07-20.私の祝福を、愛しいあなたに。
遠くの山で精霊竜がもがき、起き上がろうとしている。巨木の先端に立っていたイリスが、竜を目指して跳んでいった。
(イリス……異常、だわ。前はジーク王子のスキル〝いと高き者〟に力負けしていたはず……向こうは二重に強化がかかっていた、とはいえ。こんな)
「彼女の〝才能〟というスキル……これほどのもの、なのですか?」
ドニクスバレットに尋ねられ、エミリアは首を振る。
「わからない。でも、こんなの変よ。そんな長く持つとは……思えない」
遠く彼方で、イリスは格闘戦を演じているようである。イリスの影は小さく、竜が暴れて、倒される様子しか見えないが。
「エミリア! あれは……」
後ろから声を掛けられ、エミリアは振り返る。ゾランダルの私室に駆け込んでくる、少女と青年の姿があった。
「マナ、ジャクソン教授!」
「とんでもないものが、見えている気がするね……」
ジャクソンとマナを見つめ、エミリアは口を開く。
「二人とも、避難して! またこっちに来るかもしれない!」
「そういうことなら、エミリア! あなたも――――」
マナが部屋に踏み入ってきて。
その真ん中で。
「あ、なに? 体が、動かない」
立ち止まった。
否――――何かに止められていた。
「動くなよ、お前たち」
「ハッ、ゾランダル!?」
うっすらと、ヒビの入った眼鏡をかけた、皇子がその姿を現す。彼はマナを後ろから、羽交い絞めにしていた。
(しまった、潜んでいた! 部屋から出て逃げる機会を、窺っていたの!?)
「お兄さま!? いったい、なにを……」
「うるさいうるさい! この女ども!」
ゾランダルが笑みを――――狂乱を見せる。
「私を、この私を追い詰めやがって! 私が何をしたっていうんだ! 私は! 私はアイーナの! あの女の尻ぬぐいをしているだけだというのにッ!」
喚くゾランダルに対し、エミリアは思わず、踏み込むのをためらった。武器は持っていないようだが、いつ実の妹を絞め殺しにかかるか……わからない。
「どういう、ことです、お兄さま……!」
「昔から無茶苦茶やってたあいつ! アイーナッ! 暴れて捕まったというから見舞いにいってやればッ! 妙な玉を残して消えてやがった!」
(っ!? あれか、アイーナが消えた時の……玉って? まさか、〝魔核〟?)
口角から泡を噴き、ゾランダルが喚き散らしている。エミリアは眉根を寄せながら、視線を走らせた。ディーバートが様子を窺っているが、明らかに警戒されており、飛びつくのは難しそうだ。
「あのクソ玉……あの女みたいだ。落っことしたら、そのままダンジョンになんてなりやがって! 人に迷惑かけてる、アイーナそのままみたいな奴だッ! 私はそれを処分しただけだッ! あの女のやらかしを、なんとかしたかっただけなのに! 大学にまであんなに数があって! アイーナ、おのれアイーナッ!」
(えぇ……? どういう、こと? こいつは〝魔核〟が危ないものだと知って、処分しようとして……というか持て余していただけってこと?)
エミリアはわけがわからず、混乱した。ゾランダルは錯乱して真実を語っている……ようでもある。精霊竜が明るみになってしまい、もう取り返しがつかないからと、パニックになっているように見受けられた。
「送りつけた父上は、とんでもない謀略に使いやがって! あのセラフも、どうするつもりかわかったもんじゃない! だから、だから……!」
だがそれにしても、あんまりである。彼が保身のために行ったことが……帝都を混迷の底に陥れた、などと。
エミリアは取り押さえようと、飛び掛かる機会を窺い。
「お前を作ったんだ、アイーナッ! やれ! そんな偽皇帝、蹴散らしてしまえッ! そらよッ!」
(しまっ!?)
ゾランダルが、手の中から何か黒いものを投げたのに、反応できなかった。
エミリアは振り返って、視線で追いかける。それは途中で白くなって、一直線に山の彼方まで飛んで行った。怪獣に直撃し――――倒れていた竜が、勢いよく起き上がる。
「イリス!」
エミリアは思わず叫ぶ。
黒い墨のような模様が滲んだ精霊竜は、俊敏で。
その前足が、振るわれると。
何かが、飛んできた。
「きゃっ!?」「なんだ!?」
振動、轟音。そして土煙。
埃が晴れた後には。
「イリス!?」
バルコニーの手すりを砕き、床に直撃した……イリスの姿があった。
「イリス、しっかりして! イリス!」
エミリアは近寄り、ひざまずき、イリスを抱き起す。素早く出血がないか、痛みや折れているところがないかを確認した。
「ぐ、あいつ、急に、強く……」
イリスが震えながら、力をいれようとして……起き上がるのに失敗している。傷はないが、ダメージが深いようだ。
(なんて、こと。あっ、これ! 傷じゃなくて……疲労が限界、なんだ)
エミリアは直感し、青ざめる。イリスはもう、限界なのだ。スキルの使い過ぎが、体にきているのだろう。
「ハハアハハ……あと一つだ、ようやく、これで……全部始末できる! なかったことに!」
しんと静まり返り、遠くからの振動だけが聞こえる中。
ゾランダルの叫びが、耳に入った。
そして。
「なによ…………」
怒りをにじませる、マナの声も。
「お兄さまが悪いんじゃないの! あなたが余計なことしなければ、こんなんことにはならなかったのにっ!」
羽交い絞めにされながら、マナが叫んでいる。エミリアはイリスを抱き寄せながら、彼女たちと、遠くの怪獣を交互に見る。
「なんだと!? 可愛がられていたお前やディランには、わからないだろうがなッ! こうでもしなけりゃ、あいつはまたとんでもないことを……!」
「第一、あれがお姉さまですって? 作ったですって? ふざけないでよッ!」
「ほぎゃっ!?」
何か透明なものが、マナのスカートからするりと出て……一瞬で、ゾランダルを引き倒した。
(あれ、スライム!? まだマナについてたの!)
「なんだ、こい、つ」
マナが巻き込まれたダンジョンからついてきていた、スライムだ。ゾランダルに絡みつき、彼を抑え込んでいる。マナはせき込んでから、兄を見下ろしていた。
「お姉さまは! アイーナお姉さまは! あんなところにはいないわよッ!」
マナが精霊竜を指さしている。徐々に城に近づいてきている竜を思い出し、エミリアは。
(ハッ、〝魔核〟!)
ゾランダルの手から転がり出た、最後の〝魔核〟に手を伸ばす。イリスを抱えながら、限界まで体を伸ばして。
(これをうまく使えば……いえ、せめてゾランダルに使わせないように! ――――え?)
だが、玉に素早くスライムが伸びて。
魔核を取り込んだ、スライムが。
にゅるっと、絡んで。
「……………………えっ?」
エミリアの手に、吸い込まれた。
視界が、眩い何かに塞がれる。
☆ ☆ ☆
一瞬の、間。
光り輝く、どこかで。
「エミリア。どうか彼女に、祝福を」
黒い髪、黒い瞳。確かにどこか、自分に似た、彼女に。
エミリアは、そう願われて。
☆ ☆ ☆
『ガアアアアアアァァァァァ――――ッ!?』
光が晴れ、視界が戻る。
遠く、咆哮と震動が響く中。
「エミリア、様?」
腕の中には、傷だらけのイリス。
(イリス…………)
彼女を目にした途端。
ぶわり、と。
〝もやもや〟が全身に、広がった。
それは体の外にまで出て――――虹の、光となる。取り込んだ何かが、力を与えてくれている、ようで。
輝きが。〝もやもや〟が。
どこまでも強く。
七色に光って、燃え上がった。
「しゅく、ふく。私が」
エミリアは呆然と、呟く。腕の中のイリスを、強く抱きしめて。
思い出すのは、イリスに初めて会った時のこと。
彼女に感じた、眩い輝き。
心惹かれる、魂の光。
強い、想い。
――――前世からずっと、彼女の力に、なりたかった。
世界のヒロインに。
その苦難多き人生に。
どうかもう一筋の、祝福を。
「イリス――――」
溢れる虹の光が、イリスに注がれていく。
彼女の〝才能〟を、より輝かせていく。
かつて彼女に与えた祝福を。
世界の何よりも。眩く。
「大丈夫。私がずっと、ついているから」
「エミリア様……」
エミリアは手の中から、剣を取り出す。その刀身は白銀ではなく、虹の光となっていて。
「行ってらっしゃい」
柄が、エミリアから、イリスに渡された。
イリスは立ち上がり、頷く。
エミリアは笑顔で。
彼女を見送った。
聖剣を手に、再び〝万才の乙女〟が空に飛び立つ。その向こうには、漆黒を白銀ににじませた、精霊竜。竜の獰猛な顔は、怒りを示しているかのうようで。その大きな叫びは、悲しみの嘆きを表すかのようで。
「イリス……あなたが力を使うなら、私がいつでも補いましょう」
エミリアは立ち上がり、遠くなる背中を見つめる。
「あなたが心を痛めるのなら、私がいつでも癒しましょう」
イリスが虹を振り上げる。
「私の祝福が、どうか」
光が駆ける。
森が割れる。
山が裂ける。
「あなたの幸せと、なりますように――――」
怪獣がゆっくりと。
左右に分かれて。
倒れた。
「す、ごい」「まじかよ、やりやがった……」「イリス様……エミリアも! すごいわ!」
仲間たちの言葉が、背中にかかる。エミリアは誇らしげに、穏やかにほほ笑んで。遠くのイリスと、竜の亡骸を見つめた。
二つに割れた巨獣は、光の奔流を放って。
世界を輝きで、満たした後。
静かに消えてなくなった。




