05-07.友達にやきもち焼くなんて……。
たっぷり食べて、笑い合って。暗くなる前に、二人は宿に引き揚げた。それぞれに入浴を済ませ、あとは眠るだけ……という頃には、とっぷりと日が暮れていて。
「…………それ、何してるんですか? というか調子悪いんですか? エミリア様」
夜着のエミリアは聖剣を両手に持って構えていたが……イリスに向かって首を振り、ため息を吐いた。口は歪んで半開き、その顔は青い。
(いくらやっても、この剣が〝光の剣〟にならない……どうやってなったのかも、わからない。聖剣のスキルは〝斬〟で合ってる。でも〝光の剣〟にしないと、ただ切れ味がいいだけ。もし、もしも昼間……)
烈火団と追いかけっこをしていたとき。エミリアは無意識に、〝光の剣〟を出した。それは壁を自在に切って瓦礫の足場を作り、離れたところからレンたちの剣を砕き、水門の格子を水圧の強い水中で切って見せた。
エミリアの顔色が、さらに悪くなる。そう問題は、最後の「水門の格子を斬った」だ。かなりの水流だったので、まともに剣など触れない。白銀の剣のままだったら、おそらく格子を斬る前に空気がなくなっていただろう。エミリアは川に飛び込んで……そのまま水死体になった可能性が、高い。
(完全に頭に血が上っていたとはいえ……あれは馬鹿な選択だったわ。水門から地下水路に入って、イリスの場所に行くってのも、ほとんど勘だったし。どこか一つ間違っていたら、私は、死――――)
背筋が震え、肩から力が抜ける。手から剣の柄がすべり……慌てて落とさないように支えようとしたら、そのまま手の〝中〟に入ってしまった。
エミリアは天井を見上げ、もう一度ため息を吐く。下ろした髪が薄めの夜着越しに肌をくすぐり、少しむず痒い。天井の木の板は色が暗く、適度に古さを感じさせ……落ち着いたエミリアの思考が、昼間の自分に向かう。
「私どうして、嫉妬なんて――――」
確かに、イリスと一緒にいられなくてイライラしていた。だがレヴァイとイリスが手を繋いでいるのを、見た瞬間。自分以外に向けられる、彼女の笑顔を見た瞬間。血が、沸き立った。自分ではっきりとその感情を「妬ましい」と名指しし、荒れ狂う心に身をゆだねた。だが異常だ。人を傷付け、勘を信じて滅茶苦茶立ち回った。閃光弾まで投げ込んで、イリスを殴って気絶させてでも連れ出す気だった。拒絶されたり、失敗していたらどうするつもりだったというのか。彼女との仲を壊すどころか、どこまで身を落としていたかわかったものではない。
そしてそこまでした理由が……エミリア自身にも、わからなかった。
(友達を取られると思った? まぁイリスは、私がジーク殿下を捨ててまで、一緒にいたいと思った相手だし……別に不思議じゃ、ないけど。何か〝もやもや〟する)
「嫉妬、って。何が、です?」
「ううん。なんでもない」
短く答えて、エミリアはイリスを見る。苦笑いを、浮かべた。
「…………あなたこそ、それはいったい」
「なんでもございません。お気になさらず」
イリスはベッドの隅で、布団をかぶって丸くなっていた。頭だけが出て、こちらを向いている。猫か何かのようだった。エミリアは彼女を眺めながら、揺れる明かりを吹き消して、自分も布団に入り。
「こうか」
暗い部屋の中。イリスと同じように布をかぶって、丸くなる。正座のまま前傾し、両肘をベッドついて、頭だけを布団から出してイリスを見た。
「ブフォ」
「なによう」
噴き出すイリスと、対角線上で緩く睨み合う。
「私。あなたと一緒にいたい」
「おっ……」
正面から気持ちを浴びせると、イリスが目を逸らした。
「わたしも、です」
「にしては距離が遠い」
「これはぁ……慎みです」
「なにそれ」
エミリアは思わずふっと口元を緩め……視線を下げた。
「私が重たいだけね。ごめん。四六時中そばになんて、おかしいし」
「いえ、そんな! わたしも!」
青い瞳が真っ直ぐに。
見つめてくる。
震えて。
揺れて。
「ずっと、エミリア様の、おそばに」
「にしては距離が遠い」
「わたしは慎み深いんです」
「うそつけ。ジーク様、キスモート男爵、レヴァイくん……もうちょっと人前で異性と絡むの、自重してから言ってどうぞ」
「ぐぬぬ」
顔を歪ませたイリスが。
「…………わたしが男の人といると。エミリア様は、いや、なんですか?」
一転して、表情を消した。
「うん……嫌」
「どうして? わたしと男性が一緒だと、やきもち焼いちゃうってこと、ですよね?」
エミリアの即答に、すがるような問いかけが戻る。エミリアは。
「…………その。なんでかレッカさんとか、私とあなたをくっつけたがってるけど。そういうつもりじゃないのよ? 私はその。男性を好きになるし。あなたも、そうでしょう? イリス」
探るように、言葉を並べた。嫉妬は確かにする。だがイリスに好意を抱いているわけではない……それがエミリアの認識だった。前世でも転生してからも。エミリアに同性愛のつもりは、ない。
ないが。
(…………痛くない。ないったらない。私はストレート)
ずきりとした痛みを、無視して。ずきずきと疼く胸の奥を無視して。エミリアは耐えるように、イリスの返事を待った。
「…………………………………………まぁ」
(すごい嫌そう)
イリスが長い間の後に返事を寄越し、エミリアは少しのため息を吐いた。自分の心の……〝もやもや〟を探るのは、少し気鬱で。つかみどころのないその想いに目を向け、エミリアは言葉を紡ぐ。
「ん……まぁその。だからそういうんじゃないんだけど。私はあなたと一緒にいたいし、そのためにジーク殿下とも決別した。ちょっと感情重たいのよ……自分でもこの〝もやもや〟をどうしていいのか、わからなくて。変よね」
「……………………ぃぇ」
イリスが小さく答えて、顔を伏せている。シーツにつけられたイリスの表情は、エミリアからはまったく見えない。
それが何か、不安で。
「私、あなたこと、信じられてないんだと思う。自由なあなたが、羨ましいのかもしれない」
エミリアは何も考えられず、ただ言葉を、重ねた。
「わたしは……! 自由なエミリア様が、いつも羨ましいと思ってました」
「私が?」
「はい」
顔を上げたイリスが言い切って、真っ直ぐに見つめてくる。部屋は暗かったが……彼女の顔に、何か雫の煌めきが、見えた気がして。
「イリス? どうしたの? その顔」
「なんでもありません」
「そう」
素っ気なく返して、またシーツに顔を埋めたイリスを眺め。
(わかんない。私はイリスを、信じてないの? 友達じゃ、ないの? この嫉妬は、〝もやもや〟は……なんなの? むかむかする……)
エミリアは。
突撃した。
「ほあっ!?」
膝を素早く交互に動かし、イリスの目前まで迫る。驚いて上がった彼女の額に、自分の額をつけた。微妙にしっとりする気がする。額と、息と、目の周りに湿度を感じる。温度も高いが……それが自分のものか、イリスのものかは、わからない。ただイリスは息が荒くて、頬に紅潮も見えて。驚きの後にしては……長めで強い興奮が、見えるようだった。
(好きとかじゃ、ない。たぶん、違う。ジーク様に感じてたようなときめきは、ない。イリスは綺麗だけど……違うし。なんか〝もやもや〟するだけ)
青い瞳を覗き込みながら。〝もやもや〟が大きくなるのを感じながら。
「あなたは私のこと――――すき?」
言葉が涙のように、零れた。
頭が、真っ白になって。
世界が遠くて。
イリスしか。
見えない。
イリスの瞳が、揺れて。
何度も、口が動いたのが、息でわかって。
頬と額の熱が、上がっているような気がして。
それはエミリア自身の、興奮かも、しれなくて――――。
「ぇ。わたし、は――――」
彼女の呟きが、耳をくすぐって……エミリアは素早く膝を動かし、猛然と後ずさった。ベッドから落ちるギリギリまで下がり、口元を引き結んで、イリスを睨むように見つめる。暖かな季節ではあるが……彼女のそばから離れると、少し肌寒いような気がした。
「ってなんで離れるんです!?」
「いや何を言われてもダメな気がして。変なこと言って、ごめん。忘れて」
「エミリア様……」
一方的に告げて。エミリアは顔を、伏せた。シーツに顔を埋め、深く息をする。寝台の匂いが、少しだけかび臭いような気がした。
「明日は烈火団と打ち合わせだし。寝る。おやすみ、イリス」
「その恰好で寝るんですか!?」
「下座って寝る。そういう気分」
「げざ……?」
戸惑うイリスの声が、妙に耳に心地よくて。頭の奥がじーんとしてくる。〝もやもや〟が胸の奥で渦巻いていて、気持ち悪いものの……それでもだんだん、眠気の方が強くなってきた。
(私、何やってるんだろう。私は、イリスのこと……イリスは私のこと、どう思って……聞きたいけど、なにか、こわい……)
思考が乱れ。瞼が降り。息が細く、静かになっていく。
だから、また。
★ ★ ★
「大好きですよ。エミリア様は――――」
彼女の言葉が誰かに聞かれることは。
その苦悶が伝わることは。
なかった。