08-04.不穏の中の帰郷。
(一睡もできなかった……)
翌日。アビリスの街を後にし、四人は自動運転の精霊車に乗って、王国を目指している。助手席のシートに深く体を預けたエミリアは、前方を眺めながらぼんやりとしていた。
(精霊工学は、ものにスキルを宿す。けどこれ、ジャクソン教授の講義で聞いた感じだと。別に生物は不可って話じゃ……ないのよね。イリスはいったい、どんなスキルを宿して私と、その)
エミリアの頭の中は、昨日イリスに聞いた話から広がる妄想で……いっぱいになっていた。「同性で子どもを作れる方法を準備している」とイリスは宣った。それが後になって、エミリアの脳にずん、と効いたのだ。
(しかも産むのは私。何されるのそれ。どうなっちゃうの……?)
興奮冷めやらず、とても眠れなかった。
「ぉ。見えてきましたよ」
運転席から、イリスの声がした。本を読んでいた彼女は、顔を上げている。今日は元気なイリスを見て、エミリアはほっと息を吐き。
(……………………ハッ。結局昨日も今日も、全然スキンシップしてない!)
どうでもいいことに気づいた。
(壁が薄いから昨日は何もできなくて! というか口を塞げばよかったのでは!?)
他の者が車から出る中、一人世界の終わりでも感じたかのように、がくがくと震える。
「ならば今――――ってものすごく人前!? マナと教授をとっとと押し込めて、また二人きりにならなくては! 決戦は、今晩……!」
「エミリア様ー?」
「いざ、行くわよイリス!」
「は、はい?」
ドアを開けて、エミリアは颯爽と車を降りる。精霊車を取り込み、まだ少し遠い市壁を睨んだ。
(ここに来るまで、争いらしきものもなかった! ディアンの言う危機とやら、さっさと片づけてやるわ!)
☆ ☆ ☆
市壁にならんだのが夕暮れ時。どうやら早馬が行ったようで、日が沈む前に迎えが来た。
「ディアン、ガレット! それにシアンサも」
出迎えは第三皇子、侯爵令嬢、そしてジャクソン教授の妹、メイドのシアンサだった。
「元気そうだな、エミリア……なぜマナが!?」
「帝都は落ち着きましたので、旅行です。ディアンお兄さま。ガレットも、久しぶり」
「はい、マナ様」
それぞれに皆、再会の挨拶を交わし合っている。
「兄さん、この格好で貴人の前にというのはちょっと……」
「半年ぶりに会った兄に対する一言目がそれかい? シアンサは……元気そうだね」
「はい。よくしてもらってます」
(そういえば……シアンサってたぶん、ゲーム上の二作目のヒロインなのよね? 〝無才〟だけど魔力があるっていう、私と同じような感じで……でも精霊具とかを取り込むんじゃなくて、他人に魔力を譲渡できるんだったかしら? 魔力を凝集した〝魔核〟を作り出した、教授の妹らしい能力よねぇ)
ジャクソン・ベルと、シアンサ・ベルの再会の様子をちらりと見て、エミリアはゲームの設定を思い浮かべる。彼女の知る乙女ゲームは、主人公に「名前がない」。それゆえはっきりとはしないが、才能のスキルを持つのが一作目のヒロインで、ジャクソン教授の妹が二作目のヒロインだった。
「そういえばディアン皇子、公爵家から直に雇われてるんですか? エミリア様の迎えに来るなんて」
「もう皇子じゃないんだが、イリス陛下。才の庭が丸々雇われてな……俺はまとめ役だ。いや、大した役には立ってないが」
「それはそうでしょうけれども。というか表向きはまだ皇子ですからね? わたしは皇帝辞めましたけど」
(ややこしい事情よね……元皇帝が我が公爵領に二人も来ているとは)
エミリアは半笑いをしまい込みながら、イリスとディアンが話しているところに割り込む。
「案内はありがたいけれど……そろそろ話してほしいわ。あなたが寄越した、手紙について」
「そうだな。馬車に乗ってくれ。中で話そう」
☆ ☆ ☆
「手紙がすり替えられてる?」
エミリアは思わず聞き返した。揺れる馬車の中はそれなりに音が響いており、少々声が大きくなっている。
「あくまで推測だ。互いの意見が食い違って、そうとしか思えない」
「公爵閣下と国王陛下でやりとりされた親書ですら、そうみたいで」
ディアンとガレットが応えた。エミリアは眉根を寄せ、腕を組んだ。
「それで緊張状態になってると? 公国独立発布を前に、領境に兵が待機してるって?」
「これみよがしにな。始まりはおそらく、独立記念式典への招待だ。これ自体は内々に、昨年から決まっていたらしいんだがな……」
(いちいち突っ込まないけど、その辺の私が知らない事情も話されてるなんて。才の庭のみんなは、公爵家でずいぶん重用されてるのね)
エミリアは感心しながら、話を聞く。公爵領が独立し、公国となること自体は、どうも円満に政治的決着を見たらしい。その記念式典にオレン国王が参加するということは、公国樹立の承認の証でもあり、同時に「公国の長である公爵の爵位を、オレン王国が与えている」という原点を示すためでもあるだろう。陸続きの領土の独立を認めるなど、珍しいことではあろうが……王国としては、いまだに魔物が跋扈する領域と接している公爵領を、本国から切り離したいという意図もあるようだ。
「だが何をどう間違ったのか、今や戦争前夜といった有様だ。どちらも、相手が攻め込んでくると考えている節がある」
「それはわかったけれど。それでどうして、私が近況報告で送った手紙に、帰ってこいなんて返事を寄越したのよ?」
ディアンがため息を吐く。エミリアは返事を待った。
「詳しいことは、公爵閣下に聞いてくれ。まぁ結局、信頼できる使者をどう立てるか、というところが問題でな。帝国出身の俺たちがやるわけにもいかない、公爵家の方々には万が一があったら困る」
「これが謀略なら、敵はきっと王家と公爵家の誰かが使者として立つのを、今か今かと待ってるでしょうしね……それ、私でも同じじゃないの?」
エミリアが返すと、ディアンが頬を緩める。
「同じなもんか。実態は違うとは聞いたが……お前がプラチナランクの戦闘スキルを持っているのは、変わりないだろう?」
「おっと。それは確かに。ありがとう、ディアン。事情はおおよそわかったわ」
エミリアは呟いてから。
(……少し、拍子抜けだわ)
馬車の窓から、街を眺める。見慣れたというほどではないが、領都大通りの賑わいには覚えがあった。もう日も暮れる頃だからか、酒場や飲食店が活況なようだ。とても……争いが迫っている場所には、見えない。
(検問も普通で、まったくピリピリしてなかった。そうでなきゃ、この小山の上に〝徒歩で荷物を持ってきた〟私らなんて、不審だから取り調べを受けるわ。街はどちらかというと、豊かさと独立前の空気で浮足立ってるわね……領境の兵がいるにしては、呑気すぎる。その王国軍も、何かわけがありそうだわ)
エミリアは正面のディアンから視線を外し、流した。反対の窓際。マナとシアンサが間に座っており、エミリアからは見えない。
(竜殺しもいるし、確かに私たちで行った方がいいわね……スキル使用は、本当は控えたいけれど。事態が事態だし。けどそんなことより)
少しだけ頬を膨らませてむくれ……エミリアはすぐに、表情を隠した。
(なんで私の隣じゃなくて! 離れたところに座ったし! 密着のチャンスが……イリス、イリスぅ……)
エミリアはうずうずと沸き上がる衝動を、胸元のブローチを強く握り締め、誤魔化した。
寝不足の彼女は故郷の危機を前にし――――まだかなり、色ボケていた。




