06-10.別れて、迎えられて。
★ ★ ★
帝都市壁が遠くに見える、小高い丘。焚火の明かりが、木に繋がれた数頭の馬を照らしている。火の周りで車座になった、旅装姿の者たちも。
そして。
「わりぃ、遅くなった――――って姉ちゃん、何してるの」
「しっ! レヴァイ、寄るな。こっちこい」
「いやだってよ、あれ……」
「いいからこい、近寄るな! 組み手の相手させられんぞ! 死にたくなければ近寄るな!」
「お、おう……」
同じ顔の少年二人の声が、遠くなる。夜闇には、小さな虫の声。風の遠い音。爆ぜる炎、そしてぼそぼそという冒険者たちの言葉。
「フーッ、フーッ、フーッ……!」
――――自分の、荒い息が響いていた。
イリスは高速で、膝の屈伸運動を続けている。汗はしたたり続け、服は乾くことなく、ぐっしょりと体に張り付いて重い。だが体が止まらない。否、止めると……気が、狂いそうで。
「発散、しなきゃ。発散、発散……!」
先の弟の声で集中が乱れたせいか、また脳裏をあの光景が掠める。
第一皇子に捕まり、迫られていたエミリア――――赤い顔が可憐で、蠱惑的だった。
皇帝に抱きしめられ、ついには隣で寝始めたエミリア――――野獣の隣で安心しきって眠る姿が、背徳的だった。
自分に組み敷かれて震え、目を閉じ、おとがいを上げるエミリア――――世界一、美しかった。滅茶苦茶にしたくて、たまらない。
「エミリアさま……エミリア様……」
うわごとのように呟く。汗ばかりか、涙とよだれも垂らし、ひたすら体を動かし続けても……まだ、胸の奥から〝もやもや〟が溢れてくる。全身を駆け巡る。血という血を支配し、沸騰させる。早く汗にして絞り出さないと、このまま取って返して。
また彼女を、押し倒してしまう。
「フーッ…………フーッ…………!」
息を深くし、荒くし、屈伸運動をさらに早くする。脚に負荷をかけ、動かされる筋肉に集中する。でないとイリスの〝もやもや〟は、すぐにでも暴走してしまう。ただでさえエミリアになかなか会えず、煮えたぎっているというのに。
あんなものを、立て続けに見せられて。
高まったのは、嫉妬などではない。妬ましさなど、羨ましさなど、欠片もなかった。皇子や皇帝など眼中になく、イリスはただずっと、エミリアだけを見ていた。彼女に会った時、言葉が冷たかったのは……しばしの別れが惜しかったからでも、怒りがあったからでも、ない。ただなじり、責め、拒絶を吐き、少し嫌われるくらいに意識しないと……この〝もやもや〟がおさまらなかったからだ。あの無防備に、イリスに全幅の信頼と好意を寄せ、全霊で肯定し、その魂で、その生き方で……想いを伝えてくる、エミリアに。
「エミリア様エミリア様エミリア様エミリア様エミリア様エミリア様…………」
この〝欲望〟のすべてを。
叩きつけて、しまいそうで。
「できないできないそんなことできない嫌われる愛される絶対に無理ムリむり…………」
イリスはうわごとのように呟き、体を動かし続ける。なんとかエミリアから意識を逸らそうとしては、失敗して彼女を想う。
嫌われるに違いない。
愛されるに決まってる。
そんな二つの思い込みが。
ずっと脳裏を焼いて、消えてくれない。
「ああぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁあッ!」
イリスは耐えきれず、両の拳で地面を叩いた。ズズンッと大きな音を響かせ、大地が揺れる。土埃が立ち、地は衝撃で凹んでいた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒い息が、少しずつ収まってくる。あれだけ動いても抜けなかった力が、〝もやもや〟が……少しだけ、軽くなっていた。
「姉ちゃん……」「イリスちゃん」「イリス……」
心配そうな、三つ子の声が聞こえる。イリスは大きく息を吸って、立ち上がった。
「皆、集まったわね。行きましょう」
埃と多量の汗を吸った服が、べったりと肌にまとわりついている。ぬるい夜風が染みるようで、少し心地よかった。
「エミリア様に――――すべてを捧げるために」
弟たちが、冒険者たちが、どこか慄きながら頷いている。そんな彼らを、イリスは。
らんらんと輝く青い瞳で、眺めていた。
★ ★ ★
騎士や兵士たちと共に、乙女らが正門をくぐり、城へと帰投する。彼らは、市中警ら任務を無事、終えたところだった。鎧や武器も汚れていない男たちが、恐々としながら乙女たちを見送る。泥や返り血にまみれた彼女たちは、城の奥へと進んだ。
(魔物は相変わらず出る……けど、民には歓迎されていたし、彼らに悲壮なところもなかった。封鎖しているとは言っても、食料とかは運び込んでるそうだから……魔物が出ること以外、影響が少ないのかしら?)
乙女たち――〝才の庭〟の中に、エミリアの姿もあった。イリスが去って、一夜明けて。今日が正式採用された彼女の、初仕事、である。
「よかったの? エミリー」
隊員の一人に、気安く声をかけられる。今の帝都は本来なら、スキルランク差で扱いが分かれる。兵士や騎士たちは乙女たちにはもちろん、皇帝と同じランクのエミリアには最敬礼だ。しかし隊員間の連携を重視し、庭の中では対等が原則、であった。
そんな中、エミリアは庭の仲間たちに疎まれるでも、羨まれるでもなく……どういうわけか意外と、気にかけてもらっている。偽のスキル証明で潜入しているエミリアとしては、騙している罪悪感が強くなる一方、やりやすくはあった。
「いいの。冒険団の仕事で、忙しいそうだから」
エミリアは答え、首を振る。話題に出されたのはもちろん、イリスのことである。城に招く予定であったが、彼女は帝都を出て行ってしまった。エミリアは「街にいるが、冒険者の仕事をしていて忙しいと断られた」と仲間内に告げていた。
「だからって〝無才〟の子が、所有者の誘いを断るとか、ある?」
「エミリーのとこは主従じゃなくて、もっと絆が深いのよ」
「おっ。ただならぬ関係……? 男?」
「女の子だって。ねぇ、エミリー?」
「おぉっ、禁断の関係……」
(好き勝手言ってくれちゃって……そんなんじゃ)
かしましい仲間たちの発言に、記憶が刺激される。エミリアを押し倒し、最後に涙だけ零していった……イリス。まるで嫉妬しているかのようだった、彼女の姿が。
(きれい、だったけど。そんなんじゃ、ない)
エミリアは密かに顔を、赤らめる。別れの一瞬、見えた……夕焼けに照らされ、苦悶に顔を歪めたイリスは。どうしてか、とても美しく、見えた。
(……あれ、スキルのもたらす衝動――〝癖〟、よね。イリスにはないと、思っていたけれど。ひょっとして、ずっと抑えてた? あれ、ランクが高いほど、強い傾向にありそうだし……ダイヤランクスキルのイリスは、もしかして)
ずきりと胸が痛み、〝もやもや〟が湧きおこる。エミリアはそっと、胸元のブローチを握り締めた。はめ込まれた〝竜鳥の涙〟は、今日もひやりと冷たくて。
(ずっと辛い想いを、してたんじゃ――――)
その冷たさが、手を伝って体の熱を奪っていく、ようで。エミリアは強い怯えを感じた。イリスの助けになるどころか、彼女を我慢させていたり、辛い想いをさせていたのだと、すれば。
自分は……嫌われるのでは、ないか、と。
「それより、早く身綺麗にして、パーティにしましょ。ガレット、今日はもう上がりで良いんでしょう?」
「大事なパーティだから、これも任務のうちよ」
「パーティ?」
聞きなれない単語が聞こえ、エミリアはつい顔を上げて口走る。近くのガレットが、その緑色の瞳をこちらに向けていた。
「ええ。あなたの歓迎会よ、エミリー」
エミリアは頬を、引くつかせる。魔物もだいぶ斬って、正直胸がむかむかして気持ち悪い。飲食などとてもできそうにない。しかもまだ、イリスのことが整理できていない。任務のうちとか言うなら、ひょっとしたらディアンが来る可能性もあって……そんなあれこれが、エミリアの頭の中でぐるぐると回る。
「私ちょっと気分が――――」
「任務だから。断らないように」
ガレットがにっこりと、ほほ笑む。なぜか穏やかさや慈悲が感じられない、刃のような笑みだった。
「………………………………はい」
エミリアは。笑顔の圧力に、負けた。




