05-05.嫉妬のままに奪え。
謎の集団の追跡を振り切り、エミリアは地下水路に入り込んだ。水の滴る音、ネズミの声、水臭い空気……じっとりとした暗闇が、辺りを包んでいる。
エミリアはそんな中。
(冷静。大事なのは冷静さ。集中するのよ、エミリア……)
〝積載〟のスキルからタオルや替えの着替えを取り出し、手早く水気を拭き取って服を替えていた。
(そう、あの使者。ドニクスバレットのように。どれほど取り乱しても、完全な自己矛盾を起こすまで……彼は立ち上がった。冷静さとは、怒りと同居する大いなる力。怒りの炎を、冷たく燃やすのよ)
髪もしっかり拭き、靴も帽子も取り換える。そうこうするうちに、エミリアは己の精神が整っていくのを感じた。〝もやもや〟が全身の神経を激しく焼き、刃のように研ぎ澄ませていく。
「敗者たちはいつだって、私に学びを与えてくれる。ジーク様、ブバルディア、キスモート、ドニクスバレット。そして……十二の宿敵たち」
汚れ物はまた〝中〟に戻し、ランタンを手に持つ。その仄かな光の照らす闇の向こうに……彼女たちがいるような気すら、した。
エミリアが生き延びた、妃選定。その場にいた、十二人の令嬢たち。スキルを授かった彼女たちは相争い、最終的には自滅して選定の場から退場したが……それまでは熾烈な戦いを演じた。ただ互いの出来を比べ合ったわけではない。賊を放ち、毒を仕込み、あるいは直接対決し、排除し合った。〝無才〟のエミリアはひたすら己を鍛え、機転を利かし、危機を乗り越えて勝利した。本気の強スキル保持者たちとの死闘を潜り抜けた彼女にとって、先の追跡劇など、児戯のようなものだった。
(みんな……ごめんなさい)
だがそれすらも、今のエミリアにとっては。捨て去った、過去の栄光。競い合った者たちの誇りを、エミリアはどぶに捨てた。ジークを罠にはめ、婚約を破棄し、彼と決別し……国を後にした。
「どうか私を、許さないで……イリスを選んだ、私を」
イリスの名を口ずさんだ途端、ずくり、と心の臓が跳ねる。細く長く息をして、その呼吸を全神経に流し込むようにして、鼓動と熱を冷たい刃に変えていく。
(この先。このままいけば、地上に出る……途中にアジトがあるか、それとも地下から上がったところにあるか。どちらかに、イリスがいる)
ゆっくりと慎重に進む。エミリアは冷静だった。水音の中に別の反響がないか、奥の闇に潜むものがないか、常に注意を払う。
ふと。空いた左手が……カタカタと震え出した。ランタンの光の中、エミリアはしびれるようでうまく握れない手を、見つめる。先ほど精霊車を出して、少年たちを傷つけてしまった、手を。
(……その前に、もっと冷静にならなくては。覚悟ない暴力を振るってしまった)
意味のある攻撃だったが、必要ではなかった……そんな後悔が、後味の悪さが、じんわりと手先から肩へ、そして胸に伝わる。〝もやもや〟と交じり、強烈な気持ち悪さがこみ上げた。
(冷静に……あいつらは……イリスの知り合い、でしょうね。だからもう、傷つけない。傷つけずに)
エミリアは冷静だった。だからこそ自覚していた。その怒りに飲まれていることに。
(イリスを取り戻す。この私の、元へ)
イリスの笑顔と、少年と繋がれた手が。まだ脳にこびりついて、離れない。
〝もやもや〟が膨らみ。
左手の震えが。
止まった。
『――――ちょっとどうしたのこれ!?』
(イリス!)
奥から、意外にハッキリとした声が聞こえた。エミリアは、ランプがきしんだ音を立てないように、素早く慎重に灯りを消す。スキルの〝中〟にランプを取り込んで、その手を壁についた。目を慣らそうと闇を見つめながら、ゆっくりと壁伝いに進む。
(『転んだ』って言ってる? ほとんど反響音で、聞き取りづらい……でもなぜ、私と争ったことを、イリスに隠す?)
先ほど傷つけた少年が、イリスのもとへ合流したのではないか……そんな直感が、働いた。声に向かって近づくと、ガヤガヤとした複数人が立てる声や物音、僅かに漏れる光が見えた。地上に向かう通路の途中に、木製らしき扉を取ってつけた部屋があるようだ。
(見張りは……いない。私を取り逃がして合流。一度アジトに引き返した、といったところね。油断している。ならイリスを確保し、すぐに逃げましょう……)
逆撃されるとは、まさかにも思っていないようだ。チャンスであり……困難だった。反響する声からしても、敵の数の多さが伺える。エミリアは腹の底から細く息を吐き……やっと、扉のすぐ隣までたどり着いた。背中を壁に張り付かせたまま手を伸ばし、ノブに触れる。中から聞こえる声量を推し量り、音を隠すように慎重に回した。無事、扉は手前に少しだけ開き、中の明かりと声が漏れてくる。エミリアはノブから手を離し、扉を一気に開けるように構えながら――ゆっくりと息をした。
『じっとしてなさい!』
『いってぇ! イリス、もっとやさしく……』
『また決闘でもしたんでしょ! 何が転んだ、よ!』
(手当て……私、イリスに看病とか手当てとか、してもらったこと、ないな)
〝もやもや〟がぐらり、と大きくかしいで……身の内をさらに派手に炙る。揺らめく心の炎に身を委ね、エミリアは手を、開いたドアの隙間に差し込んだ。手のひらを室内に向け、ゆっくりと呼吸する。
「アイテール――――――――閃光弾」
エミリアの手のひらから。
まるい球が、零れた。
小さな呟きを残し、エミリアは目を閉じ、ドアを閉め、両手で耳を覆って、口を開いた。室内に残された、イリス謹製の爆弾が、きっかり3秒後に炸裂する。激しい音と光をばらまき、室内からは悲鳴と怒号が上がった。エミリア自身も、キィーンという振動の痛みを感じる。
(3、2、1――――今!)
炸裂後、3秒。エミリアは目を開き、木の扉を大きく開ける。残光と反響の残る中、部屋に突入した。耳や頭を押さえて呻く者たちの中を突っ切り、真っ直ぐに金髪碧眼の少女の元を目指す。他には目もくれず、イリスだけを見つめて駆ける。エミリアの視線の先で――――耳を手で押さえて目を閉じ、口を半開きにしていたイリスが、その瞳を開いた。
(ああ、イリス……!)
エミリアは思わず頬を綻ばせる。乾いた瞳が潤むのを感じる。僅かな頬の紅潮、異常に高鳴る鼓動、不必要に乱れる呼吸。安堵が滲み出て、手を伸ばし――――。
その先に、ふらふらと割って入る影があった。
金髪碧眼の、少年。
イリスと手を繋いで。
笑い合っていた――――。
「邪魔ッ!」
エミリアは〝もやもや〟に突き動かされ、走る勢いのまま、少年を突き飛ばす。木箱に倒れ込んだ彼を無視し、拳を固めてイリスの懐に潜り込んだ。
(イリス――――ごめんッ!)
エミリアの拳が、弧を描いて下から繰り出される。狙いは横隔膜。うまく揺らせるかはわからない。隙を作り、彼女を運び出す。
だが。
「ちょ!?」
――――躱された。
横合いからイリスの手が、エミリアの手首を叩いて拳を逸らした。エミリアは勢いが止まらず伸びあがり、避けた彼女と視線が合う。
青い瞳が。
驚愕に、揺れていた。
「エミリア様、どうして!?」
まだ耳鳴りが続く中、やや遠い感じにイリスの声が聞こえる。彼女の言葉が染みわたり……エミリアの中で少しだけ、〝もやもや〟が縮まった。だが彼女の瞳には、金髪碧眼の少年が映っており――――どうしても、先ほどのイリスと彼の仲睦まじい様が、頭を離れない。
「男遊びとは、どういう了見よッ!」
「はぁ!?」
叫んで二の手を放つが、イリスはこれも避けて下がった。間合いを取られ、エミリアは再び姿勢を低く、駆けだす構えを取り――――。
「――――逃げろ、姉ちゃんッ!」
飛び出す前。そんな言葉が、刺さった。
エミリアは無意識に飛び退り、部屋の入口あたりまで下がる。
(あね……? 姉? あの金髪が、イリスに? 姉……)
金髪碧眼の少年が、三人いる。顔はそっくりで、苦痛に歪む表情すらもよく似ていた。彼らはどこかイリスと同じ面影があって――――。
「イリスの、おとうと、さん? まさか、烈火団…………? この不審者、が?」
エミリアは思わず、そう零した。確かに昨夜、大冒険者団の烈火団の者たちと、合流を推奨する手紙をもらっていた。イリスは顔見知りだという。
(え? なら百歩譲ってイリスと手を繋いでたのは……千歩……一万歩譲って! 飲み込むとしても。私、なんで追いかけられたの? しかも斬りかかられたわよね?)
エミリアは警戒を解かず、視線を走らせる。部屋にいるのは、見覚えのある顔や姿……確かに街中でエミリアを追跡した者たちだ。少年たち以外にも、道を塞いだ巨漢や、最初にすれ違った男たち、川辺を追いかけてきた者たち……。見知らぬ者もいるが、だいたいは追跡者で間違いない。
「ふ、不審者ってどいうことですか?」
イリスの声が、少しの透明感を持って聞こえる。先の爆音の影響は、だいぶ抜けてきたようだ。エミリアは――――じっとイリスの青い瞳に見つめられて。
照れた。
「え? え? 私を武器持って街中追い回すヤバイ人たち」
頬を染め、少し小さな声で早口に、もじもじとしながら答える。
瞬間。
地下室の気温が、5度ほど下がったような気がした。
木箱から起き上がってきた少年の襟を、素早く近づいたイリスが掴んでいる。俯き加減の彼女の瞳は、よく見えないが……唇は、わなないて。
「なにやってんのよ、あんたたち……」
「や、その。姉ちゃん、これは」
その綺麗な顔のこめかみには。
青筋が、浮かんでいた。
「わたしのエミリア様にッ! 何してくれとんじゃコラァ!」
(イリスこわ。近寄らんとこ)
エミリアはそっと部屋から出て、木の扉をぱたんと閉めた。




