01-05.その手は私を舞台に引き上げて。
寮の自室まで引き上げ、エミリアは盛大にため息を吐いた。使用人たちが忙しく動き回るのを眺めながら、傍らの少女……イリスに視線を送る。
「もう少し来るのが遅ければ……あなたはきっと、王妃にだってなれたでしょうに。そこだけが、心残りです」
「あっ! そのためにわざと、ドレスが合わないようにしたんですか!? やめてください、エミリア様!」
王子がこれまでしてきたことを、知ってしまったとき……エミリアは、限界を迎えた。もしも彼が、エミリアの計略など無視してくれたのなら――――彼が出逢った時に見せてくれた好意だけは、きっと信じられただろう。だから愚かな賭けに、乗り出した。イジメの風聞をばらまき、彼が信じてくれる方に賭けた。
だがそうはならなかったときのために、本来の王子のお相手……ヒロインのイリスだけは、残して行こうと考えた。ゆえ、エミリアは彼女が舞踏会に遅れるように、仕込んだのだ。
エミリアが婚約破棄された後。せめて二人が結ばれるように、と。
(結局、それも上手くいかなかった。私は何もかも、失って……ほんと、賭けなどするものではないわ)
エミリアは自嘲気味に微笑む。ジークの愛が、失われなければ。他に目を瞑ることもできた。だが恋心は……もやもやとしたあの感情に、塗りつぶされてしまった。
「どうして? 王妃となれば、思いのままよ? この国がもつかどうかは、別の話だけれど」
「わたしは、努力しない人は嫌いです」
エミリアが投げやりに問いかけると、イリスが可愛く頬を膨らませ、きっぱりと言い切った。エミリアは思わず、目を丸くする。
「殿下の周りをうろちょろしていたのは?」
「それは、殿下の方が近づいてきたからであって……お駄賃もくれましたし」
(最低賃金も真っ青な、子どものお小遣いみたいな金額をね)
どうにもイリスは、「それが成長の糧になるから」と対価を鑑みず、仕事を引き受けるきらいがあった。エミリアは彼女を雇うとき、正当な報酬の支払いを呑ませることに、ずいぶん苦労していた。勉強になるからと、タダでやりたがるのである。
その性質が、ジークの本性を暴くきっかけにもなったとはいえ……どうにも彼女のことが心配で、エミリアは落ち着かない気持ちであった。
「それに」
イリスが言葉を区切り、何やら照れた様子を見せている。頬を染める彼女を、暑いのだろうかと思って見ていると。
「わたしはジーク様の周りにいた気は、なくて。その。エミリア様の……」
「なにそれ」
「なんでもないですっ」
煮え切らない態度を、見せられた。エミリアは小さく息を吐き出し、私物が持ち出され始めた部屋を、また眺める。
「どこか、行かれるんですか?」
尋ねるイリスに向かって、エミリアはあいまいな笑みを返した。
「さすがに、学園にはいられないもの。実家に帰るわ」
「えぇ!?」
(そう、私は〝賭け〟に負けたのだもの。もしかしたら、お父さまは許してくれないかもしれない。そうなったらきっと、もっとひどいことに……)
何もしなければ、ひょっとしたら……ジークの妃になれたかも、しれなかった。だがエミリアはどうしても、〝もやもや〟に包まれる、自分の恋心を救いたかった。しかし王子はエミリアを信じずに糾弾し、エミリアは彼を拒絶した。関係の決裂は致命的であり、国にいられるかどうかすら怪しい。場合によっては、見たこともないような男の元へ、エミリアは嫁がされるだろう。
だがそれが、すべてを賭けて。
それに負ける、ということだった。
エミリアは自身の敗北を受け入れ、項垂れていた。
その眼前に。
「これ!」
封筒が、突き出された。顔を上げると、桃色の差した瞳が、エミリアをじっと見ている。
「帝国国立大学からの、招待状。わたし、留学をお誘いいただいています」
「ぁ…………」
輝かしい才能が、さらなるステージに上がる。その話を聞いて。
エミリアは、輝くような満面の笑みを浮かべた。
ジークの活躍を目にしたときとは……違って。
素直に心から、応援できた。
「おめでとう! 大学ということは飛び級……すごいじゃないの、イリス」
「すごくありません。条件を受け入れたら行くかもって、無理難題吹っ掛けて。そしたら」
彼女が指を滑らせると、封筒が二つになった。
「こちらの要望通り、エミリア様と一緒でもいいと、お返事をいただいています」
「は? 私?」
エミリアは二つの封筒と、イリスを見比べた。目と頭が、ぐるぐるとしている気がした。大学が彼女の無理難題とやらを聞き遂げるのは、わかる。〝万才の乙女〟をどうしても引き抜きたいのだ。だがイリスがエミリアとの入学を条件にしたのは、どうしてもわからない。
(私、なんか。この子とは住む世界が、違うのに――――)
天に選ばれたアイドルのような眩い才能が、相応しい舞台に上がろうとしている……自分がそれについていくなんて、エミリアには想像もできなくて。
ただ、眩しかった。
だがなぜかそのアイドルは、ご立腹の様子である。眉根が寄り、頬を膨らませ、可愛らしい怒りを見せていた。
「一緒に、行きましょう!」
「え? いや、私なんて――――」
「行きましょう!」
手をとられ、体が引き寄せられる。間近に、強い意思の力のこもった、綺麗な瞳が見えた。
「私はあなたの努力を、否定しません!」
見えていた眩しさは。ただの、目の曇りだった。
さーっと視界が晴れて。
エミリアは。
自分を引き上げる才女の顔を、初めてまともに見た気が、した。
「…………皆、イリスの支度を手伝って頂戴。すぐにここを出るから」
エミリアがそう零すと、使用人たちの、動きが変わる。以前王子が部屋に侵入したことを踏まえ、またイリスを雇っていた都合もあって、彼女とは相部屋にしていた。残されていたイリスの私物もまた、片づけられ始める。
「その、エミリア様」
「連れて行って」
「…………はい!」
目を輝かせて小さく頷くイリスに、エミリアの視線は吸い寄せられる。
(本当に眩い。まさに主人公。私の好きだった、物語の……ゆがめてしまった、シナリオの)
無限に成長するという、彼女の才。その祝福が、努力し続けるイリスを、内側から輝かせているようですらあった。
「曲もないけど。私と踊ってくれない?」
エミリアはふと、思い付きを口にした。
「えぇ!?」
「そのドレスがもったいなくて。ダメかしら」
顔を伏せ、茶化すように。
涙を隠して、言う。
「私の心が、落ち着くまででいいから」
「…………喜んで、エミリア様」
イリスに、半ば強引に手を取られた。腰に手を伸ばされ、揺れるようなステップが始まる。僅かに背の高い彼女のリードは、とても力強くて。
(ぉ…………男性パートも当然のように踊れるんだから、ほんと)
ゆりかごのように、エミリアに安心をもたらした。
(羨ましくも、ならない)
遠い世界にいるような、眩い人の腕の中は。
不思議と。
かつて想い人と踊った時より、ずっと心地よかった。
次から、短編以降のお話になります。