07-13.ドレスのヒーロー。
皇太子ヘリックの叫びが、中庭に消えゆく。あとには僅かな虫の音、風が草花を揺らす音、そして……隠れ潜むエミリアの、鼓動。
(ゾランダルがアイーナをどこかへやった……? ヘリックは何を言ってるの? 手紙にはそんなこと、書いていなかったけれど)
「何の話です、兄上。アイーナは狂い、精霊竜を作るなどと世迷い言を抜かし、父上に処断された。そうだろう?」
「しらばっくれるな!」
二人の皇子の言い争いが続く中。
(…………あれ? 精霊竜を作ろうとしたって話、ゾランダルには誰が話したの? ヘリック? それともマナが……?)
エミリアは疑問を感じ、ずり上がるように東屋から顔をのぞかせる。ヘリックの背と、こちらを向いているゾランダルが視界に入った。
(おっと。見てると見つかるわ、これ…………というか私、隠れる必要、あったっけ?)
首を傾げ、エミリアは自分の焦燥を思い出し。
(こんなの聞いてる場合じゃない。イリスがどこに行ったか気になるし、堂々と出てって、他の場所へ――――)
立ち上がりかけたところで。
「アイーナが姿をくらます直前、お前が面会していたことはわかってる! 何を話した!」
ヘリックの声にハッとし、たまらずしゃがみ込み、息を潜めた。
「――――何も。あんな家族の輪を乱し、皇室の品位を落とす奴に、話など」
(なにこれ。さすがに気になりすぎる……あとでヘリックに聞いても、いいけれど)
顔は出さず、雰囲気を見ようと視線を上げる。キョロキョロと周囲を見渡し……イリスがいないのを確認し、また首をひいた。エミリアとしては一刻も早くイリスを探したいが、正直ゾランダルの反応が気になって仕方がない。
「じゃあ何をしに行ったんだ、ゾランダル」
「ディアンが手荒な真似をしてしまったと、弱音を吐いていたのでね……これはいい、笑ってやろうと、そう思ったのですよ」
「なっ、お前! 姉にそんな!」
「姉だからと!」
ゾランダルの声が、叫びになる。普段声などまったく上げず、冷静沈着な彼からは想像もつかないような――――憎悪を感じる、声だった。
「横暴の限りを尽くすアイツを笑って、何が悪い!」
声に笑いが混ざっている。明らかに嘲りで……ぬるい風が肌に当たった拍子に、エミリアはゾクリとした寒気を覚えた。
「兄上や父上は逃げ回る! ディアンとマナはアイツが猫可愛がりする! そのせいで私がどれだけ、どれだけ奴に振り回されたとッ! 私の人生はッ!」
明らかに憎しみを感じる、低く激しい声。なのに笑顔が想像できるほどの、笑いの響きを含んでいて。
まるで。
「アイーナの尻拭いをするためにあるんじゃあ、ないッ!」
愛憎どちらも、混ざっているようで。
ジワリを恐れのようなものを感じ、エミリアは首を竦め、震えを抑え、息をぐっと止めて……五感を研ぎ澄ませた。あの男に今、見つかってはならないと……エミリアの勘が、そう告げている。
「……じゃあお前は」
対するヘリックの声は。
「何がしたいんだよ」
「…………へ?」
どこか、寂しそうだった。思わず顔を上げると……呆然としたゾランダルの肩を叩き、ヘリックが立ち去っていくところだった。
その背中には。
「わ、私は! アイーナを笑いに行っただけで! 何も話してなどいない! 後のことなど知らない! 本当だ、兄上!」
「お前が嘘ついてるかどうか、分からないオレじゃない。けれど」
家族への思いが……にじみ出ているようだった。
「もう少し本心とか……隠してること、とか。話してほしいものだな。お前はいつも、小さな何かをやらかすと、それを隠そうとして大騒ぎを起こすんだ」
「ッ! わ、私は……兄上に隠し事、など」
ゾランダルが振り向き、ヘリックの背を見送っている。彼は声に詰まって、それ以上、何も言えず。
(苦労するわね、ヘリック……良い奥さん見つけないと、潰れそうだわ。私はごめんだけど…………)
胸中に零すエミリアと。
振り返ったゾランダルの。
目が、合った。
(まっず!?)
「――――盗み聞きとは、淑女らしくもないですね。エミリア嬢」
後ろに下がろうとし、壁に背中が当たる。そのままずり上がってなんとか逃げようとしているうちに、ゾランダルが回り込んできた。東屋の入り口をふさがれ、止む無く奥へと下がる。
「私が休んでるところで、あなたたちが口論を始めただけでしょう……いい迷惑だわ」
「ほう、休んでいた」
ゾクリ、と背筋が震える。また。まただ。
ゾランダルが……ほとんど表情の変わらない男が。
笑顔を、見せている。
「……どれほど前からいたのです? エミリア嬢」
「私がいるのに気づかないなんて、いったい何をしていたの? ゾランダル」
挑発してみるが、笑みを深めるだけでゾランダルは動じない。逃がすまいと、エミリアをじっと見つめてきている。
(手を誤った……最初に声を上げておくんだった。そしたらヘリックが戻ってきてくれたのに! こいつ)
「誤魔化しは結構。さぁ、お答えを」
笑い顔で、舌なめずりをしている皇子を、見て。
(セラフ王子との密談を、聞かれてると勘づいてる……おそろ、しい)
エミリアの全身を、嫌な予感が駆け巡っていた。
(きっと、なんでもする。そのミスを隠すためなら……きっと私を死体にすることだって、いとわない)
慎重に様子を窺いながら、暗闇でゾランダルがとびかかろうと力を溜めている。
エミリアは右手から聖剣を出すことを――――躊躇っていた。
魔物の肉を切り裂く、あの嫌な感触が。
頭を、よぎる。
(今、そんなことを考えている場合じゃ――――)
「大人しくしろッ!」
「てめぇがな」
突如声と共に、何かが割り込んだ。
「ぎゃっ!?」
「嬢ちゃん、壁乗り越えて下がれ!」
テナガザルが、ゾランダルの顔にまとわりついていた。
「ディーバート!? 無茶よ!」
反論しながらも、エミリアはひらりと壁を乗り越える。
「このッ!」「おっと」
ゾランダルが顔の前に手を差し挟み、強引に腕を振るった。その勢いに乗って、ディーバートが跳ぶ。エミリアは目の前に飛んできたサルを、両手で出迎えた。
「ディーバート! ドニクスバレットは――――」
「おいおい、期待のヒーローはそっちじゃないだろう? エミリアよぅ」
ディーバートが軽快に言って、見上げてきている。途端。
(ッ!?)
ぶわり、と。
エミリアは全身の毛穴言う毛穴が開き、汗が噴き出したような感触に襲われた。震えも駆け巡り、歯の根が合わなくなりそうである。
視線を上げると。ゾランダルの向こう。東屋の入り口に。
黒く燃えるような影が。
立っていた。
(こ、こわい……)
「お前」
夜闇に、霜の降るような声が。
響く。
(こわい、のに)
エミリアは、体が。
「わたしのエミリアと、何をしていた?」
その静かな声に、震わされ。
(甘い、震えが。止まら、ない)
熱く、燃えるように感じた。
生唾をごくり、と飲み込む。暗さに慣れてきた目が、顔にびっしょりと汗をかいているゾランダルを、捉えた。腕の中で抱えていたディーバートが、するすると肩まで登って後ろに跳んでいく。おそらく相棒の元へ向かったのだと思うが……エミリアは振り返ることができなかった。
奥に見える、ゆっくりと東屋に進み入る影から。
目が、離せなくて。
「お前に聞いているんだ、ゾランダル」
声を聴くたび、甘い震えが腰の奥から吐き出されて。
エミリアはもう、がくがくと震える脚で立つのが、辛くて。
「な、なに、も」
そのまま、座り込んだ。
「そうか。わたしのエミリアは、お前に何もされてないのに座り込んだと。そう言うのか?」
「そ――――ふがッ!?」
ごつっ、という音がして……静かになった。
「なら黙っていろ」
声がして、ひらりっと目の前に誰かが舞い降りてきた。
エミリアは後ろに倒れ込むように、顔を上げて。
「エミリア」
すっと、その背を。
ドレスの王子様の腕に、支えられた。
灰色のドレス、白磁のような肌、深く暗く見える碧眼。細い金糸だけが、輝くようで。
「イリス――――様」
星少ない空を背景に……闇に煌めくような、彼女の姿が。
眩しくて、たまらない。
するりと腕の中に抱えられ、軽々と横抱きにされる。エミリアは一瞬、ドニクスバレットとディーバートの視線を感じたが。
(イリス、さま。イリス様ぁ……)
自らイリスの首に手を回し、摺り寄せるように抱きついた。細身で小柄なのに、驚くほど逞しい体躯を全身で味わう。脳が低温で焼かれたようにジーンとしびれ、ふわふわとした多幸感が体の中心を通って降りていく。
「借りは必ず返す。ドニクスバレット」
「名前を憶えていただいたようで、大変結構。借りなど良いので、一つ〝約束〟を願いたいね。イリス様」
視界の端で、サルを肩に乗せた青年がほほ笑んでいる。
「もう、手を離されないように。ジーク様を袖にするというのならば……もう少し、真剣であってほしいものだ」
「言われるまでも――――いや」
イリスの声が、すぐ近くで響いて。何かたまらなくなって、エミリアは抱きしめる腕に、力を籠めた。
「〝約束〟だ」
「あなたたちに敬意を。では失礼」
「適当に人を呼んどくから、そいつのことは任せとけ」
イリスは答えず、エミリアはそのまま運ばれていく。
このまま帝城まで、人目につきながら運ばれてしまうのだ――――そう思うと。
胸が熱くて。幸せが滲み出るようで。
「イリス様、大好き」
「ええ、わたしも。エミリア」
囁かずには、おれなかった。




