06-06.悪役令嬢を取り合わないで?
帝城に来て、早くも数日が過ぎた。
「……結構。西方諸国の算術にも、通じているのね。エミリー」
「ええ。商売を始めたくて。細々と物を売りながら、帝都まで来てみれば」
追加で物資在庫状況をガレットに提出し、エミリアは肩を竦める。
「何の因果か、城住まいになったけれど」
エミリアは城に、軟禁状態であった。辞めたいなら出てもいいとは言われているが、そうでないなら「仮採用」の間は城から出られないと釘を差されていた。
「そう。ところで、仕事はいいけれど。体調でも悪いの?」
「どうして」
「では何が不満?」
「だから何で」
「顔に出ているわ。化粧がいつもと違うのは、その不満顔を隠すため?」
ガレットに苦笑いしながら言われ、エミリアは片手でほおをぐにぐにとほぐした。淑女にあるまじき無作法を注意されるかと思ったが、ガレットはむしろ笑みを穏やかにしている。
「……連れてきた〝無才〟の子がいる。十分な金銭は渡しているけど、少し心配だわ」
エミリアは諦めたかのように、不満を口にした。もちろん心配なのではなく――――ここのところ、あまりイリスに会えていないことが、原因である。
「持ち逃げされるかもって?」
「故郷からずっと一緒なの。でも持ち逃げして幸せになってくれるなら……その方がいいかも」
「失言だったわ。忘れて頂戴」
「気にしないで。帝国じゃ誰だって、ただの主従だって思うだろうし」
エミリアはそっと目を伏せる。
(イリス…………)
イリスは、居室まで来てくれることがある。だが毎日会えるわけではなかった。書置きが分かりにくいところに残っていることが、割とある。来てくれるのは嬉しいが。
会えないのは。
(ううん。こんな、何日か、くらいで。寂しい、なんて)
たった半年前に出逢った、少女。だが会ってからは、毎日一緒で。途中から、二人で暮らすようになって。寝ても覚めても、離れなくて。丸一日以上、会えないことは――記憶には、なかった。
「仕事、するわ。まだ、あるんでしょう?」
「あるけど、休みなさい」
「でも」
休めと言われて、エミリアは焦った。仕事をこなして、正式採用になって。そうして一日でも早く、イリスを招きたい。だがガレットは、首を振っている。困惑するエミリアの前で、彼女は持っていた本を開き、ページをめくり、静かに告げた。
「あなたにこれまで振った仕事と、休憩時間の推測。どう見ても労務超過よ。あなたの〝才〟を活かしてもらう仕事を、振るかもしれない。体を休めなさい」
(活かす……証明書に記しているのは〝斬〟だから、戦闘。市中警ら、かしら。まだ魔物も、出るんでしょうし)
イリスからは「ダンジョンを潰した」という連絡は、入っていない。街の様子はわからなかったが、エミリアは焦りをなんとか……飲み込んだ。魔物退治なら大きく貢献し、評価されるかもしれない。城の外にも出られる。悪い話では、なかった。
「わかった。今日はもう、部屋に戻るわ」
「ええ。また明日」
ガレットと別れ、エミリアは歩き出す。しばらく進み、後ろを振り返った。しずしずとついてくる、メイドがいる。
「シアンサ。すぐそこだし、もう外してちょうだい」
「しかし、エミリー様」
「お茶を煎れてもらおうって、気分じゃないの。お願いよ」
「…………わかりました」
意外に素直に、メイドが礼をしてから引き下がる。エミリアは少しため息を吐き、そのまま部屋へ向かって歩き出した。
角を一つ、曲がって。
「エミリー、だったな」
肩を押され、壁に押さえつけられた。
(第一皇子……!? 油断した!)
大柄な体と、逞しい腕が、脱出路を塞いでいる。長い赤毛がエミリアの胸元近くを揺れていて、見上げれば影の差した皇子の顔が、間近にあった。
(壁ドンとかおのれッ……………………えっ?)
エミリアは出そうになった声を、ぐっと飲み込む。睨んでやろうとしていた瞳が、戸惑いに揺れた。
優しく、潤んだ目が。
じっと、見ている。
「先日は、すまなかった」
(っ。良い顔と、いい声で、至近距離で謝るのは。ちょっとずるいでしょ……)
エミリアは思わず、目を逸らす。顔が僅かに、赤くなって。さっと手が髪を撫でたのを感じたが――――咄嗟のことで、振り払えなかった。
「ああ、今も、だな。こんなに強引に……だが許してほしい。思い、出したんだ」
「なにを、でしょう」
「――――似ている。王国で見た、美しい人に」
エミリアは皇子の低音ヴォイスを受け、血の気が引いた。
(しまったーっ!? こいつにも会ったことがある! 覚えられてる! というか)
奥歯を食いしばり、目を逸らす。覗き込んで来る相手の視線から、逃れようと懸命に。
(本当に油断、した。今日、いつものメイクに近い……〝エミリー〟の顔じゃあ、ないんだ)
変装というほどではないが、最近は「幼く見えるように」化粧を変えていた。だが本来のエミリアは、強気に見えるようメイクしており……今日は手癖で、そんな顔になっているのだ。疲れが溜まってきているのか、細かいところが雑になっていた。
「強く、気高く……ふふ。姉や母を思わせるな。だからなんだというわけじゃ、ない。思い出して、見かけて。どうしても、詫びたくなった。それだけ、なんだ。ただ」
(――――っ!?)
低い声が、耳をくすぐる。甘やかな震えが走って、エミリアは上げそうになった声を必死になって飲み込んだ。ぞわぞわとした感触が、背中や肩を断続的に走っていて、体に力が入らない。羞恥と弱気が襲ってきて、胸が徐々に、高鳴って。
「もう少しだけ、どうかこのまま。エミリー。ディアンがお前を求めないというのなら、オレが――――」
抗議の声を上げようとした唇が。
弱々しい吐息を、出した。
「そんなことを言った覚えは、ないのだが? 兄上」
「ディアン、貴様……」
掛けられた声に、エミリアはびくりと肩を震わせる。ヘリックの顔が上がり、エミリアは彼の懐から急いで抜け出した。そして思わず……見えた男の背中に、隠れる。なんとなく、誰にも顔を、見られたく、なくて。耳まで赤い顔を……誰にも。
(どうし、て。こんなに。胸が……心臓が、うるさい)
エミリアは王国を出るまで……婚約者のジーク王子一筋で、生きてきた。父親という例外はあるが、他の男性に見惚れたことなど、一度もない。なかった、のだが。
隠れたディアンの背中から、少しだけ顔を出し。皇帝の横顔を見上げ……それから、ヘリックを見る。彼は険しい顔をしていたが、エミリアがじっと見ると視線に気づき、頬を緩めた。目があって、無意識に顔を逸らし、また皇帝の背中に隠れる。
(このっ……乙女ゲームの攻略対象ども、基本顔がよくてッ! なによ、悪役令嬢にあんな顔、見せるんじゃないわよ!)
心の中で、悪態を吐く。睨み合う二人を、視界に入らないように注意深く眺めた。
「女どもには手を着けない。そういうお題目じゃなかったのか? 皇帝陛下」
「はっきりとは言わない。それが彼女たちを守ることになる。わかってほしい、兄上。愛だの恋だの」
二人の言葉は揶揄するようでもあったが……なぜだろうか。不思議と柔らかさがある。立場上対立しているはずだが、言うほど敵対していないのではなかろうか? エミリアがそんなことを、考えていると。
「そんなものに疲れている者たちだって、いるんだ」
(ディアン……)
皇帝の言葉が。妙に胸に、深く刺さった。
「オレから婚約者を奪っておいて、のうのうと」
「奪い返せばいい、堂々と。あるいは……せめてきちんと捨ててから、エミリーに声をかけるんだな」
ヘリックの声は恨み節というよりは、苦悩に満ちていて。ディアンの言葉は揶揄のようでいて、諭す響きが強かった。
覗き込む視界の、奥で。
「エミリー……怖がらせて、すまなかった」
「いえ、別に」
頭を下げられ、エミリアは思わず零す。非難の気持ちは当然にあるつもりだったが。身の内のどこからも、なぜか出てこなかった。ヘリックが去るのを、眉尻を下げ、見送り。
その頭に、大きな手のひらが置かれる。エミリアは目を見開き、飛び跳ねそうになった。慌てて口を手で塞ぐ。
(ふわっ!?)
「家臣どもの相手で忙しくてな、目端が利かなくて申し訳ない。だが俺の庭にいる以上、お前たちは俺が守る。もちろん」
二度、三度と優しく、頭をぽんぽんとディアンの手が叩く。子ども扱いかと、拗ねた口元をして見上げると、手の向こうから優しい笑みが注がれていた。
「この俺自身からもな。安心して、過ごすといい」
ぼんやりと〝そもそも向こうが年上だった〟などと考えているうちに、ディアンもまたゆっくりと歩み去る。大きな背中が、少しだけ丸まっているように見えた。
(あっ。そうか、私の正体がバレてるなら……ジーク殿下と破局したって、察しがつく、のか)
ずっと気遣われていた。
その事実に気づいて。
エミリアは顔が、真っ赤になった。
たぶん、恥ずかしくて。




