06-14.皇帝就任。その名は。
眩い世界のヒロインの登場に、一同は静まり返った。
(イリスだぁ……イリス、イリスぅ――――ハッ)
正気を失いそうになり、エミリアは我に返る。皇帝私室は真面目で緊迫した雰囲気で、今から抱き着きになどいったら空気ぶち壊しである。
「お前は……」
「あなたは確か、エミリーの〝無才〟」
「改めて名乗りましょう」
イリスは一人、部屋の中につかつかと入って、エミリアの隣に立つ。
「こちらはエミリア様。オレン王国パーシカム公爵家のご令嬢です。そして私は同じく、フラン男爵家の娘で、イリス・クロッカス…………でした」
イリスが懐から出したオレンジ色の印鑑と、銀の――――橙の宝石らしきものがついた、腕輪を見せえいる。ディアンが、目を見開いた。
「それはッ」
「国璽と、国宝の〝逆鱗輪〟。そちらに飾ってあるのは、偽物です」
執務机にも、確かに同じ意匠の代物がある。多少くすんで、古いものに見えた。
「本物は北の大雪山に鎮座している精霊竜ジーニアスの、逆鱗と爪から作られているのです。だからこうすると」
イリスが国璽と腕輪を打ち鳴らす。両方が淡く光って、キィーンという静かな音が響いた。
「発光し、共鳴します。トーガスタ帝に担がれましたね? ディアン殿」
「お前は……なぜお前が、それを」
「第七十八代皇帝、イリス・ジーナとなったからです」
「「「はぁ!?」」」
ディアン、ガレット、そしてエミリアが声を上げる。イリスは口角を吊り上げ、にやりと笑っていた。彼女は国璽をしまい、代わりに四角いカードを取り出して見せる。
「こちらはわたしの、スキル証明書です。大学関係者に渡りをつけ、留学を認めさせ、正規手順で発行してもらいました。わたしの〝才能〟スキルはダイヤランクです」
(は、え? そこまでやったの? いつのまに……というかスキル証明書ってことは、まさか!)
エミリアは驚きの連続であったが、ようやく事情が脳裏で繋がりつつあった。
「世界唯一のダイヤランクスキル保持者として認められたわたしは、先般施行された〝スキル絶対優位法〟に基づき、現皇帝ディアン以上の正当性を得ました。これを背景に、トーガスタ帝に国璽と国宝の譲渡を認めさせたのです」
「イリスが、皇帝……?」
「はい。その通りです、エミリア様」
ようやく、イリスが本当に皇帝になったのだと飲み込む。信じられない想いだったが、自信満々なイリスを見ていると、妙に納得してしまった。
その眩い輝きに相応しいと――――これこそがイリスだと。エミリアは腑に落ちが気さえしていた。
「せっかくですから、経緯の整理をしましょうか。事情を飲み込むのに、時間も要るでしょうから……特にディアン殿は」
ディアンは、イリスを睨んでいる。だが手を出したりする様子はない。ダイヤランクのイリスには暴力でも敵わないと思っているのか、あるいは国璽と国宝の衝撃が大きいのか。
「しばらく前。オレン王国で、精霊の祝福に迫るある論文が発表されました」
イリスがゆっくりと、解説を始める。少し昔を、懐かしむように。
「トーガスタは、これを聞いて危機感を抱いたようです。精霊研究でも王国に先を行かれたら、もう帝国に芽はない、と。それで、今回の計画を実行に移しました」
(あっ。その発表って……イリスが書いて、ジーク王子が掠め取ったやつ。あれがきっかけなのね)
それは、エミリアが婚約者のジークに、不信を抱き始めた出来事でもあった。もう遠い昔のような気がするが、まだあれから半年も経っていない。
「まずアイーナ皇女が残した技術で、城の脱出路の一つにダンジョンを作りました」
「なっ、そんなところに!? 見つからないと思ったら……!」
「ああ、やはり知らされてなかったのですね、ディアン殿。自然発生したと思ってらしたようだ。ですがやったのはトスカーナです。」
驚愕の色を瞳に見せるディアンに、イリスが淡々と告げた。
「彼は脱出路の城側を封鎖し、街中に魔物が出るように仕向け……あなたに帝位を形だけ譲って、自らは身を隠した。東方を中心としたいくつかの貴族と手を結び、海路と陸路、双方から王国に攻め込む計画を実行に移したのです」
(陸路も……これは計画書にはなかった。ディアンは大事なことをほとんど教えられていなかったのね)
つまりただの自滅に見せかけて、皇帝トスカーナは王国をきちんと攻め落とす算段があった、ということである。イリスが止めてくれなかったらどうなっていたことか……エミリアは肝を冷やし、奥歯を噛みしめた。
「ですが、ディアン殿が引き換えに呑ませた〝スキル絶対優位法〟のおかげで……わたしが割り込むことができました」
イリスの独壇場が続く。
「ダンジョンの場所を見つけ、皇帝が隠した大学の教職員たちと渡りをつけ、スキル証明書を発行し、トーガスタの居所を特定。強襲し、身柄を確保。ああ、他の同調した貴族たちについては」
エミリアが帝城に来てから、イリスは裏で恐るべき速度で動き回り、大きな成果を為し得ていたようだ。エミリアは自身の不甲斐なさを少し感じながらも、それ以上にイリスの活躍に歓喜し、頬を染める。
「オレン王国に牽制されて身動きがとれていません。計画はすべて、頓挫しています」
(王国攻めは止められ、ダンジョンの場所もわかったなら封鎖も解ける。大学も再開できて、先帝トーガスタは囚われて悪さができない。すべて決着がついて――――)
だが一方で。
「イリス。ディアンはどうなるの……? 彼が作った、〝才の庭〟は」
どうしても、気になった。ハッとして顔を上げたガレットと、目が合う。彼女はゆっくりと、苦悶の表情を浮かべるディアンに、視線を向けていた。
「トーガスタと組んで帝国に混乱をもたらしたディアン殿は、追放です」
(そん、な)
確かに、もし先帝トーガスタを罰するなり、隠居させようと思ったら……計画を明るみにする必要が、ある。計画において、ディアンはただの被害者ではない。見方によっては、皇帝を騙って専横を働いていたともいえる。気持ちでは納得できなかったが……為す術がないことも、エミリアは理解した。
「〝才の庭〟には……もうひと働きしていただきます。ダンジョンをまだ破壊していないので。ただその後については、今回の件を明るみにする前に、解散です」
「えっ、解散!?」
エミリアは思わず、声を上げる。庭の仲間たちは、ただ真っ当に働いていただけである。評価されこそすれ、追いやられる理由はないはずだった。
「ディアンの部下だったことを踏まえると、汚名を残しますよ?」
(あっ。となると……最後に華を持たせて、スキル保持者の運用自体は成功だったと、名を残してくれるということ……? イリスはいったい、どこまで考えて――――)
確かに、ディアンが追放となるなら、その部下だった〝才の庭〟だって後ろ指をさされる。少なくとも、今後の活動も安泰とは、言えないだろう。
「は、はは。因果応報、か」
夢破れた男が、乾いた笑いを上げている。エミリアは胸の内が〝もやもや〟とし、唇を噛んだ。
「俺なんかが粋がって、抗ったから。最後はスキル絶対主義を逆手に取られ、国を乗っ取られ、俺は追放、か……」
「乗っ取りはしません。帝国は返します」
イリスがきっぱりと否定する。どういうことか、と様子を伺っていると。
「オレが皇太子に指名され、イリスはいずれ皇帝を降りる。その前に一仕事、やってもらうがな」
第一皇子へリックが進み出た。
「歴代皇帝が撤廃しようとしてどうしてもできなかった〝優生保護法〟……スキル優位を保証するこの法の撤廃を行います。世界一のスキルランクのわたしがやるなら、誰も反対できませんからね」
イリスが特に感慨もなさそうに言葉を引き継ぐ。エミリアは、目を丸くした。
「帝国のスキル優位社会が終わる、ということ……? イリス、その後は?」
「国としては残りますよ。精霊竜との約定がありますから、ちゃんとこの国璽と国宝を持った人間が治めてないと、竜が滅ぼしに来ます」
(こわっ! 何その伝説こわっ!)
背筋が震え、エミリアは慄く。竜など見たこともないが、どう考えてもヤバい奴である。彼女の知る乙女ゲームにもその名が出ていた記憶があるが、強すぎて挑むことすらできない……という代物だったはずだ。
「元々、皇帝とはそういう人柱だ。お前にやらせるつもりは、なかった。ディアン。なのに、あの耄碌した父上に、担がれやがって……」
ヘリックが静かに告げる。最初にあった時は粗暴だった第一皇子は、今はその顔に憐憫と意思、そして責任のようなものを感じさせた。
「兄上、俺は」
「この国のスキル優位は、なくなる。そうすれば、高ランクのスキル保持者たちは、国を跨いで彷徨い出すだろう。こんな国に留まっていたら、お前の理想は間に合わなくなるぞ?」
皇子がディアンの肩に、手を置いている。兄弟が視線を、交わしていた。
「アイーナを使い潰した世界は、もう終わりにするんだ。オレと、お前で」
「兄上……!」
「わたしの活躍のおかげなんですけどね……」
二人を見ながら、隣のイリスが小さく愚痴をこぼしている。エミリアは思わず笑顔になり、ちょいちょいと彼女の肩をつついた。
「あれに混ざりたいの?」
「いえ、別に」
(おっ。なぜ冷たい。というか)
そっぽを向いたイリスに、エミリアはつい首を傾げる。
(いつものイリスに見えるけど……大丈夫、なのかしら? 衝動が爆発しそうになってるかもっていうのは、私の勘違い?)
帝国と王国の危機は、去ったのかもしれない。
だが。
(いえ……勘違い、じゃ。ないわね)
エミリアを見ないイリスの視線。首筋に流れる汗。どこかイラついたような表情。血管の浮いて見える瞳。余裕のなさそうな息をする、肩や口元。
(イリス――――)
エミリアの大問題は……まだ片付いて、いなかった。




