06-16.才の旅立ち。
また幾日か経ち。
帝都のダンジョンは、破壊された。
封鎖は……解かれたのだ。あっけなく。
〝才の庭〟は英雄と祭り上げられ、役目を終えて解散という運びになった。同時に、彼女たちを活躍させるための〝スキル絶対優位法〟は失効。安全のため帝都から避難していた皇帝は戻らず隠居、ヘリック第一皇子が皇太子として指名された。非常事態下で皇帝代理となっていたディアン第三皇子は任を解かれ、彼の希望により諸国漫遊の旅へ出ることになった。さらに皇族縁戚で、ダイヤランクスキルを持つ〝イリス・ジーナ〟がヘリックの後見についた。彼女は皇帝不在の帝国を整備し、ヘリックに引き継ぐまで、精霊竜から預かっているこの国を導く。
そういう筋書きが、公表され――――歴史書にも、刻まれる。
(ひどい話。いろいろと茶番だわ)
エミリアはそっとため息を吐く。庭の元メンバーとディアンが出立の準備をしているのを、ぼんやりと眺めながら。
(トーガスタ帝が海軍を動かしたことは王国には知られているし、向こうには残る。皇帝についても、トーガスタが七十六代目で、次がディアン、その次がイリス、そして七十九代目のヘリックとなる。表向き、ディアンとイリスのところは空位となる……けれど何代目かは修正されないらしいのよね。後世の歴史家たちは、どう思うかしら)
エミリアの隣のイリスは、表向き「皇太子後見人の最高スキル保持者」である。もちろん実態は、彼女こそが今の皇帝だ。ディアンは追放だし、庭の面々もほとんど同じである。彼女たちは帝国内の故郷に戻ることは許されていたが、帝都に近づくのは避けろと釘を刺されていた。
しかし。
「みんなあなたに、ついていくなんてね」
エミリアは支度が終わって近づいてきたディアンに、そう声をかけた。
「それは俺が一番意外に思ってる。俺は何もしてやれなかったというのにな」
「何をおっしゃいますか。それに、放っておけないのです」
近づいてきたガレットが、辛辣に述べる。
「おお。俺、モテモテだな」
「それはありません」
ガレットがぴしゃりと言い、ディアンは苦笑いだ。
(周りは、顔のいい男が作ってるハーレムとしか見ないだろうけどね……けど男避けにはちょうどいいのか。ディアンも、それでいいと思ってる。けど実態は、傷心した者たちの集まり、ね)
「まぁ、私の場合は……ほかに行き場がないから、というのもありますが」
力なく笑うガレットに、エミリアは少し胸が痛んだ。トーガスタと組んだディアンを追放する以上、〝才の庭〟の元メンバーたちは、特に帝都にはいられない。必然、いずれ皇帝になるヘリックと、侯爵令嬢のガレットの婚約は……解消の運びだ。どうも彼女は侯爵家にも帰りづらいらしく、ディアンたちと共に、帝国を出ることを選んでいた。
「そんな顔しないで、エミリア。あなたのおかげで、希望が持てた」
「ガレット……でも。またあなたたちを、争いの場に、送ることにも……」
「それでいいと言っているの。忙しいくらいが、私たちにはちょうどいい」
眉尻を下げるエミリアに対し、ガレットの顔はあくまで晴れやかだ。
「公国が樹立できたら、すぐに呼ぶから。我らがお姫様?」
「その呼び方はやめてちょうだい、ガレット……」
皆はエミリアの手配により、オレン王国パーシカム公爵領へと向かうことになった。独立を前にした公爵領でなら、彼女たちは存分に働けるであろう。帝都での実績もあり、エミリアとしても勧めやすかった。
「いずれ帰ってくるのでしょう? エミリー」
「里帰りくらいはね……エミリアよ」
「いいえ、あなたはエミリー。私の大事な、友達よ」
エミリアは目を瞬かせ、それから泳がせる。それは確かに庭の面々との絆を示す名前。だが裏切りの名でもある。彼女たちを騙していたことに、エミリアは今更ながらに胸を痛めていた。誰も咎めないからこそ……後ろめたい。
「どうして、そこまで……」
「あら、エミリーはそうは思ってくれないの? でも私は忘れないわ」
ガレットがさっと近寄って、エミリアの右耳にそっと囁く。
「スキルではなく、私と向き合ってくれたこと。忘れない」
そう言われても、エミリアには思い当たる節は少ない。ディアンの部屋に忍び込み、見つかったときのことだろうか。彼女がそう、戸惑っていると。
「だから向こうでは、頑張っておくわね。あなたの居場所が、公国にできるように」
「へ?」
「楽しみにしてるといいわ。これでも法関係は得意なのよ。王国は法治が未熟らしいから、腕が鳴るわね」
「はぁ」
そんな言葉を残し、ガレットは離れ、荷馬車にあれこれ積み込んでいる仲間たちの方へ戻っていった。
「しかしまぁ」
残ったディアンが、じろじろと見つめてくる。特にエミリアの、左側。その手の先を。
「脈がないわけだ」
硬くイリスと繋がれた、手を。「男を見送るんなら、せめて手を離さないでください」と可愛いことを言われたので、先ほどから繋ぎっぱなしだ。今も何か、促すように指を絡めてくるので。
「その気もなかったくせに」
エミリアは苦笑交じりに、辛辣に返した。
すると。
「――――アイーナは、俺が壊したんだ」
ディアンは笑みを消し、低い声で告げた。エミリアは息を呑み、ただ続きを待つ。
「俺のためにと、頑張ってくれた。俺はそれに、甘えて。奥手になるのも、無理ないだろう?」
「ディアン…………」
実の姉を、どう思っていたのか。本当はどういう関係だったのか。アイーナは狂って処刑されるまで、いったい何をしたのか。皇帝になって引きずり降ろされた第三皇子は、何も語らない。ただ瞳が揺れ、ため息を深くしていた。彼の傷の深さを思わせ……エミリアは、何も言えない。
「イリス」
「なんでしょう」
「そんなわけだから、俺は色に狂ったりしねぇ。だが」
ディアンは瞳に強い光を宿し。
「俺の仲間を不幸にするようなら――――浚いに行く」
怒りを、静かな激情を込めて、そう告げた。対するイリスは。
「何を言ってるんです。私はエミリア様を不幸にしました」
そう告白し、鼻で笑った。
(イリス? もしかして……)
エミリアは思わず視線を下げ、じっと見つめる。彼女の胸元で輝く〝竜鳥の涙〟のブローチ。エミリアとおそろいの……愛と裏切りの始まりを示す、証。
「わたしがいなければ、エミリア様は公爵令嬢として……王子の妻になった。わたしがいなければ、王妃になっていたかもしれない。でもその道は潰えました。永遠に」
「それを不幸だと、お前は言うのか?」
「いいえ。でも誰もが、そしてあなたも、そう言うでしょう?」
イリスは真っ直ぐに、ディアンを見ている。睨みつけているようでもあり、何も見ていないようでもあった。
「だけどわたしはこう言う。もう、誰にもはばからない」
「わたしの傍にいることが、エミリア様の幸せです」
彼女の言葉が、力強くて。エミリアは思わず、繋がる左手を握り締めて。目を伏せ、顔を逸らし、昇る熱に耐えた。
「俺には言えない言葉だな。ヘリック兄上を、頼む」
「ええ。きちんと皇帝にしてあげますよ」
ディアンの歩み去る足音を聞き、エミリアは顔を上げる。彼は背を向け、肩越しに手を振っていた。




