07-21.帝国でやるべきことを終えて。
帝都に出現した謎の竜。その騒ぎは――――あっという間に、忘れ去られた。
なぜなら。
「あぁー……もう疲れた疲れましたエミリアさまぁ」
「はいはい、イリス様。マッサージでもする?」
私室に入って二人きりになった途端、イリスが抱き着いてきた。
「もう様付けいりません! マッサージの前に、ベッドでぎゅってしてください」
エミリアは彼女の膝裏に手を差し込み、抱え上げる。
「そうね。皇帝業、お疲れ様」
「もう二度とやりたくありません」
ヘリック皇太子は、第七十九代ジーナ帝国皇帝に就任した。イリスは皇帝では……なくなったのだ。もちろん、今日付けで皇太子補佐官としても解任である。
隠居させられた先帝トーガスタから引き継ぐ形で、ヘリックが電撃的に、そして大々的に皇帝となった。おかげでダンジョン騒ぎや、竜出現は……うやむやのうちに処理された。庶民は被害のなかった事件のことなどすっかり忘れ、お祭りムード。事情を知る者はすべて口をつぐみ、帝国がようやくあるべき体制に戻ったことに安堵している。
当のヘリックは、イリスが約束通り「帝国のスキル優遇主義を撤廃させる」ことを成し遂げたため、これからは責任をもって帝国を率いると豪語していた。また帝都封鎖からの一連の騒ぎの影に、ゾランダル第二皇子と、レモーナ国のセラフ王子がいたことも明らかになり――――まだ安心はできないものの、関係者はひと段落したと、胸をなでおろしている。
(結局……パニックを起こしたゾランダルがきっかけ。彼がアイーナの生成した〝魔核〟をせしめ、ジャクソン教授が作った〝魔核〟を盗み、始末しようとばらまいたことがすべてを招いた。トーガスタとセラフは、この動きに乗っかって謀略を働いていたにすぎない)
捕えられ、現在は軟禁状態にあるゾランダルも、今は大人しくしているという。むしろトーガスタとディアンが共謀して目論んだ、帝都封鎖周りのことを説明され……落ち着きを取り戻したのだとか。事情のすべてを把握し、今は自分の行ったことを反省して、取り調べにも協力的だという。目出度い皇帝就任の最中なので、罪には問わず、落ち着いたら解放の方向だそうだ。スキルの使用のみ、精神を不安定化させるという理由で禁じられると……エミリアはそう顛末を聞かされた。
(彼の〝透明化〟は強力だけど、その分精神に影響を与えやすいとか。今は医師の指導の元、安定しているのだそうだけど。不思議なものね……もっと強い力を持つイリスは、そんなことないのに)
ベッドにイリスを横たえ、エミリアはその隣に並ぼうとし。
「おっ」「また勝手にエミリア様に入ってたんですか……」
体の中からするりと出てきたスライムが、ぽよぽよと跳ねながらドアに向かっていく。隙間から出ていくスライムを眺め、エミリアは苦笑いを浮かべた。
「精霊竜の騒ぎのとき、取り込んでからたまに、ね……普段はマナといるんだけど」
もう幾日も前となったあの日のことを、思い出しつつ……エミリアはベッドに入り込む。すぐにイリスが身を摺り寄せてきた。彼女を強くかき抱き、甘えるように頬を寄せるイリスの頭を撫でる。
(結局、アイーナは……どこにいったのかしら)
イリスが、竜に倒された直後。〝魔核〟の一つを取り込んだスライムが、エミリアの中に入り込んで。その時一瞬、見えた光景。聞こえた声。ひょっとすると彼女が、消えたアイーナ第一皇女その人だったのかもしれないが。
(…………まさか、ね)
証拠は、何もない。スライムが自ら語り出したりでもしない限り、真偽はわからないだろう。
(あの時、イリスに力を与えられたのも……結局よくわからないし。なんか消化不良だわ)
わからないものから目を逸らし、エミリアはじっとイリスを見つめた。
「そういえば」
「なんです? エミリア様」
「大学は長期休みに入ったし、あなたは皇帝辞めたし。王国、そろそろ帰る?」
そう言ってイリスの顔を覗き込んでみると、彼女は見るからに嫌そうな顔をしていた。
「何よ」
「いやその……またジーク王子に追いかけられないかな、って」
「ドニクスバレットのことを信じるなら、それは当分ないでしょ」
彼と相棒のサル・ディーバードは、王国の現状などもたびたび話してくれた。ゆえあってエミリアたちとは一つ協定……〝約束〟を結んでおり、エミリアとしては彼のことを信じている。
「だといいですけど。あの一人と一匹は、どうしたんでしたっけ?」
「長期休みに入ると同時に、王国に帰ったわよ」
「ほーん」
(興味が薄いわねぇ……結構助けてもらったのに。まぁ向こうも、ジーク王子への報告があるとかで、別れも告げずに帰って行ったし。どのみち、また休み明けに戻ってくるけど)
彼らも別の密命で動いていたとはいえ、もののついででエミリアは幾度か助けてもらった。ジークにとち狂ってさえいなければ、頼りがいのある者たちである。
「話戻すけど。どのみち、私たちもオレン王国にはいかないといけないでしょ。忘れてないわよね?」
「あ、あー……ジャクソン教授。王国と言うか……パーシカム公爵領に連れてくんでしたっけ」
「あなたの発案じゃないの。彼を隠れ蓑にして、精霊工学を広めようって。彼自身は先の〝魔核〟と精霊竜騒ぎで、帝国にはいられないから」
「いつ誰にバレるかわかりませんしね、アレが彼の研究成果で引き起こされていたって」
図らずもその発明が「ダンジョンを生成できる」「精霊竜を作れてしまう」ということが明らかになったジャクソン・ベル教授は、エミリアの実家の公爵領……公国としての独立を控える、パーシカム領に引っ越すことになった。エミリアとイリスは、彼を連れて公爵家に一度帰るのだ。公国を「精霊工学」を広める中心地にしよう、という二人の目論見のためでもある。
イリスもまた〝魔核〟同様に、「精霊を物に宿す方法」を見出して実現している。これをイリス発案として広めると大変なことになるため、然るべき権威にその役を果たしてもらおうという狙いだ。
「教授の出身のレモーナに返したらきっと大変なことになるし、今後貴族が離反する可能性が高い帝国も庇いきれるとは限らない。教授の妹も公爵領にいるし、丁度いいでしょ」
「妹さん。シアンサ? でしたっけ」
「そう。ディアンやガレットと一緒に、元気にやってるみたい」
第三皇子ディアンと、帝国の侯爵令嬢だったガレット。そしてガレットのメイドのシアンサ。彼らはエミリアの勧めに従い、無事に公爵領についたのだそうだ。仕事をもらって充実した日々を送っていると……彼らから来ている手紙には、書かれている。
(私たちが帝国に来た頃からの騒ぎは……これでひと段落、か。いろいろあったわね)
「どうかしました? エミリア様」
腕の中の、青い瞳のヒロインを見つめて。
エミリアはゆっくりと微笑みを浮かべる。
「ううん。あなたと恋人になったのが……随分前のことのように、思えて」
「まだ半年も経ってませんからね……」
「これから、は。どうしよっか」
エミリアの問いに、イリスが眉根を寄せた。
「結婚。やろうと思えば、精霊竜ジーニアスを倒して。この国を改革することも、できるかもしれませんが」
「それはやめて。あなたが力を使いすぎて、どうにかなってしまうかもしれない」
少し食い気味に、エミリアはイリスに顔を近づける。間近で瞳を、覗き込んで。
「私は嫌よ。あなたが傷つき、苦しむのは」
「エミリア様……」
それからふっと、頬を緩めた。
「ダメ元で。お父さまにお願いしてみましょうか」
「お願いって。同性婚、ですか?」
エミリアは深く頷く、イリスはまた、眉間にしわを作った。
「オレン王国からもらっている公爵位を基盤に独立するなら、法は王国依存でしょうし……ちょっと難しいと思いますが」
「ダメ元よ。叶わないなら……旅に出ましょう。また、二人で」
イリスが目を丸くしてから、笑う。抱き返す彼女の腕に、力がこもった。
「大学は?」
「できれば、甘い学生生活を……もう少し続けたいわね。ダンス、今度はちゃんと踊りましょう?」
「はい、もちろんです。エミリア」
二人の、唇が近づき。
「イリス――――ふがっ」
その間に、何かが割り込んだ。
「ちょ、なに、なに!? くすぐった、ちょっと……」
透明なスライムが、エミリアの中に半分入り込んで。
にゅっと出てきた。
なにやら、細い筒を持ち出している。
「これ、〝おせっかいな爆弾魔〟じゃないですか。あれ、手紙が」
「手紙……? 誰のだろう」
蓋の筒が開き、中から折りたたまれた紙が出てきた。エミリアは紙を開く。額を付き合わせた二人の目には。
『公国に、危機迫れり。エミリア、イリスとも至急帰られたし』
そんな文章が、映った。
「…………ディアンからだ。なに、危機って」
エミリアはつい、胸元のブローチを握り締める。ふっと小さく息を吐き、奥歯を噛んだ。公爵領ではなく『公国』と書いている点は気になるが……どのみち、家族や仲間に危機が迫っているという点には、変わりない。
「エミリア様。出立の準備、しますか?」
優しいイリスの声が、耳朶を打つ。エミリアは顔を上げ、頷いた。
「ん。続きは車の中……ダメかッ! 教授連れてくんだった!」
「ふふ。ちょっとイチャイチャしづらいですね。見せつけても、いいんですよ?」
「よくないんだわ。服と水と食料! あと、ヘリックにも伝えないと!」
ベッドから起き上がり、エミリアはきびきびと動き出す。笑顔のイリスが、それに続いて。
こうして二人の旅立ちは、また唐突に始まった。
次の目的地は、エミリアの故郷。
パーシカム公爵領。否。
――――パーシカム公国。




