07-12.嫉妬まみれの舞踏会。
先帝のいる港町に行ったヘリック皇太子が戻らぬうちに、じっとりとした暑さが増してきて。それでも日が暮れれば、風が涼やかになる……そんな頃。
「さすがは補佐官殿」「学年成績は群を抜いておられて」「史上最高スキルの持ち主は、やはり違いますな。それに引き換え〝無才〟は」「あのような者と踊られては、伝統に反します。よろしければ僕と」「いえ、この俺と」「私と」
「わたしは後に政務がありますので、ダンスのお誘いは受けられません」
日暮れ後の大学の大ホール、いくつもの豪奢なシャンデリアの下で。グレー基調の装飾鮮やかなドレスに身を包んだイリスが……男性にこれでもかと囲まれていた。
(なによ。成績なら、私が一位だったし。というかあいつら、女同士など躍らせまいとして、イリスを囲んでいるのでしょうけれど……)
「彼女、まだいるわ」「本当。わざわざ男装?」「栄えあるこの舞踏会を、なんと心得てるのかしら」「女同士で踊る気だったのね……」「イリス様も、なぜあんな身分もスキルもない愚か者を」
壁の華になり、じっとイリスを見つめるエミリアの耳に、大きな声の嫌みが飛び込んで来る。
だが彼女は、そんなものよりも。
イリスが気になって、仕方がない。
「なんでイリスは、抜け出してこないのよ……あんなやつら、政治にも関係ない。勉強にも影響がない。調査にだって関りがない。相手にする必要なんて、何もないのに……」
エミリアはぼそり、と呟いた。
入れ替わり立ち代わり、男性がイリスに挨拶をし、話しかけている。何度もその手が恭しく取られていた。小さく柔らかくも逞しい彼女の手が、幾度もエミリア以外の唇に晒されている。
エミリアの胸の奥からはずっと、どす黒い〝もやもや〟が立ち上り続けていた。
ただひたすらに、不快で。今すぐ全員――――斬り殺してしまいたい。
(もういいんじゃないかしら。こんな国、滅ぼしてしまっても……)
昏い瞳で、エミリアはイリスを見続ける。エミリアが遅れてこの会場に入って以降、イリスとは一度も……目が合っていない。
以前ゾランダルにやられたときの、意趣返しだろうか? そんな気持ちが少しだけ首をもたげたが……エミリアは無視する。イリスは悪くない。彼女になら、何をされてもいい。悪いのは周りだ。そう、〝もやもや〟を燃やし続ける。
その瞳が。
(あら……? あれは)
イリス以外のものを、視界に入れた。
「セラフ様、素敵なエスコートでした」
「それはよかった、マナ。一曲しか踊れなくて済まない。今晩中に、国へ発たないといけなくてね」
(あれは……商業国家レーモスの? 確か十六番目の王子で……マナの婚約者)
踊りの輪から、戻ってくる二人組。日焼けを感じさせる浅黒い肌の貴公子と、ふわっとした可愛らしい着こなしのマナ皇女だ。
「いえ! わたくし、お会いできただけでも光栄ですの」
「俺もだよ。ではまた……今度ゆっくりと」
「はい、セラフ様」
王子の口元が、少しだけマナの頬に触れ。ほんのり頬を赤く染めたマナから彼はすぐに離れ、ホールの出入り口へと向かっていった。エミリアの目の前を通り過ぎるとき、一度だけ……その視線が、彼女を向く。
(…………ジーク殿下が、イリスを見ていた時の目と同じ。周りの女を、道具扱いしている感じね)
従者らしき女たちに、セラフ王子が迎えられていた。
「まぁ、エミリア!」
彼を追っていたエミリアの意識は、歓声を上げるマナによって引き戻される。
「やぁ、綺麗だね。マナ」
「う”っ」
なぜかマナの顔が、一瞬で耳まで真っ赤になった。同時に、こちらを見ていた多数の令嬢たちも顔を赤くする。
「どうかした? ボクは何か変?」
「わ、わたくしが変になりそう……なんですの? その声」
「格好に相応しい立ち居振る舞いをしないと、ね。お気に召さなかった?」
マナが首をぶんぶんと横に振っている。彼女のスカートの裾から、僅かにスライムが覗き、こちらを見上げていた。
(いや、なんでそこに隠して連れてきてんのよ……すごいなつきようね。というか、感覚器がないはずのスライムが、私の声とかマナの様子に反応してる? なんで? ――――ぉ)
一瞬、人だかりの向こうから視線を感じ、エミリアは顔を上げる。だがイリスはこちらを向いておらず、目は合わなかった。
「……今晩は振られっぱなしだ」
「喧嘩でもしたの? あなたたち」
「まさか」
正直、イリスの態度の変化には本当に思い当たる節がない。少なくとも昼間はどうということもなかった。朝も一緒に起きて、授業も二人で受けて。なのに、舞踏会の場に来てみれば、ご覧の有様である。
エミリアは首を振り、小さなため息と共に。
(喧嘩……してない、はずだけど。そうだ、仲直り)
少しためらって、もう一度イリスの見てから。
(ちゃんと仲直りするなら。見えるようにした方が、いいわよね)
ほんの少し、胸の奥に小さな痛みを感じながら。
(イリス……イリスが悪いんだから)
マナを真っ直ぐに見つめた。
「ところで、マナ。ボクは……君と仲直りしたいと思っている。ジャクソン教授の下で、共に学ぶことになったしね」
「お姉さまが聖霊工学を学んでいらしたことが、はっきりしましたもの。〝無才〟で平民、その上同性愛者……到底受け入れられない人間ですが」
マナがほくそ笑んで見せる。エミリアもまた、口角を上げた。
「同じ学徒として、尊重いたしましょう」
もちろんこんなの、茶番である。周囲の反対――なぜか兄のゾランダルにも反対されたらしい――を押し切って、マナが研究室を移ってきた。これを機に、エミリアとも〝表向きの〟仲直りをしよう、という算段である。
「では一曲?」
「二曲付き合ってもよろしくてよ?」
マナが手を差し出す。エミリアは恭しく、その手を取って導いた。人波が割れ、踊り場への道が開かれる。
二人踊りの輪の中で向き合い、曲調の変化を待つ。激しい調べの予兆を感じ、半歩詰め合ってステップを踏み始めた。
「いいね。そういえば、ヘリックから連絡が来ていたよ。彼は今晩、戻るそうだけど」
「あらお兄さまが。なんて?」
「アイーナの遺体を見ている人は、誰もいない」
肩を抱き、腰を引き寄せ、エミリアはマナの耳元に囁く。彼女の瞳が見開かれ、すぐに細まった。
「それは、いったい」
「先帝トーガスタは、処刑したと公表したけれど……実施はされてなかった。どうもディアンが暴れる彼女を捕えたところまでが本当で、でも彼女は監禁場所からいなくなったらしい」
「じゃあお姉さまはどこへ……そもそも、お父さまはなんでそんなことを?」
エミリアは密やかに告げる。マナの疑問に対しては……少しだけ、首を振った。
「誰かからアイーナが作った物だと〝魔核〟を送られて、それで魔が差したみたい。行方不明だから探すより、処刑を広く知らしめて〝出てきたら本当に殺す〟と暗に示したかったようで」
酷いものだと思いながら、エミリアは吐き出す。皇帝は子どもたちのことなどまったく考えておらず、ただ王国を攻め落とす妄執に憑りつかれていたかのようだ。
「お父さま……あら? 〝魔核〟って、ジャクソン教授が作られたんでは? お姉さまは作れなかったって」
回り、広く周りを見ながら踊る。先ほどのセラフ王子が、こちらをじっと見て……扉の向こうへ、消えていった。エミリアは視線を戻し、マナの疑問に対して推論を述べる。
「そこはわからない。けど、確かアイーナは何かスキルを持ってるんでしょう? それで生成したって可能性は?」
「あ……お姉さまは、祝福を与えることができるの。それをお使いになられらのかも」
(祝福って……まるで精霊だわ。ならあり得る)
弾む呼吸の中にため息を混ぜ、エミリアはぐっとマナの体を引き寄せた。互いの熱された肌が服越しに感じられ、高揚を覚える。
(精霊工学で〝魔核〟を作りたかったけれど、うまくいかない。スキルで試しに生成して……でも使い過ぎで心を病んだとか? それで暴れて、ディアンに捕まった。これなら、皆が嘘を吐いていなくても辻褄は合う……ん?)
すねの当たりを、何かがちょんちょんとつついた。感触でわかる。マナの足ではなく、例のスライムだ。
(変なスライムね。何か言いたいことがあるようだけど――――おっと。ダンス終わったわ)
曲が止まる。静かな拍手が鳴り。
「楽しかったよ、マナ」
「わたくしも……こんな熱いステップは、初めて」
二人は潤んだ眼差しを交わす。
(ほんとはイリスと踊りたかったけど。イリス――――ハッ)
人だかりの隙間に。
足早に出入り口へと向かう、イリスの姿があった。
(イリス?)
一瞬だけ。ようやく、ほんの一瞬だけ。
彼女の青い瞳と。
目が合った。
(泣いて、る。イリスが、人前で――――)
甘える姿は人に見せても、弱みはなかなか見せない彼女が。頑張り屋で、疲れを隠して、弱音を吐かない愛しい人が。
顔を隠すこともなく。
泣いていた。
どこか燻ぶっていた〝もやもや〟が吹き飛ぶ。
手足も、体の芯も一気に冷えて。
針で刺されたように。
全身が。心が。
痛んだ。
彼女の姿が、扉の向こうへと消えたところで。
「ごめん、マナ。二曲目は、また今度ね」
エミリアは我に返り、マナから身を離す。
「ああ、イリス……あなたそういうところ、本当に素敵だわ」
友達は上気した頬に、とびっきり可憐な笑みを乗せていた。
「早く追ってあげて。今度、イリスとも仲直りしたいわ」
「ではお茶会でも」
笑顔を交わし合い……エミリアは急ぎ、踊りの場から外へと向かった。
☆ ☆ ☆
(見失った……イリス、どんだけ早く移動したのよ)
会場を出て、焦燥に駆られたエミリアは走る。学内を随分探し回るうちに、中庭に出てしまった。東屋を回り、しばらくここでお茶していないと……少し思い出を振り返っていた時。
「ふむ。かの精霊の如き姫の遺産、確かに」
男の声を、聴いた。エミリアはさっと、東屋の中に身を隠し、耳をそばだてる。
「まぁそれにしては、少々見目は悪いけれど」
「美品については、よければまたお送りしましょう。どうか妹をよろしく」
「もちろん。今後とも、良い付き合いを。ゾランダル皇子」
人の足音が、遠ざかっていく。エミリアは息と身をひそめ、待った。
(ゾランダルと……セラフ王子? 今のは、何かの取引?)
そこへ。
「ゾランダル! お前、アイーナをどこにやった!」
聞き覚えのある……別の声が、響く。
(ヘリック? どこへって……どういうこと?)
闇夜の中で、混沌とした会話が、始まろうとしていた。




