02-01.見放されていた者。
ここから、短編の続きです。
同じ人間とは、思えない――――エミリアはいつも、〝彼〟に会う時にはそう感じる。ジーク王子との婚約破棄劇の後、忍び込んだ王城の廊下で味わおうとは、まったく思っていなかったが。
「う…………くっ」
堂々と迫って来る彼から目を離し、エミリアは呻き、視線を走らせる。窓から入り込んだばかりのイリスを素早く背中に庇い、小柄な彼女の姿を隠そうとした……無駄かもしれないと、焦燥に胸を焼かれそうになりながらも、何かせずにはおれない。
(これは……読まれて、いた。迂闊だったわ。おつもりによっては、もう為す術が、ない)
心の奥で、膝をつきそうになる。
だが。
(いえ。私なんかの、手を引いてくれたイリスのためにも! ここは――――!)
「その娘が、〝万才の乙女〟か。エミリア・クラメンス」
いつの間にか、精悍な男の顔が、すぐ横にあった。ぞわりと背筋が泡立つも、身動きがとれない。目の端で様子を窺えば、彼――――オレン国王アイードは、エミリアの背後のイリスを、値踏みするように眺めていた。
「陛下、この娘は何も――――」
「国王陛下の問いに答えなさい、エミリア。わたくしはあなたを、そのように教育したつもりはありません」
庇い立てしようとしたエミリアは、肩をびくりと震わせ、恐る恐る反対側に顔を向ける。いつの間に近寄ったのか、妙齢のすらっとした女性の姿があった。カメリーナ王妃だ。
「よい、見覚えがある。元冒険者で発明家、フランめの娘か。育ちが悪いな……調子に乗って、鍛え過ぎだ」
(育ちって……素行? 発育? 両方かしらね……)
どうでもいいことに思考が逃避しているうちに、エミリアから国王がすっと離れる。彼女は肩で息をしそうになるのを必死に抑え、姿勢を正して顔を取り繕った。今更ではあろうが、あまり無様を晒せるものでもない。
「それで? 暗殺にでも参ったか」
「お戯れを、陛下。お暇をいただきに参りました」
ぎょっとするようなことを言われ、エミリアはすかさず切り返す。
「であろうな。奴から婚約を破棄し、それをお前が受け入れたと聞いておる。認めよう」
「あ、りがとう、存じます」
国王の顔は笑っていたが、青い瞳は興味がなさそうだった。機先を制され、エミリアは言葉を絞り出す。
(経緯もご存知、と見える……なら問題は、ないわね)
エミリアは振り返る。彼女は、第二王子ジークと婚約していた。先ごろエミリアの計略にはまったジークは、公衆の面前で婚約の破棄を宣言し……当然にそれは、国王の耳にも入っているはずである。エミリアが王城を訪れたのはその〝確認〟のためだった。最後に縋り付くようだった王子の様子に一抹の不安を覚え、念のため蒸し返されないように「確かにジークから婚約を破棄された」と国王相手に念を押しにきたのだ。
正規の手順で来なかったのは、時間がもったいなかったからである。以前ジークに聞いていた王宮侵入ルートの一つを使い、国王執務室の目の前までやってきた。しかし押し入って要件を告げて帰ろうと思っていたのに、こうして出迎えられたわけである。
結果。
(要件は済んだけれど……あと、何を話せば)
出鼻をくじかれて……エミリアは完全に、主導権を握られてしまっていた。自分から、うまく話を切り出せない。
「国王陛下、並びに王妃殿下にお答え願いたく存じます」
(なっ!?)
困惑したエミリアが、さらに動揺する。脇からずいっと、イリスが進み出たのだ。
「イリス、だったか。申してみよ」
何やら国王の目が笑っており、エミリアはさらに驚愕する。彼女が口を挟めぬ中、二人の問答が始まった。
「はい。恐れながら、第二王子殿下の専横、目に余るものがございます。誤解で公爵閣下のご息女に、公衆の面前で婚約の破棄を宣告するなど、そのご才覚にも疑わしきところがある。国王陛下、並びに王妃殿下が如何様にお考えか、お聞かせ願いたい」
(イリス、なんてことを堂々と!? もうちょっと前置きを置いて! 婉曲に言いましょうよ!?)
狼狽えるエミリアの隣で、朗々とイリスが語る。アイード王がにやり、と笑みを見せた。
「どうとも?」
「そんなっ!?」
(ええ!?)
エミリアは跳び上がらんばかりに驚いた。他人の成果を掠め取り、宝を得るために犠牲者まで出した……王家はそんなジークを、知ってて放置しているということだろうか。
「奴は第二王子、だ。問題のない第一王子……ウォレンツに勝とうと、ジークめがあがき、失態を演じた。国王として、どこに問題を見出せと?」
エミリアとイリスが目を見開いていると、国王が容赦なく畳みかけてきた。彼の口元が、なにやら楽しげに歪んでいる。
「ですが、民に損害を出しています!」
「ふむ……損害とな」
イリスの抗弁に対し、アイード王はじっと彼女とエミリアのことを見つめてきた。二人がしている……その胸元のブローチを。
「〝竜鳥の涙〟か。討伐隊が持ち帰ったものを、ジークめが強請り……お前たちに下賜したのだろう。討伐はもとより、あのモンスターの版図拡大を防ぐため、我が名で企図したもの。騎士団や村落に被害が及んだのは、我が責任の下に保障した。なんぞ、あの小賢しい我が子が、騎士団を動かしたとでも思うたか? そこまでこの国王、耄碌してはおらん」
「ジークが小さな不正をしていることなども、承知しています。聡いものほどそれに気づき、あの子から離れ、ウォレンツの味方となりました。優れぬ者、素行の悪い者はジークの下に集まり、国の主流から外れていく。王妃としてもあの子の行いは〝問題ない〟と言いましょう。ジーク個人が落ちぶれるのは、国としては大事ではありません」
国王、王妃に畳みかけられ、エミリアは狼狽する。特に、竜鳥の討伐だ。確かに騎士団が動いているのだから国の命令だろうが、エミリアは無意識に「王子が己の権力で動かしたのだ」と考えていて……その裏までは、とっていなかった。
(殿下は……承知の上で放っておかれていたと、いうの。対局的に見れば、それは正しいのかも、しれないけれど)
胸の奥で。
もやり、と。
何かが蠢く。
「もちろん、ジークが兄を補佐する良き者となるのであれば、わたくしたちとしてはそれが一番でした。しかしあの子は、多数の教育者たちや、我々がいくら手をかけようとも、低きに流れた。であるならば、どうしても出る同類の旗手とし、のさばらせた方が役に立ち、あの子のためにもなります。過ぎたれば国として捕らえますが、まだ子どもの遊びの範疇です」
「こ、公爵家との関係に! ひびを入れようともですか!」
カメリーナ王妃の弁に、イリスが食い下がっている。エミリアはそれを、遠い出来事のように聞いていた。自分のこと、実家のことなのに……どこか他人事のように。
「それは政治の問題ですね。かの公はこの破談を機に、公国としての独立を狙うでしょう。ですがそれは、もしエミリアがジークと結婚していても、いずれ起こったこと。わたくしはそれよりも」
王妃がじっと、エミリアの瞳を覗き込んできた。いつも厳しかった彼女が……その目に、憂いを滲ませて。
「あなただけが、気がかりでした。どうやら自ら目を覚まし、ジークの元を離れたようですね? エミリア」
「ウォレンツ唯一の失点だ。エミリアを選んでおけば、釣り合っただろうに。おかげで見合う女がおらず、今でも嫁の来手がない」
「王妃様、国王陛下……」
どこか気遣うような二人の言葉に、エミリアは強く戸惑う。〝無才〟の自分の方がジークよりも、国にとって有用だと言っているように聞こえたからだ。彼女が恋に盲目でなければ、と。そう願っていたかのように。
確かにエミリアは王妃になるため、懸命に妃教育を受け、乗り越えた。だがそれは、ジークを求めたからで……王妃の座を欲したわけでは、ない。
食い違う期待に、何か目の前が真っ暗になったような、気がして。
エミリアは。
「ジーク様の」
ぽつり、と。零した。
「ご両親としては、どう思われているのですか?」
光ない目と、抑揚のない言葉で、エミリアは訴える。長く領から離れていたエミリアは……国王と王妃に、ずいぶん目にかけてもらった。王妃には手ずから、教育を施されていた。どこかで、親のように思っていたのだ。だから。
この二人が、息子を突き放すのが。
どうしても、信じられない。