07-03.かつての宿敵。
広い講堂で、入学式は執り行われた。前世ならありきたりだが、現実では非常に珍しいマイク――もちろん精霊具だ――の音声がよく通り、エミリアは。
(イリスかっこえぇ……)
色ボケていた。
エミリアは姫だっこのまま連れ込まれた。イリスが堂々と入場して着席したもので、会場のどよめきはしばらくおさまらなかったものだ。当のイリスは、エミリアの隣で涼しい顔をしていたが。
式の最中。エミリアが視線を送ると、イリスは三度に一度は目を合わせ、ほほ笑んでくれる。エミリアはそのたびに顔を赤くし、目をとろんとさせて――――握り締められたままの左手の指を動かし、すりすりとイリスの滑らかな手の感触を味わった。
ゾランダル皇子が祝辞を述べ、入学生代表としてイリスが壇上に上がり、式辞を朗々と謳い上げた。マイクで響く彼女の声が、ズンッと体の奥に響くもので、エミリアは震えを我慢しながら身悶えていた。
(ありがとう、私の大学生活……最高でした)
仕舞いには、なぜか感涙して涙を一筋流していた。溢れる喜びを胸に、何やら殺気立つ周囲に気づかず、閉会の言葉を聞き。
『ではこのまま、各研究室教授との懇親の場と致します。解散』
周りの者たちが、我も我もと目当ての教授に群がる中。
エミリアは、完全に。
出遅れた。
「……………………あら? これ、どうしよう。イリス……イリス様?」
隣のイリスは着席し、エミリアの手を握り締め、キリッとした表情を浮かべている。
「大学生活、楽しかったですね。エミリア」
イリスもまた、色ボケていた。瞳がキラキラしていて、ちょっと涙ぐんでいる。しかし焦点が合っておらず、周りの状況には気づいていないようだった。
(私と同じでなんか感極まってるぅ!? え、あれ? 研究室って定員あるわよね? どこにも行けなかったら、これどうなる――――)
「あら。補佐官殿とその所有物は、余裕ですわね?」
嫌みな言い回しを聞き、エミリアは振り向く。学生の人だかりの中から現れたのは、マナ皇女であった。開いた黒い扇で口元を覆っていて、その瞳は弧を描いてこちらを見下している。
「まさか、不正で入り込む気? 大学には、皇室や政府の権力すら及ばないというのに。どんな卑怯な裏技を、使う気なのやら」
無反応なイリスに視線を送り、少しため息を吐いて。
「イリス様は別にそんな――――」
エミリアが抗弁しようと身構えると。
「口を開かないで。汚らわしい」
マナが眉根を寄せ、強い蔑みの視線をぶつけてきた。
「わたくしは認めない。同性でむつみ合うなんて、貴族の恥です。そんな、社会に反するような関係なんて――――」
彼女は扇を閉じ、肩と唇を震わせている。その様子は、怒りに満ちているようでもあり。
「許されない、絶対に」
(マナ皇女……?)
どこか怯えているようでもあった。
「世界の最高学府で、そのような不寛容なご意見は、いかがなものかと思いますな」
今度は、男の声が割り込んだ。長身の青年が、背にエミリアたちを庇うように立つ。彼の肩では、サルの長い尾が揺れていた。
サルはともかく……エミリアは彼自身には、見覚えがある。忘れもしない――――かつての、敵。
「ドニクスバレット……!?」
「お久しぶりです、エミリア様。それから……イリス様?」
エミリアが彼の名を呼ぶと、男は慇懃に頭を下げた。サルを器用に、肩に乗せたまま。
「何者です、わたくしの話に割り込んで」
口調に怒気をはらませたマナ皇女に、ドニクスバレットが向き直る。エミリアは正直ハラハラし、成り行きを黙って見つめた。左手をにぎにぎするも、未だにイリスからは反応がない。
「オレン王国で子爵位を賜っております、ドニクスバレット・ドッジボールと申します。ジーク第二王子殿下の使者を務めておりますが……今は見分を広めて来いとの使命を受けた、ただの留学生です」
ドット子爵ドニクスバレット・ドッジボール。亡くなった両親から子爵位を継承した、若き貴族。そのいざこざで第二王子ジークに大恩があるらしく、彼に忠誠を誓っていた。
かつて王子の命を受け、イリスの実家・フラン男爵家にやってきたことがある。男爵やイリスを強引に連れ出そうとし……エミリアらと衝突。結果的に彼は精霊の加護と、スキルを失い、王都へと帰ったはずだ。
(留学……本当に? ジーク殿下の密命を帯びてきたの、では。でも私を連れ戻すつもりなら、今割って入る必要はなかったはず……?)
不審に思いながらも、エミリアは皇女と子爵を見つめる。
「法で同性の仲を認める国は、まだどこにもありません。ですが貴国と懇意の西方諸国では、これに反する動きも出つつある。帝国で認められないのは、国家の根幹にかかわるからだとは、聞き及んでおりますが」
ドニクスバレットが、朗々と語る。丁寧だが、どこか挑発するような響きがあった。
「精霊は、そのようなことに感心を持たない。人の……家の都合に過ぎない」
「木っ端貴族程度では、家の重大さが理解できないようね?」
(いや、その話題はむしろ、ドニクスバレットの地雷……)
マナの反論に、エミリアは肝を冷やす。両親のこと、王子とのこと、そして彼が最も執着している〝約束〟……ドット子爵家はドニクスバレットの心の、火薬庫のようなものである。スキルを失ったとはいえ、いつ火がつくかわかったものではない。
だが。
「小さな家だからこそ、その重大さは理解しておりますとも。後継者がいなければ、すぐに取り潰されますので。しかしゆえにこそ、家と人とは別だ、とも理解しております。人の情などを鑑みては、家の維持はできない。だから貴族は義務として、子を為すのです」
ドニクスバレットの反論は、穏やかだった。
「エミリア様のパーシカム公爵家も、イリス様のフラン男爵家も、別に後継者を設けておいでだ。そしてお二方とも、単に嫁入りする以上の貢献を、実家にもたらしておられる。それとも」
しかも、明らかにエミリアとイリスを庇っている。エミリアとしては、彼が何かの理不尽を感じて割って入ったのだと思っていたが……どうもそうではないようだ。
「この私以上に、二家の細かい事情にお詳しいとでも? 皇女殿下」
ドニクスバレットがそう締め括り、一方のマナは眉根を寄せて彼を睨み、唇を強く噛んでいる。正論にやり込められている、というよりは。
「…………どんなに理屈をこねようとも、汚らわしいものは、汚らわしいのよ。認められることなんて、ないのよ。わたくしのように……」
何かを強く、こらえているかのようであった。その体からは、力がこもるどころか、抜けているかのようで。衣装や髪の派手さと合っていない黒扇を、すがるように抱きしめている。
(〝わたくしのように〟って……どういうこと? マナ皇女は、いったい)
「失礼。研究室が決まらねば、在学はできませんので――――もう会うこともないかも、しれませんわね」
寂しげに捨て台詞を残し、皇女がまた人波の方へと消える。エミリアとドニクスバレット、そしてまだ呆けている様子のイリスが残された。
「ドニクスバレット、なぜ……」
「殿下からは、何も預かっておりません。そう警戒なさらず」
(いや、そう言われても信じられないわよ……)
半年近く前に別れた切りの、エミリアの元婚約者・ジーク王子。彼はエミリアに執着し、愛を告げ、諦めない意思を示していた。それ以降は働きかけがなかったものの、彼の使者を務めていたドニクスバレットがこうしてやってきたのだ。警戒するなというのも、無理がある。
「あなたは、約束を守られた。私があなたがたを尊重する理由は、それだけです」
だが彼は、そう言って背を向けた。
(約束? もしかして、ドニクスバレットが王都へ無事帰れるよう、手を出さないと誓ったこと……? でも、たったそれだけで敵を助けるの?)
エミリアは呆気にとられ、それから首を振った。
(いえ……そうだった。この男にとって、〝約束〟は命より重いもの。でも不安ね。これで貸し借りなしということなら、いつ牙を向けてくるか、わからない……)
「……ああ、そう。ジャクソン・ベル教授なら、定員が埋まるということはないはずです。それでは」
エミリアの疑念に応えることもなく。
かつての敵もまた、去って行った。
その肩で。
「じゃあな、嬢ちゃん。自己紹介は今度してやるよ」
振り向いたサルが、言葉と。
(しゃべったーッ!?)
衝撃を残した。




