06-02.冷静な怒り。
(イリス、たぶん怒ってたわね……あれ。この方がわくわくすると、思ったんだけどなぁ……)
彼女の様子を思い起こし、エミリアは嘆息を胸の中に落とす。街中で皇帝とその手勢に囲まれた、後。エミリアは皇帝ディアンの誘いを受けた。
(強引に囲みを突破してもよかった、けど。先帝がどこにいるとか調べる、絶好の機会だし。妃や妾じゃなくて、手の者として集めてる、らしいし)
応諾したエミリアは、帝城に連れてこられた。皇帝直属の親衛隊〝才の庭〟に所属させる、とのことだった。そのまま居室を与えられたが。
(けどイリスの連れ込みを拒否されたのは、誤算だった。城には〝無才〟は入れない、なんて。おまけに)
エミリアはちらりと視線を上げ、逸らす。部屋の扉の前に、メイドが一人。彼女の専属として、与えられていた。皇帝は世話係だと言っていたが、エミリアは帝国西方の平民〝エミリー〟だと名乗ったのだ。貴族じゃあるまいし、使用人など必要ない。
(ただの監視ね。目に優しい部屋だけど、落ち着かないわ)
エミリアはソファーに腰かけ、背中をぐったりと預ける。大きな窓、高い天井が見えた。調度の色調は控えめだったが、そも平民を住まわせる部屋の格ではない。アビリスの街では感じなかったが、この帝都では本当にスキル持ちが優遇されている、ようだ。
(落ち着かない……嫌な空)
窓の外の、綺麗なはずなのに暗い空、鮮やかなはずなのにどこか煤けたような街並みを見ていると。気が滅入る、ようで。どんどん、嫌なことばかりに意識が向く。
例えば。
(まだ、斬った感じ、残ってるし。気持ち悪い、落ち着かない。もやもや、する)
魔物を切り裂いた時の感触。人を助けるため、イリスを守るため、剣を振るったことに罪悪感は、ない。ただ肉を斬る感触が気持ち悪くて。何かを傷付ける行いが、どうしても馴染めなくて。それが、手に蘇ってきそうで。エミリアは吐き気を堪え、細く息を吐いた。
(イリスがいれば。こんなひどい空だって、笑い飛ばせるのに。楽しめるのに……)
右手を握り締め。
「城、見て回るわ」
ぽつりとそう零して、立ち上がる。
「お供いたします」
扉の方から、ギリギリ聞こえるくらいの大きさで声が届く。メイドに向かってため息を吐いて見せながら、エミリアは少し肩を竦めた。
「それがあなたの仕事でしょうから、止めない。けど城の中は自由に回らせてもらうわよ? そうしていいって、陛下はお約束してくださったし」
「かしこ参りました、エミリー様」
メイドが頭を下げている。その結った髪が揺れるのを、見ながら。
(この人は〝無才〟じゃないってことか。イリスのスキル、もうちょっと誤魔化しやすければ……)
妙な考えが頭をよぎり、エミリアは首を振った。
(〝才能〟のスキルだからこその、イリスでしょう。私ったら……とっとと調べて、出たいわ。こんなとこ。気ばかり滅入る)
少し伸びをし――行儀の悪い平民のように、振舞ってから。エミリアは扉へと向かった。メイドがドアを開くのを待ち、廊下に出る。
(期待、してたんだけど。イリスがいないと……あまりわくわく、しないわね)
代わりに、胸の奥に〝もやもや〟を感じて。
エミリアは盛大なため息を、漏らした。
☆ ☆ ☆
格式は高いが、趣味は悪い……そんな感想を思い浮かべながら、廊下を歩くことしばし。エミリアは皇帝の執務室を、目指して。
「クソッ! 父上の居所! 必ず吐かせてやるぞ、ディアン!」
部屋から出てきて、吐き捨てている男を、見つけた。
(あれは、第一皇子の……ヘリック、だったかしら?)
帝国貴族の服は、どこか軍服を思わせる。かっちりとしていて……この季節だとまだ、暑苦しい。長髪赤毛のその男は、上着の前は開けているものの、髪の量と色のせいもあって見るだけで気温が上がりそうだった。
「何だ貴様は……ああ、また増えたのか。ディアンの女」
ぼんやりと見ていたら、明白な嘲りをぶつけられた。
(なんですって)
エミリアはにっこりと笑顔を作り、口元をひくつかせる。
「お見た目に反して、ずいぶん古風な考えをお持ちですね? スキル絶対の帝国で、女と見れば男の付属物とお考え、とは」
「なに……?」
そして自分で言っておいて、顔を凍りつかせた。
(あっ。思わず言っちゃった……どうしよう。皇帝に喧嘩売ったんじゃないから、まだマシ?)
傲岸不遜でうるさい皇帝ディアン、不満に口をとがらせるイリス、続けてこの男。魔物を斬った気持ち悪さが微妙に残る中、イライラが続いて。
ワクワクして乗り込んだ帝都が、思ったほど楽しく、なくて。
(あー……いいか。八つ当たりでもしないと、なんかおさまらない)
エミリアは雑に、気楽に、無責任に……選択した。
その心に。〝もやもや〟が。
燻るような、火を灯す。
「先帝陛下が何をお考えで、ご判断なされたのか。下々の者でも、よくわかろうというものです」
エミリアは瞳冷たく、笑み冷たく男に言葉をぶつける。言外に〝お前が選ばれなかったのは、そういうことだ〟と侮蔑を込めて。
「貴様、オレを皇子だと知ってのことか! 発言を許した覚えはないぞッ」
どうにもちゃんと伝わったようで、男の顔に朱が差す。エミリアは鼻で笑い、良いおもちゃをみつけたかのように目を細めた。
「許せる権限がおありでないのでしょう? 私をここからつまみ出すことも叶わないのでは? 皇帝陛下にも、あしらわれておいでのようですし」
さらに煽る。エミリアは、胸の内の〝もやもや〟が踊るのを感じ。
燃えさかるように怒りを灯した、男の瞳を見て。
ぞくぞくと駆け上がる背中の震えに。
少しの歓喜の笑みを浮かべた。
しかし。
「ディアンに媚びへつらわなければ、何もできない女がッ!」
皇帝の女。
そう言われて。
エミリアは心が。
冷えに、冷えた。
「あら、思ってもいらっしゃらないことをよくもまぁ」
嘲笑と、侮蔑の視線が転がり出る。男のイラっとした顔のひくつきが、少し心地よかった。だがまだおさまらない、溜飲が下がらない。
(私があの男のもの、ですって――――? 舐めるんじゃないわよ!)
無意識に、左手がブローチを握る。別の男のことが脳裏をかすめて、胸に痛みを残す。しかし別の少女のことで頭がいっぱいになり。
〝もやもや〟が。
膨れ上がった。
「何もできない、なんて。そうは思っておられないのでしょう? あなたが私へお近づきにならないのが、良い証拠です。どんなスキルが飛び出すか……怯えてらっしゃる」
「言わせておけばッ! ディアンに入れ込むような女など、このままへし折って……!」
大股で一歩踏み出した男を。
(三度目――――許せない)
エミリアは睨み上げた。
「――――――――それはこちらの台詞だ」
冷たい視線が男を射抜き、地鳴りのような声が彼の歩みを止まらせる。男は半歩下がり、たじろいだ。




