07-14.才ある貴女に並び立てない。
ダンスパーティから、一夜明けて。帝城、まだ暗いエミリアとイリスの私室では。
(もーむり。恥ずか死)
エミリアが枕に突っ伏したまま、起き上がれなくなっていた。羞恥で。
(なにが、〝イリス様ぁ〟よ! ハートとかいろいろ迸らせすぎなのよ! 我ながらとても気持ち悪い!)
東屋で助けられて以降のことが何度もフラッシュバックし、瀕死である。顔からは熱が引かず、体はビクビクと震え、口の端からはよだれが垂れ、息も絶え絶えだ。
一方のイリスは。
「……………………エミリア様の、ケダモノ」
「ぐふっ」
しばらく前から目を覚まして、時折こうして呟き、エミリアの精神を抉ってきている。布団にくるまり、じっとエミリアを見ているようだ。もちろんエミリアは、恥ずかしくて彼女のほうなど向けない。
向けないが。
「私、キスしかしてない」
なんとか羞恥の震えを止め、抗議の声を上げた。枕で籠った声は、たぶんイリスにも届いたはずである。彼女がびくりとしたのが、ベッドの揺れで伝わってきた。
「……あんなとこにもこんなとこにもしたくせに」
「耳とか喉とかデコルテはそんなやらしいとこじゃなくない?」
早口に早口で返すと、また寝台が揺れる。今度は、イリスが起き上がって……バンバンとマットレスを叩いているようだ。
「やーらーしーいーッ! 特に首から下ッ! ハレンチですっ!」
(この子、子どもほしいとか言ってなかった……? いざとなったら気絶するのでは)
まだ恥ずかしさは抜けないが、エミリアはそれよりも不安になった。イリスと本格的に恋愛できるような気が、まったくしてこない。
「…………わかった。今度から耳に――――」
「まだするんですかっ!? わたしの耳、とれちゃいますよ! ひぃぃぃ……」
(かわいい)
譲歩らしきものをエミリアが示すと、イリスは頭を振り乱して暴れはじめた。ベッドがまた揺れ、エミリアはちらりとイリスに視線を向ける。真っ赤な耳を手で押さえている様が、可愛らしい。
(さすが全年齢対象の乙女ゲームヒロイン。愛が重いくせに清楚ね……力強いから、強引にとか無理だし。鉄壁だわ。ゲームが終わる……あと2~3年はダメだったりするのかしら? もうとっくに成人なのに)
この世界では成人年齢は15~18だ。ゲーム終わり頃の時期となると、二人はもう行き遅れと言っていい年齢であった。しばらく先のことを考え。
(それまでに私たちの結婚。なんとかなるかしら……)
エミリアはいくつかの不安が、頭の奥に降り積もるのを感じた。〝もやもや〟が胸の奥でうずき、思わず起き上がってベッドから降りる。すたすたと部屋を渡り歩き、棚に直行した。適当な服を物色し、夜着から着替えていく。
(帝国で結婚したいなら、精霊竜を倒すなりして……国を覆しでもしないと無理。どこか既存の国家でないところで、二人で自給自足する方がマシかしら? イリスはこう……形に拘っているというか。皆に祝福されたい、みたいな欲求がありそうだけど。そういうところも、ヒロインらしい、かしらね)
動きやすい平服に着替え、胸元に〝竜鳥の涙〟をあしらったブローチをつけ、左手に精霊竜の逆鱗が入った銀の腕輪を嵌める。エミリアは衝立から出ると、布団にくるまったイリスが、顔だけ出してこちらを見ていた。
(帝国、か。来てからずっと、波乱ばかりだわ。やっと大学に通えて、イリスはそこと皇帝との二重生活。ある意味輝いている……この子に相応しい、高い舞台。けど、これでいいのかしら)
エミリアの願い。眩い世界のヒロイン・イリスを、相応しい舞台に連れていき……そこで並び立ちたいという、気持ち。婚約者ジークに啖呵を切った、あの願いは。まだエミリアの胸の奥で〝もやもや〟と燻ぶり、燃え続けていた。
だが帝国での結婚は絶望的。エミリアはただ学生をしているだけで、さした役にも立っていない。最高のスキルを持ち、皇帝にまで上り詰めたイリスの庇護を受けているだけ。イリスが守ってくれなければ平民となった〝無才〟のエミリアは、大学に居続けることすら難しいだろう。
エミリアが唇を噛みしめ、俯いた。
「少なくとも……私は並び立ててない。これじゃ、ダメね」
「エミリア様?」
「なんでもない」
顔を上げ、布団に隠れて、不満そうに口を尖らせているイリスを、眺める。
(私、イリスのサポート、全然できてない。結構疲れてるみたいなのに……昨日だって、助けてもらっちゃって。それに、あの時の――――涙)
思い出すのは、ダンスパーティでの彼女。普段の彼女からは想像もつかない、妙な態度。エミリアを放って他の人間に囲まれるなど、どう考えてもあり得ない所業だ。人前でイリスが涙を見せたことなど、未だに信じられない。
(どうしてかイリス、私にあてつけるみたいに、男たちに囲まれて。なのにあの時は、辛そうに泣いていて。イリスはなんで、あんな)
イリスは我慢強い。いつも澄ました顔をしているが……以前告白し合った時を思うに、その胸の内には強い想いが渦巻いている。ひょっとすると、最近もまた何か痛切な気持ちを我慢していて、それが言動や態度に出てしまったのかもしれない。
(イリス……)
そう思うと、急に。胸の奥で。
〝もやもや〟が。
大きくなった。
「ねぇ、イリス」
渦巻く〝もやもや〟を、小さく息に乗せて吐き出した。
「…………なんでしょう」
呼びかけだけして……エミリアは惑った。何を聞こうか、考えていなかったのだ。聞きたい核心はあったが、躊躇われて。まだ聞いていない不安の一つを、口にする。
「ゾランダル。どうなるの?」
結局尋ねたのは、昨晩エミリアに迫った第二皇子のこと。イリスに気絶させられた後は、ドニクスバレットらが引き受けたはずである。その後については、まだ説明がない。
布団から顔だけ出したイリスが、にこりと微笑んだ。エミリアを安心させるかのように。
「今のところは、どうとも。監視は付けてありますので、今後は大丈夫ですよ」
(おや、そつがない。まぁセラフ王子となんか取引してたっぽいのと……私にちょっと迫ったくらいだし、罰したりとかは無理だものね)
昨夜のエミリアは確かに危険な雰囲気を感じ取ったが、ただ盗み聞きをして、咎められただけである。相手は仮にも、第二皇子。簡単に捕えたりできるものではないと、エミリアは納得する。〝監視をつけた〟という点には少し首を捻ったが、ひとまず安心はできた。
「ねぇイリス」
「はいエミリア様」
「最近……よく寝てるわね?」
少し不安が和らぎ、エミリアは無難なことを、聞いたつもりだった。
だが。
「エミリア様が……隣にいてくれるからですよ」
(――――嘘)
目を逸らされた。
(王国から車中泊で出る時だって、同じだったはず。でもあの頃は、全然寝てないみたいだった。なのに今は、私より後に起きるくらい……安心しているなら、いいけど。疲れてるんじゃ)
〝もやもや〟と胸の奥で、不安が渦巻く。イリスの体調については、エミリアは一つ懸念を抱えている。それは〝スキルの使い過ぎ〟だ。
精霊の祝福として、魔力を持つ者に与えられる才。様々な不可思議な現象を起こす、精神の力。だがこれは使いすぎると、心を壊す。王国では、精神を歪めた者たちを何人か見た。ジーク王子もそうだし、かのドニクスバレットもそうだ。帝国では、スキルの過剰使用で精神を病んだという友・ガレットにも出会った。また、アイーナ皇女はスキルの使い過ぎで発狂した……ともディアン第三皇子に聞いている。
スキルは精神の力。ゆえに過剰に使えば心を壊す。ではイリスはというと……彼女のスキルは〝才能〟。「努力すれば無限に成長できる」という代物で……それは呼吸や鼓動すらも対象になるという。
つまり。
(イリスは、生きている限り常にスキルを使っている、ということ。今のところ、影響として考えられるのは睡眠時間くらい。けどこの子は我慢強くて、弱みをなかなか見せないから……)
エミリアは胸元につけたブローチを、左手で握り締めた。声が震えないように……また、呟く。
「ねぇイリス」
「なんなりと」
「…………じゃあ聞くけど。あの時、なんで泣いて――――」
言いかけたところで。
ドアが、ノックされた。
――――メイドが持ってきたのは、「茶会の誘い」だった。




