07-04.場末の研究室へ。
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「〝無才〟などお断りだ。成果も出せない無能どもめ」「権力に媚びを売るつもりはないのだよ、補佐官殿」「話しかけないでください……同性同士と、噂になっていますよ」
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(すごい勢いで全滅したッ! どこの研究室も入れてくれない!)
大学構内外れの廊下、もう夕暮れも近いという頃。エミリアはがっくりと項垂れ、膝に両手をついて崩れそうになる身を支えていた。
「にゅ、入学式には来ていない教授がいるはず、ですし……まだ期限もありますから」
イリスの声が耳朶を揺らし、エミリアはさっと周囲を確認する。ひとけがないのを確かめてから、エミリアは素早くイリスに近づき、その両手をとって握り締めた。鼻息荒くイリスに顔を近づけてから、存分に彼女の香りを吸い込む。
「でもこう、返事すらしてくれない人も多いし。どうしようイリス様……」
「最悪、大学入らなくてもいいですし。招いたのは学校側なのに、学ばせる気がないのなら」
眉尻を下げて尋ねると、イリスが口元に不敵な笑みを刻んだ。
「こんな傲慢な機関は取り潰してやります」
「おこなのはわかったから、ちょっと過激なの我慢しよう……?」
エミリアは思わず苦笑いする。断りついでにエミリアにちくり、と言う者が多かったのだ。表情は変わらなかったが、イリスがだんたんと不機嫌になったことに、エミリアは気づいていた。
(入らなくてもいい、とはいってもねぇ。私としては確かに? 結婚したいっていうイリスの願いを叶えられない帝国にいても、意味はないんだけど。それはそれとして学生生活はもったいないし……そういえば)
エミリアはイリスの手をにぎにぎしながら、以前話し合ったことを思い出す。帝国に残り、大学に入る理由だ。当初は招待を受け、王国から出ることが目的ではあったが……今の二人の目標は、それとはまた異なっている。少なくとも。
二人の安住の地は、この帝国ではない。
「そういえば、大学で何か調べるとか言ってなかった?」
エミリアが問うと、イリスは数度瞬きしてから視線を上げた。
「あー、はい。帝都封鎖時、大学も閉鎖されていましたけれど……原因は話しましたよね?」
「え? あ。確か、ここでもダンジョンができてたって」
ダンジョン。精霊が大地や構造物にいたずらして発生すると言われる、不思議な空間。内部は広く、魔物が無尽蔵に生まれ、徐々に拡大する。中には〝核〟があり、これを破壊すると収束して消えてしまう。
半年近く前、帝都はダンジョンができ、魔物が溢れ出していた。ダンジョンの在処はなかなか見つからなかったが、イリスがこれを発見。ディアン第三皇子の親衛隊〝才の庭〟が、核を破壊。ダンジョンと魔物は討伐されている。
だが同時に……この大学もまた、ダンジョンと化していたのだ。それゆえ教職員や生徒は他の街に、全員逃がされていた。帝都封鎖直前のこと、だったらしい。
「はい。ちゃんと破壊されましたが……ちょっとキナ臭くて。そもそもその〝ダンジョンを作る〟っていう製法の出所が、まだわかってないんですよ。トーガスタ帝は何者かに提供された方法を、使っていただけみたいで」
しかもそのダンジョン、自然発生したものではなく、先帝トーガスタが謀略のために作り出したものであった。
しかし。
「アイーナ皇女が遺した研究って話じゃなかった?」
「そのはずなんですが、彼女が亡くなったときに全部処分されてて。何も残っていません。だから、ここにいるに違いないんです」
その顛末には、未だに謎が多かった。
「皇女の遺産を使い、帝都に混迷をもたらした……何者かが」
厳かに告げるイリスの言葉に、エミリアはごくりと生唾を呑む。緊張したからではなく。
(ぁ。いまの声、めっかわ)
色ボケただけである。
「外部から調べるのにも限界があるので、学生として入り込むのが一番楽なのですが。最悪、在学生の誰かを諜報員に仕立てて……」
イリスが真面目な声で続ける。帝国上層部はこの事態を重く見て、調査をしているというわけである。皇帝イリス自らが乗り込むほどではないが、これは元々入学する気だったから、もののついで……という事情だった。
エミリアは、彼女の左手をとって。
「それでもいいけど。私としてはね、イリス」
優しい笑みを浮かべて。
「もうちょっとあなたと学生、したいわ」
穏やかに、願いを告げた。
「貴族学園は半年で辞めることになったし。でもここならあなたと存分に、恋人学生生活、楽しめそう、だし」
「――――よし、やりましょう。権力を使って」
願いはものすごい勢いで叶えられようとしていた。目が据わっている皇帝の暴走を、エミリアは両肩を掴んで抑える。
「ちょちょちょちょ、待ちなさいって。ほら、あなたも言ってたでしょう。入学式に出てこなかった教授もいるって。そこ、回りましょうよ。まずは正攻法で!」
「んむ。仕方がありませんね……じゃあ」
イリスがいたずらっぽく笑みを見せる。エミリアはどきり、として。
「校内探索デート、ということで」
「いいわね。ちょっと探検っぽい」
頬を紅潮させ、期待に胸を躍らせた。
☆ ☆ ☆
(…………結局、ここに来ることになってしまった)
散策した末、エミリアとイリスは学内の外れも外れにやってきた。結局片っ端から断られて、もうドニクスバレットが教えてくれた「ジャクソン教授」以外に、宛てがない。
本当に研究室か? 倉庫ではないのか? という建付けの悪そうな扉を前にして。
(あの男が、善意で教えたとは、さすがに楽観できない。ジャクソン教授とやらが、実は王国出身で……ジーク殿下と繋がりがあっても、驚かないわよ)
エミリアは警戒していた。ドニクスバレットの思惑も気になるが、それだけではない。ジャクソン教授の居所を人に尋ねるたびに〝無才を受け入れている大学の恥さらし〟だの、〝本人も無才で、いる価値がない〟だの、〝学生の成果にあやかって大学に居続けるクズ〟だの、罵倒のような評価ばかり返ってきたのだ。不安である。
(でもジャクソン……ジャクソン教授。何か聞き覚えがある名前のような……)
「入らないんですか? エミリア様。もうここしかないですし」
「イリス様、ちゃんと呼び捨てにして――――ハッ」
首を傾げていたエミリアはようやく思い出す。入学式で、イリスが呆然としていたことを。
(そうだった、さっきイリス、ぼーっとしてたから! ひょっとしてドニクスバレットのことに気づいてなかった!? いやまって何の罠があるかも――――)
エミリアが思わず手を伸ばす、その目の前で。
「失礼します、ジャクソン教授はおられますか?」
(遠慮なく入ったーッ!?)
イリスがノックもなく扉を開けた。
堂々と入る彼女に、恐る恐るエミリアも続く。中は広くなく、やはり倉庫を思わせた。所狭しと置かれた棚、雑然と積み上げられた資料や本、机や椅子と……男性が、二人。
(う、やっぱりいた)
一人は、ドニクスバレットであった。
「若くてコネも権力もスキルもない僕のところに、こんなに人が来るなんてね……もしかして、噂の〝無才〟の子かな?」
もう一人が椅子から立ち上がり、出迎えてくれる。ローブ姿で頭はぼさぼさ、笑顔に力もなく、目をしょぼしょぼとさせている……背が高くて非常に細身な、若い教授。
(あぁっ! 思い出した、このヒョロいビジュアル!? ゲーム二作目のヒロインの兄! スキル無しのジャクソン教授!)
エミリアは彼のことを、ゲームの知識として思い出していた。言葉を飲み込むエミリアの脇で、イリスが淡々と告げる。
「スキルがないのは、こちらのエミリアですが。私はイリス。研究室への所属を希望します」
「なるほど、あなたが噂の補佐官殿。構わないよ、給金は出ないけどね……ジャクソン・ベルだ。専門はご存知だと思うが、廃れてしまった精霊工学」
「よろしくお願いいたします、ジャクソン教授」
(ベル……ジャクソン・ベル? ベル!?)
彼のフルネームを聞いてエミリアの脳裏に浮かんだのは、もう帝都にはいない一人のメイド。
「もしかして、シアンサって妹さんが、いらっしゃいます……?」
「おや、よく知ってる。あの子の友達かな? ディアン皇子について旅に出た、と急に手紙が来たんだけど、何か知ってるかい?」
「アー、ハイ、イロイロト」
思わず尋ねると予想通りの返答が返ってきて、エミリアは頬をひくつかせた。
帝城でかつて、エミリアの世話をしていたメイド、シアンサ・ベル。ディアン第三皇子直属親衛隊〝才の庭〟の長、ガレットの「持ち物」だった少女だ。ディアンやガレットはオレン公国公爵領へと旅立っており、シアンサも同行している。
(ジャクソン教授の妹ってことは、あの子ヒロインだったの!? ゲーム始まる前に退場してる! なんてこと!?)
「そちらのあなた、どこかで会ったことがありませんでした……?」
エミリアが急な人間関係のつながりに惑う傍ら、イリスが奥の男性……すなわち、ドニクスバレットに尋ねている。彼は立ち上がり、丁寧に頭を下げていた。
「おっと、お忘れとはひどいですね、イリス様。ドニクスバレット・ドッジボール。ドット子爵です。その節はだいぶご迷惑をおかけしましたが……フラン男爵はご壮健で?」
「ハッ――――エミリア、こいつ敵です!」
(やっぱり今まで気づいてなかった!? イリスーッ!?)
ドニクスバレットを指さすイリスの手を掴んで、エミリアはすかさず首を振る。
「敵とはひどいじゃねぇか、仲良くしようぜレディ。俺はディーバート・ディービィート。ドニクスバレットの相棒だ。よろしく」
「あ、はい。ご丁寧に…………サルがしゃべったーッ!?」
(収拾がつかない! ツッコミが追いつかない! 誰か助けて……!)
そこへ謎のサルの発言が飛び込み、エミリアは混乱した。
ジャクソン教授もドニクスバレットもなぜか笑っていて。イリスは困惑したまま、エミリアの肩を掴んで揺さぶってきて。
どうも助けは、来ないようである。




