……あれ?」
腕の中の声に思わず目を開いてみれば、赤い顔のイリスの姿。顔を上げると、運転席の窓の向こうには、誰もいない。
また悲鳴と……ガンッという音が、今度はもっと近くから聞こえた。慌てて振り向くと、少年の血走った瞳と、目が合う。剣を振り抜いた姿勢の彼が、徐々に車から離されて行って。
『くそっ!』
後方で少年が苛立たしそうに、曲がった剣を地面に投げつけていた。
エミリアはイリスから手を離し、前を向き、席に背を預けた。
目を何度も瞬かせてから、ゆっくりと運転席側を振り返る。
「どうなってるの……?」
「これは精霊車。それこそ祝福を受けた聖剣とかでもなければ、傷つきませんよ」
(早く言ってほしかったわ、そういうこと……)
深く、肩で息をする。車は速度を上げたようで、窓から見える景色が早く流れていた。明らかに家屋も少なく、荒れた光景が続く。市壁正門ではなく、壁が崩れているというあたりを、抜けるつもりなのかもしれない……エミリアはそんなことをぼんやりと考えながら、そっとドアに触れた。
(これを……イリスが作ったの? 作れる、ものなの?)
感触を確かめるように、何度か撫でる。
「すごいわ…………」
ぽつり、と声が漏れ出た。
「すごいですよね、精霊車」
「違うわよ」
「へ?」
エミリアは右を向き、じっとイリスを見つめる。彼女の桃色の差す瞳と、胸元のブローチが……おそろいの〝竜鳥の涙〟が目に入った。
「すごいのは、あなたよ」
体を伸ばす。手を伸ばす。戸惑う様子の、肩に触れる。背中に、頭に両手を回し、イリスを引き寄せる。
「ちょ、ちょ! エミリア様!?」
「すごい、すごいすごいすごい! イリスすごいわ! 私、知らなかった! あなた天才よ!」
腕の中に、〝万才の乙女〟を抱いて。
エミリアは大いに笑い、はしゃいだ。
子どものように、はしゃいだ。