01-04.だって、妬ましいですから。
王子に呼び出され、婚約破棄を宣告されたエミリアは――――糾弾を、続ける。どうしょうもない〝もやもや〟に支配され、それから逃れるために。
信じていた恋と、決別するために。
「あの原稿の下書き、銀貨4枚でイリスに三日も徹夜させて作らせたそうですね? 反響を思えば、報酬の桁が三つは足りないでしょうに」
「わ、私が発表した方が! 価値を見出されるに決まってるだろう! 男爵家の、それも女が言ったところで!」
煽るようにエミリアが言うと、すでに冷静さを欠いていたジークは面白いように喚いた。ホールの動揺が、大きくなる。信じられないといった目で、多くの者が王子を見ていた。
「いいえ? 〝万才の乙女〟とまで呼ばれる彼女、国外の研究機関からもお呼びがかかるくらいなのです。もしイリスのものだとわかっていれば、あの何十倍も聴衆がいたことでしょう」
「だから何だと言う! 私は王子だぞ!」
(それがあなたの……本心、なのですね。その立場だけが、よりどころ)
ずぐり、と胸の奥がうずく。
才あるヒロイン、取り巻きたち、使用人や兵士、大勢の人たちをかしずかせる〝王子〟という肩書に。大きく胸が、痛んだ。
「そのように仰って、魔物退治の手柄を譲らせていたそうですね?」
ジークが左右に控える令息たちを、きょろきょろと見ている。見られた彼らは、首を振っていて……エミリアはおかしくなってつい、くすり、と笑ってしまった。
「その方たちから聞いたわけでは、ありません。ご不満を持つ方は、もっといらっしゃるということ。他にもそれこそ、幼少の頃から」
王子が生唾を飲み込んでいる。反論は、出ないようだった。対してエミリアは、饒舌に糾弾の言葉を紡ぐ。
「王子が受けていた教育の確認試験、幾度か代理にやらせていた、と。教師まで脅していたそうで。この学園での試験は、どうでしょうね?」
痛いほどの視線が集まり、ざわめきが大きくなる。本来は些細なこと、だったが……学園ではまずかった。彼と試験結果を〝交換〟していた生徒がいるのだ。取り巻きの一人が、目を逸らしている。
「これ」
エミリアは胸元のブローチに触れ、ほほ笑んだ。彷徨う王子の青い目を、じっと見ながら。
「〝竜鳥の涙〟。文字通り、竜に次ぐ強大なモンスターの、竜鳥の涙が結晶化したもの。彼らが産卵する際に出るものですが、通常は生まれた子が飲んでしまって世に出ません。伝説になぞらえて、これを勇敢な男性が、想いの証として女性に贈る……そんな話がありますが。あなたがこれを、取りに行かせた結果」
証言を聞いた時のことを思いだし……エミリアは沈痛な面持ちを浮かべる。
「けが人、死者も出た挙句……竜鳥の報復で、村が一つなくなったと聞いています。最近もう一つ入手させて、騎士団に大変な損害を出したそうで?」
「そ、そんなことは知らない!」
「今お知りになりました。ご感想は?」
大ホールが、しん……と静まり返った。
誰もが、王子の返答を待っている。
彼は。
「私の役に立てたのだから――――浮かばれているに、決まっている」
目を泳がせ、息を荒くしながら、そう吐き捨てた。
「なるほど、〝竜鳥の涙〟を得ることが、あなたのお役に、と。独立機運が高まっていたパーシカム公爵家の娘を、篭絡する役に立った、と。そういうことですか?」
「わ、私が好いた君に贈りたかった、だけだ」
ジークの瞳はそう言いながらも、エミリアを見てはいない。彼女は思い出が音を立てて壊れるのを感じ……もやもやが大きく、強くなっていくのを理解した。
「お惚けにならなくてよろしいのに。我々妃教育を受けていた者は、抜け駆けを禁止するために……基本的に教育を受けている間は王族や、貴族のご令息たちと関われません。私のことを知っているはずもなかったジーク様が、いつ私を好いてくださったのです?」
「そ、それは」
(もっと前に見たとか、もっともらしいことを……言ってくれれば、いいのに)
反論できないジーク王子に蔑みの目が、エミリアには同情や奇異の視線が、ホール中から向けられている。
見られていると……体の奥で、〝もやもや〟が膨らんでいった。
「同じものを、殿下はイリスにまで贈った。〝万才の乙女〟を手にするためか……ああでも。殿下の仰る通りなら」
〝もやもや〟に押し出されるように、エミリアは言葉を吐き出す。
「彼女を好いたと。婚約者の私を差し置いて。そう言うお話、ですよね?」
首を振る王子を見ながら、最後の宣告のために、エミリアは息を整えた。
(なんという傲慢。結局この方に、愛などなかった。周りは自分が楽するための、駒に過ぎない。私はもちろん――――あの輝かしい、この世界の主役まで! ゆる、せない)
王子だから。ジークは許されてきた。
人が死んでも。不正を重ねても。
他人に、艱難辛苦を強いても。
エミリアの心を、弄んでも。
王子だから。
――――何の努力をしなくても、許されている。
それが嫌で。
憎くて。
「婚約は、破棄いたします。だって、妬ましいですから」
妬ましくて、たまらなかった。
〝嫉妬〟と名前をつけたエミリアのもやもやが、体の隅々に行き渡る。皮膚の下をはい回り、全身をかきむしりたくて仕方がない。むずむずとする感触に、呼吸は僅かに荒くなり、鼓動は高鳴り、目は血走って――――。
「この私が、妬ましい、だと? 確かに私は才溢れ、王に相応しい男だが! つまり私に嫉妬し、先のような出まかせを述べたということか! エミリア!」
愚かに喚く彼を見て。
笑みが、顔に張り付いた。
「嫉妬したのは事実ですが、出まかせではありませんし、あなたの才能などどうでもよろしい」
「なにっ!?」
エミリアは両腕を広げ、胸を反らす。顔を上げ、その目でシャンデリアを見た。今にも落ちてきそうな、ゆらゆらとした小さな灯たちが……眩くて、鬱陶しい。
その高い立場に甘んじて、ただ高いところにあって、下を照らし、見下す。
明かりとして必要なわけでもない。部屋を暖めるわけでもない。派手で華美で目にも痛い。邪魔で邪魔で邪魔で―――――。
エミリアは、視線を落とし、ジークを見る。
「王子であるというだけで! 他人を顎で使い! 時に死にすら追いやり! 私やイリスの努力を踏みにじった! 立場に甘んじて、何の努力もしないその怠惰が!」
責務を果たさず、不正にすら手を染める、彼は。
もう愛しい人ですらなく。
置物のように。
「 妬 ま し い ! 」
邪魔だった。
「何の騒ぎですか、これは……!」
奥の扉から、ドレス姿の令嬢が入って叫ぶ。王子がびくりと震え、青い顔で彼女を見た。
(早い……どうして)
滑るようにエミリアの元へやってきたのは。
男爵令嬢――――ヒロイン・イリス。
「衣装合わせに時間がかかると思ったけど、早かったわね。イリス」
狂笑を顔から消し、エミリアは淡々と迎える。ホールは彼女の登場で、再びざわめきを取り戻していた。
「自分で縫って合わせましたから。それよりエミリア様、わたしのことをイジメたから、婚約を破棄されそうだって聞いたのですが――――」
心配そうに眉根を寄せるイリスに対し、エミリアはゆっくりと頷く。
「事実です」
「そんな!? 事実無根です!」
「は、え?」
二人のやりとりに、王子が間抜けな声を挟んだ。エミリアは彼を鬱陶しそうに眺め、短くため息を吐き、口から言葉を紡ぐ。
「私は。イリスに新しい教本とドレスをプレゼントし、古くなったものを引き取り、処分した……それだけです。殿下のお友達は想像力豊かでいらっしゃるようで。私を見て、どんな報告をしたのでしょうね?」
「あ、あなたはイリス嬢を雇って下働きさせていただろう!」
「叱りつけているところも、大勢が目撃してる!」
(ほんと、たいそうなお友達だわ。その程度に、騙されてくれる、なんて)
取り巻きたちの反論に気をよくし、エミリアはにこりと微笑んだ。
「彼女の実家が苦境だというので、労働の申し出を受け、給金を払っているだけです。その仕事中、さすがに装飾やドレスをダメにされたら、叱責くらいはします。それが雇い主の責任です」
令息たちは目を見開いて、黙りこくる。彼らの手から、古びた本とドレスが滑り落ちた。
(……わざと人目につくように叱り、ドレスや本もこそこそと捨てた。人を使って、私がイリスをイジメていると広めたのは、まぁ事実ですが。この一月余りの仕込みで、よく引っかかってくれたものです)
「なぜ言ってくれなかったんだ、誤解だ、と」
絞り出すように、ジークが訴える。涙の滲む彼に、エミリアは。
「なぜ最初に私に一言、聞かなかったのです。事実かどうか」
笑みを作って、応えた。
「私を〝竜鳥の涙〟で絆そうとしたときと、同じように。〝万才の乙女〟をものにするチャンスだと思われたのでしょう? 婚約破棄を申し付けて私に瑕疵をつけ、イリスともども手に入れるつもりだったのか、あるいはお仲間の誰かに払い下げるつもりだったのか……おおかた先日の発表の反応がよくて、イリスは使えるとご判断されたのでしょうが」
「わたしを!? そんな、あんまりです! 殿下……!」
イリスにまで責められ、取り巻きたちは下がってしりもちをつき、当のジーク王子は泡を吹きそうな様子である。
その彼が。
「ま、待ってくれ! 婚約破棄なんて取り消す!」
愚かな懇願を、申し出た。
「最初に殿下が口走った時点で、使用人たちが走りました。国王陛下にも、もう伝わっているでしょう。取り返しは、つきません」
「なら! せめて側室に! そうだ、イリスは正妃として迎えよう! この私の! 王子の妃になれるんだ! 君たちも嬉しいだろう!?」
(それで許されると、思っているの!?)
支離滅裂なジークの返答を受け、エミリアの胸の奥からまた〝もやもや〟が沸き起こる。
「わたし、自分の欲しいものは自分で手に入れるので。結構です」
「イリス!? エミリア! 私が妬ましいのだろう!? 私の妃になれば、君だって――――」
「やめてください、吐き気がします」
近づこうとする王子から。
愛しかったはずの、王子様から。
エミリアは思わず、後ずさった。
「妬ましいからといって、同じになりたいわけではありません。むしろ絶対にそうなれないからこそ……憎しみも湧くのです」
「憎!? 違うだろう! 君は、私のことを!」
続きを口にされることが――――悍ましくて。エミリアはジークを、睨みつけた。怯んだ彼に、言葉を叩きつける。
「二度と愛することは、ないでしょう。いきましょう、イリス」
「はい」
二人、踵を返して歩き出す。
引き留める王子の叫びを、無視して。