07-08.死を想って。
しっとりとした、青く暗い発光をしているダンジョン。いつの間にか水滴の音が聞こえるようになっており、強い湿度とひやりとした空気が感じられた。
聖剣を仕舞い、包帯を取り出したエミリアは、その姿をマナ皇女に見られ……頭が真っ白になっていた。当然だが、特殊なスキルもなしにできる芸当では、ない。手品で誤魔化せる域を超えている。
「あー…………」
グラグラと、視界が回るような気がして。
エミリアは。
(これは、隠せ、ない。しからば)
大きく息を吸って。
(勢いで乗り切るしか、ないッ!)
知能指数低めな結論を、出した。
「――――イリスが第七十八代ジーナ帝国皇帝だということは、知っていますね?」
肩をびくっと震わせるマナ皇女に、半笑いを浮かべ、そう尋ねる。
「え、へ?」
「これはッ!」
エミリアの左手から。
にゅるん、と車が現れた。
床で少し跳ね、震えている。
「その皇帝イリスが作った精霊車! 彼女はスキルもなしに、物に精霊を宿しました!」
「はぇえっ!?」
「そして私は! 〝精霊の宿ったものを取り込むことができる〟体質! しかし鑑定されると〝無才〟だと判定されます!」
「え、ちょ、ま」
「取り込んだ精霊具のスキルも使える! はい、〝積載〟スキルで積んだテーブルと椅子! お茶はいかがですか皇女殿下ッ!」
「あ、え、あの」
エミリアは椅子とテーブルを出した上で勢いで言い切り、「フーッ」と細く息をし、肩を上下させる。にこやかな笑みを、崩さぬまま。マナの顔はどうしてか真っ青で、彼女は涙目で体を震わせていた。
「い、いただく、から。ころさないで……」
「ダイジョーブ、仲良くしましょう。マナ様」
エミリアは安心させるようにと、ねっとりとした声で語りかけた。
☆ ☆ ☆
椅子に座らせたマナのくじいた足を手早く処置。さらにエミリアはお茶のセットを用意した。余っていた茶菓子を出し、紅茶を丁寧に煎れる。そうこうするうちに、マナも落ち着いたようで……皇女の顔は幾分かまだ青かったが、これはどちらかというと、怪我によるもののようである。
(患部は一応冷やしたし……あとは少し休んでもらって。それで落ち着くでしょう)
「おいしい……」
エミリアが椅子に戻ると、ほっとしたような呟きが耳に届いた。思わず頬を緩めて視線を上げると、ほんのり頬に朱が差したマナと、目が合った。視線を逸らす彼女に、エミリアは微笑みを向ける。
「それはよかった。足はどう?」
「ぜんぜん、痛くありません」
「走れないでしょうけど、歩くくらいなら大丈夫だから」
「ありがとう、ございます……」
殊勝な皇女を見て、エミリアは笑みを深めた。そして、ふと疑問を覚える。
(この子の素直な人格で、よくあれだけ私たちに罵倒を浴びせられたわよね……最初はイリスに突っかかってたし。もしかして)
先ほど自分が浴びせ返した暴言を思い出し、エミリアは頭を整理する。マナを見据え、彼女がカップを置いたところで声をかけた。
「何か聞きたいことがあれば、応えるわよ?」
皇女は驚いたように視線を上げ、それから下げた。彼女は膝に乗ったスライム――どういうわけか懐いている――を撫で、ほうっと息を漏らしている。
「さっきのことは、秘密にして。下手に知られると、世界がひっくり返る」
そんなマナを眺めながらエミリアは真剣に、しかし声を落ち着かせて訴えた。
「でも、ここなら。そういう話をしても……私たち以外には、誰も伝わらない。そうは思わないかしら? 皇女殿下」
「ぁ……その」
反応があった。迷う様子のマナを穏やかに眺め、エミリアはじっと返事を待つ。
「お姉さま、の。アイーナ第一皇女の、こと。何か知らないかしら」
(やっぱり)
エミリアは直感した。アイーナに詳しいはずのマナが、彼女の何を知りたがっているのか。どうもマナは、この帝国で起こったいくつかの事件について、何も知らされていないようだ……エミリアはそう、判断した。
(秘密……この子に教えると、よくないかもしれない。けど)
揺れるマナの瞳を、目にして。
(黙って、いられないわ。ごめんね、イリス)
胸のうちで恋人に謝り、口を開いた。
「私の知っていること、なんて……処刑された理由とか」
「それ! どうしてお姉さまは、死ななければならなかったの! 教えて! なんでも、なんでもするから!」
テーブルから立ち上がり、顔をしかめてマナが訴える。彼女の強い反応に驚き、その膝から落ちたスライムに視線を向けてから。
「なんでも、はいいわよ。しゃべっちゃダメよ? 皇室に要らぬ疑いが及ぶだろうし」
エミリアは静かに、ため息を吐いた。マナが席に戻るのを待ち、エミリアは再び口を開く。
「アイーナ皇女は精霊竜を作ろうとして捕えられ、そのまま処刑されたそうよ」
エミリアが語ると、マナは大きく目を見開いて、そして眉根を寄せた。
「精霊竜? ジーニアスを?」
「作る、と言う以上、また違う竜でしょう。何をしたかったのかはわからないけれど……竜との約定を覆したかったのかもしれない。私はそう考えてる」
「お姉さまが、約定を……」
皇女が視線を下げ、何やら思案している。思い当たる節はありそうだが、続きの言葉はなかった。
「正直、アイーナ皇女について知ってることは少なくて。他、聞きたいことは?」
エミリアは別のことに水を向ける。マナが先ほどよりかは幾分か軽く、言葉を紡いだ。
「ディアンは何をしたの? 旅に出たって言うけど、なんか変だし。お父さまも急に、隠居って……」
(ああ、そこかぁ……)
マナは帝都封鎖事件の折、別の街に逃がされていて事情を知らない。どうも聞いた感じ、アイーナの処刑からそう間を置かずにダンジョン発生し、帝都は封鎖されたらしく……彼女はこの二つに、関連があるとみているようだ。視線が鋭く、どこか疑うようなまなざしである。
(そっか。この子の願いは、おそらく)
エミリアはそっと、胸のブローチを握る。金属の冷たい感触と、リボンの滑らかさが、指先で混ざった。その奥に〝もやもや〟を感じ……どうしても彼女の〝願い〟に答えてあげたくなる。
深く息を呑み込み。
顔を、上げた。
皇女の視線に、正面から目を合わせて。
「トーガスタ帝は帝都にダンジョンを出現させた。アイーナ皇女が遺した技術を使って」
「ええっ!?」
エミリアは思い切って、打ち明けることにした。
「トーガスタ帝は避難を装って、王国を攻めようとして、失敗。ディアンは彼と共謀。高度スキル保持者の居場所を作ろうとしていた。けど二人の企みは明るみになって、追放になったのよ。イリスがその立役者」
「あっ。だから皇帝……」
矢継ぎ早の事情を、マナは即時に飲み込んだようである。聡明な彼女に頷いて見せ、エミリアは少しの笑みを浮かべた。
「ポッと出の人間が皇帝やってたら不審だから、すぐヘリックに禅譲するんだけどね」
「あなたは」
窺うような視線で。
マナが迷いながら、尋ねる。
「あなたはいったい何者なの?」
(……そうだった。私まだ、自己紹介してなかったわね)
エミリアは姿勢を正し、咳ばらいを一つ。マナを見て、真っ直ぐに答える。
「私はエミリア・クラメンス。オレン王国パーシカム公爵家の娘よ。第二王子ジークの、元婚約者でもある。婚約破棄のいざこざで、二度と彼と結婚しなくて済むように……勘当ってことになったの。オレンでは平民と王侯貴族が結婚できないから」
「イリス……様とは。どういう、関係?」
様子を窺うように尋ねる皇女の様子が、どこか苦悶に満ちていて。エミリアは少しの胸の痛みを覚えながらも、きっぱりと告げる。
「友達だったんだけれども、恋人よ」
「でもそんな!」
マナが首を振って、眉をひそめ、唇や頬を引きつらせるように震わせている。その眉尻が下がり。
「結ばれない、恋なんて……」
泣き出しそうな、消え入りそうな声を、零した。
「そうね。イリスが皇帝になっても、ダメだし。なら」
エミリアは呆れたように半笑いを浮かべ、弱く首を振った。
「激動のこの時代。どこかにそれを許せる国を、作るしかないわねぇ」
「国って。そんな簡単に……」
「でもそうするしかないわ」
諦めたように、零す。エミリア自身はどうでもいいが、イリスが形に拘っている。彼女の願いを叶えるために、そうするしかないと……エミリアは覚悟していた。
「同性なんて認められないって人たちとは、住むところを分けないと。近くにいたら、争いになるから」
「あっ……」
マナが小さく声を上げた。「汚らわしい」過去にそう誰かに言われたことを……思い出したのだろうか。そんな彼女に向かって。
「あなたは、結ばれたかったの? アイーナ皇女と」
「わたくしは」
エミリアはぽつり、と尋ねた。答える皇女が見せたのは。
「……お姉さまはそう望んで、くださったけれど。わたくしは、勇気が、出なくて」
ぽっかりと胸に穴が開いたような、そんな虚ろな瞳。深い後悔を感じさせる、喪失だった。
(そうこうしているうちに亡くなったから、悔やんでいる、と。と言うか結局、アイーナは誰が好きだったのかしら? ディアン? マナ?)
〝誰にもなびかないが、情が深い女〟というヘリックの評が、またエミリアを惑わせる。ディアンも、マナも、アイーナに愛されていると信じて疑っていないようであった。だが本人はもう亡くなり……真実はどこにもない。
「大学に入れば、何かわかるかもって、思ったのに」
エミリアの惑いをそのまま声にしたような、マナの言葉が小さく響く。
「お姉さまのことは、誰も教えてくれなくて……きっと最大手の研究室に入っていたのだと、そう思っていたのに。違うみたいで」
一瞬、掘り下げれば情報を聞き出せるかも……そう思ったエミリアだったが。
「そう。寂しいわね」
別の言葉が、口をついて出た。
(真実が知りたかった、というのは……外野の私の思い。きっとこの子は、違うわ。もしイリスが急にいなくなったなら。私はきっと、あの子の痕跡を探して……)
我がことを想像し……エミリアは思わず、涙を一筋、零した。
「ここに、アイーナ皇女の思い出があると、思ったんでしょう?」
「…………そう」
「誰かが彼女を知っていて、語ってくれると思ったのでしょう?」
「…………ええ」
「もういない人を想いたいのに、親も兄弟も、誰も彼も口をつぐんで」
「――――ふぐっ」
「ただ、話したいだけなのに。聞いてくれる、人もいない」
「わた、くしは。わたくしは、ただ……!」
「寂しいのよね。教えてくれる? アイーナ皇女が、どんな人だったのか。そしたら」
エミリアは顔を上げる。大粒の涙を浮かべたマナが。
じっと、言葉を待っていた。
「一緒に、探してあげる」
「ふぐっ、うう……! お姉さまは、お姉さまは優しくて! とても、とっても……!」
椅子から崩れ落ちたマナが、エミリアの膝に抱き着く。その細い肩を優しく撫でながら、エミリアは彼女の思い出を、聞いた。
何度も頷きながら。
黙って、聞いた。




