07-06.可愛い末の妹は。
大学の授業にも、そろそろ慣れてきた頃。
(システムが徹底してるわね……私らの学費は税金からだから、懐は痛まないとはいえ)
エミリアは学内の中庭で、ぼんやりとしていた。
学生は、大忙しである。早急に講義を受けて知識を吸収しつつ、研究室の役に立たねばならない。もっともエミリアたちは、皇帝イリスが潜入捜査用に予算を組んで入ってきているので、国庫を当てにして自由に講義を受けていた。ジャクソン教授の研究も手伝ってはいるが、どちらかというと精霊工学の講義を受けている時間の方が長い。
(ドニクスバレットは、今のところ大人しい。彼はスキルを失った無才だから、他に研究室の行き場がなかっただけだそうで……)
エミリアはそんなことを考えながら、お茶を一口。彼女がいるのは、中庭の東屋だ。有料で借り受けることができるのだが、大学には使用人を連れて入れないため、利用者はあまり多くないようだった。心得のある二人はよく使い、茶を煎れ合い、菓子を出し合って楽しんでいる。今日もまたテーブルには、お茶と茶菓子が用意され、すでにあらかた片づけられていた。
(ほかに問題と言えばまぁ、〝無才〟だからと私が受講を断られるか、授業料を値上げされることが多くて……そのたびにイリスが切れそうになっていること。学内で突っかかってくる子が結構いること。とはいえその理由の半分は)
エミリアは視線を下げる。そろえた彼女の膝の間では、今。
「すぅー……はぁー……」
うつ伏せになったイリスが顔を埋め、何やら深く呼吸していた。
「イリス。さすがにちょっとその……恥ずかしいのだけれど」
膝枕してほしいというので膝を貸したら、なぜか正面から顔を埋められた。さすがに羞恥が勝り、さしものエミリアも顔の熱が引かない。しかも何やら吸われている。尊厳と理性が、時折吹いてくる風によって、さらさらと消えていくような気がした。
「ふおっ、ふごふごっ」
(〝恥ずかしがってるエミリア様ご褒美〟とか……もぅ。声響くから、やめてほしいんだけど。人……人が見てる。あっ)
ガッとイリスの両腕がエミリアの尻に回り、その手が腰やら背中やら尻やら太ももやらを撫で回し始めた。エミリアはだいぶ悩み、周囲を見渡した後……諦めて欲望溢れるイリスのするがままに任せた。気恥ずかしさを誤魔化すように、イリスの頭から肩にかけてを、優しく指や手のひらでもみほぐす。かなり固い。
(ちょっと目立ちすぎ、よね……)
東屋の壁である程度覆われているとはいえ、イリスの姿は完全に隠れていない。中庭は校舎間の通り道になっていて、東屋はそのど真ん中にある。今も顔を赤くした女性や、興味深々の男性らが、エミリアとイリスを見ながら通り過ぎて行った。好奇の視線を向けられるならまだマシで、時には気持ち悪いと聞こえるように言われた。
(でもイリスにお願いされたら、私に断るという選択肢はない。その場で、すぐに、迅速に叶えねば……気が狂いそうになる。今ここで求められたら私は、肌を晒し、醜態を見せつけることすらいとわないでしょうね)
少しのため息を吐き出し、エミリアは目を細める。体の奥から熱と、甘い疼きと、跳ねまわるような鼓動が沸き上がって。
「ま、イリスは手ぇ出さないんだけど」
少しのもやっとした気持ちを、吐き出した。顔を上げ、遠く校舎についている時計を眺める。
「ほがっ?」
うつぶせのまま、イリスが間の抜けた声を上げている。指先でつつっと背筋をなぞってやると、彼女は大いに身を震わせ、それから力を抜いていた。
(さて、時間ね。もう少しこのままが、いいのだけど)
エミリアはくてっとしたイリスの肩に手を差し込み、その身を起こしてやる。スカートと彼女の口元の間に、糸をひいたよだれが垂れていた。赤く跡のついたイリスの顔は、完全に弛緩しきっていて、人に見せられる代物ではない。だがエミリアはイリスの至福に溺れた顔を、ほんのりと頬を赤くして、陶然と見つめた。
「そろそろ時間よ、イリス。会議でしょう?」
「今から城をぶち壊せば、あと2時間はご休憩できるのでは……?」
「修理その他もろもろで帰ってこれなくなるでしょうが。行ってきなさい」
「むむっ」
イリスが立ち上がり。
「んっ」
彼女の顔が、するっと眼前を通って行った。通りすがりに残された感触に、エミリアは思わず唇を指で押さえる。
「続きはまた夜に」
(台詞はかっこいいけど、その続きとやらはいつ来るのかしら)
去っていく彼女を少し不満そうに見送り、エミリアは茶道具に手を伸ばす。視線に注意し、誰にも見られてないことを確かめてから、すべてを手の中にするりと取り込んだ。彼女は「精霊が宿るものを体内に取り込むことができる」という特異体質で、さらに取り込んだ精霊具のスキルを使用できる。今のは〝積載〟のスキルを持った精霊車・アイテールの力を利用したものだ。かなりの物品が、出し入れ自由であった。
ただ無才の彼女が使うには明らかに過ぎたる力であり、周りにはバレないように用いている。
「あら。まだ本学にいらしたの? 汚物」
かけられた声に、エミリアは肩を震わせる。スキル使用を見られた可能性に奥歯を噛み、平静を装ってゆっくりと振り返った。そこにいたのは。
「イリス様がいなくなったのを見計らって、わざわざお戻りとは。お茶でもなさいますか? 皇女殿下」
マナ皇女。
「絶対に嫌よ」
(……スキルについては、言及する気はなさそうね。なら大丈夫か。と、すると。せっかくだし)
ヘリックに聞いた人物評を思い出しつつ、エミリアは金髪縦ロールのお嬢様を望洋と見る。潜入調査はうまくいっていない。アイーナの足跡を追う必要がありそうだが、情報は乏しく……教授たちは聞いても、皆して口をつぐんだ。突破口となりそうなのは、このマナ皇女だ。
(正直、私はともかく……イリスが悪く言われる一番の原因は、この子なのよね。かなりないことないこと、吹聴し回ってるみたい。それにこの子からアイーナの情報を得られれば、イリスはきっと楽になる……)
イリスの負担を軽くする。そのために、エミリアは自分を嫌うマナと対峙する、決意を固めた。
(鍵はきっと、そのアイーナのことだけれども……まずはもう少し、外堀から)
エミリアは挑発的に――少しの〝もやもや〟を感じながら―――にやりと笑みを浮かべて見せた。
「ご兄弟方なら、私のお誘い。二つ返事でお受けいただいたと、思いますがね」
「ッ、どういう、意味よ。あんた、お兄さまたちの何を知っているっていうの?」
「ヘリックに聞いてみてはどうですか? どこまで教えてくれるかは、わかりませんが」
「お前ッ!」
マナ皇女が東屋に踏み入り、テーブルを両手で叩いた。片づけられた天板が、強く音を立てる。
「あんな女と汚らわしい真似をしながらッ! ゾランダルお兄さまだけでなく、ヘリックお兄さままで!? どんな手を使って誑かしてるのよ! この売女!」
(安い挑発に乗ってくれて助かるわ……良い子だけど、苦労はしてなさそうね)
相手の底を見たと確信し、エミリアは笑みを深めた。
「そんなものに引っかかる方々では、ないでしょうに。ご兄弟だというのに、ご存知ない?」
「あんたにお兄さまたちの何がわかるっていうのよ!」
「――――自分だけ除け者にされているから、ご不満といったところですか?」
エミリアの切り返しに。
皇女が押し黙り。
涙を浮かべた。
「妹だと可愛がられているけれど、彼らはあなたを何も頼らない。肝心な時に遠ざけられ、帰って来てみればディアンは異国。父は隠居し、長兄は立太子されて忙しく……構ってもくれない」
「違うッ、わたくしは!」
「ゾランダルも何も知らず、気づけば皇室に近づく妙な女が二人。しかもそのうち一人は」
「お前に何がッ!」
「愛した姉に、似ている」
皇女の目が。
明らかな怒りで。
歪んだ。
「――――取り消せ」
「いいえ。ヘリックにでも聞きなさいな。よく似ているそうよ」
「黙れッ! 貴様なんかお姉さまに似ても似つかない! わたくしの、わたくしのアイーナお姉さまはッ!」
「弟を溺愛し、国を覆そうとした反逆者が、なん――――」
ぱんっ、と綺麗な音がした。
平手で打たれたエミリアは。
笑みを深める。
「お姉さまが愛してくださったのは、わたくしだ! ディアンじゃない!」
「そう。イリス様と睦む、私が羨ましい?」
エミリアは悠然とほほ笑み、睨むマナを見返した。
「私はあなたが――――妬ましいわ」
胸の奥で。〝もやもや〟が膨れ上がる。
エミリアを叩いた皇女が気圧され、たじろいだ。
「なんっ、なんでお前がッ!」
「姉の愛は、さぞ居心地がよかったのでしょう。それに甘んじて、遠ざけられて、今更のこのこ出てきて。みんなに守られて、すべて手遅れになってから悲劇のヒロイン面? 羨ましくてたまらないわ」
言葉が止まらない。涙目で下がる皇女に、笑みと共に叩きつける。
「自分で何もしなくてよかった人生は……さぞ楽だったでしょうね?」
マナは。大粒の涙を、目にためて。
背を向け、あらぬ方向に走り出した。
エミリアは一人残され。
(……………………いやあの。何してんの私)
我に返る。
(あぁーッ! 何か〝もやもや〟してやらかしたーっ! ここんとこ〝もやもや〟がなかったから油断したッ! と、とりあえず追わないと! どっちに――――)
急いで立ち上がり、東屋から出る。マナ皇女の向かった方を見ると。
「キャ――――――――」
小さな声がして。
彼女の姿が、地面に飲み込まれた。
「え……………………? きえ、た?」
誰もいない中庭で。
エミリアは一人、立ち尽くした。
強くなる〝もやもや〟を、胸の奥に抱いて。




