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05-01.帝国旅情は煤の風。

 やっと休める――――荷物を置いて伸びをしたエミリアは、部屋の中を歩いて奥の窓に手をかけた。ガラス窓を内向きに開け、留め金を外して鎧戸も開く。しっかりした宿だ、とこれから当分生活する住まいに感心しながら……夜の風を吸い込んだ。


「来てよかった、帝国。イリスと二人で来れて、よかった」


 呟きが、夜風の中に消える。そっと胸のブローチに手を触れれば……幾日か前の決意が、蘇るようで。ジーク王子との婚約破棄を間違いだったと認めながら、それでもイリスと共に歩むことを決意した……自分が誇らしく、思えるようで。

 誰かに追われることもなく、旅をようやく満喫できるようになったエミリアは、帝国の夜にほっとした笑みを向ける。街灯の揺れる光が、ほの暗く通りを照らしていた。


(魔法って失われたはずだし……ガス灯? なのかしらね。王国にはなかったわ。文明の風ってやつねぇ)


 異世界情緒らしきものをぼんやり感じていると、ふわり、と香ばしい匂いが飛び込んでくる。明かりの恩恵もあってなのか、ほど近いところで露店が営業しているようだ。どこからか、酒の入ったような大きな笑い声も聞こえる。


(いいなぁ……)


 エミリアは前世の自由な記憶や、ジークに連れ回された思い出を振り返り――――少しの胸の痛みを無視して、憧憬と食欲に浸った。


「ご飯、どこか食べに行く? イリス」


 後ろで、荷物を片付けている様子のイリスに、尋ねる。エミリアが振り向いて見ると、ちょうど青い瞳と目が合った。


「ぁ」

「えっと……」


 微妙な照れを感じ、エミリアは視線を逸らす。先日、ジークの追跡を振り切った後、大いに泣いてから……少し、気まずい思いをしていた。


(〝私を許さないで〟とか言っちゃって……自分に酔ってるみたいで、恥ずかしい……)


 風が温く、頬を撫でる。ため息を空気の流れに隠し、エミリアは鎧戸を閉めた。ガラス窓も閉めてから、カーテンを引く。


「女ふたりで夜間外出は、流石によくないですよ。エミリア様」


 まだうつむき加減で、カバンから衣服を取り出しているイリスに、咎めるように言われた。エミリアは少しだけムッとして、頬を膨らませる。確かに危ないだろうが、むしろエミリアとイリスの方がずっと人間凶器だ。エミリアは多数の精霊具を身の内に隠しており、結構な数のスキルも使える。イリスは言わずもがな、その腕っ節は達人級である。


「それはそうだけど、酔っぱらいくらいなら問題ないでしょ?」

「トラブルになったら、どのみちご飯食べられないじゃないですか」

「おっと、それはそうね」


 反論に素直な返答を漏らし、エミリアはふっと顔を緩める。顔を上げたイリスの目も、どこか優しくて――――。


(なんか、むずむずするわね……)


 またふたり、僅かに頬を赤くして目を逸らし合った。


「が、外国人お断りのところも多かったのにっ。良い宿がとれて、よかったわねぇー」


 誤魔化しを声に出したら、思いっきり上ずった。気恥ずかしい思いをし、エミリアの顔はまた赤くなる。


「スキル証明書がないと、高級宿は難しいみたいで」

「イリスならとれるんじゃないの?」

「帝国民にしか発行されませんよ。あとは、留学生とか、ですけれど……」


 イリスがまた俯き、顔に影を作った。


「なにが、あったんでしょうね。帝都」

「さぁ? 入れないし、聞いてもはっきりしなかったし」


 二人は精霊車に乗って王国を出た後、国境を問題なく通過。そのまま真っ直ぐ、ジーナ帝国・首都ジーニアスへと向かった。ところが市壁が封鎖されており、中に入れない。群がる人々の様子を伺ったところ、やれ政変があっただの、やれ皇帝が崩御しただの、無責任な噂が飛び交っていた。

 やむを得ず二人は相談の上、引き返した。帝都に近くて比較的大きいこの〝アビリス〟の街までやってきて、情報を探りながら当分腰を下ろすことに決めたのだ。どのみち大学は春からだし、余裕はかなりある。公爵が出がけに資金をくれたため、懐も温かかった。


「おっとそうだ……せっかくだし、情報を送っておきましょう。アイテール!」


 入れなかったものはしょうがない――エミリアは気を取り直し、精霊車の名を呼び、木製テーブルに手をかざす。車は街への到着直前、エミリアの〝中〟に仕舞っておいた。〝積載〟のスキルを持つ精霊車――その荷物の中から紙とペン、そしてインクツボ……さらに吸取器(ブロッタ―)が出て、天板に並んだ。さっとインクを付けた万年筆を走らせ、二文執筆。あて名は書かず、記名もせず、吸取器をぐいぐいと押し当てる。吸取紙にインクが移ったのを確認してから、紙を二つに折った。


「――――〝おせっかいな爆弾魔(メールボマー)〟!」


 エミリアの手の中に、にゅるっと細長い筒が現れる。彼女はイリスの父親の男爵に、使い所の難しいガラクタのような精霊具を、たくさんもらっていた。ただ、まだスキルが〝馴染んでいない〟ため、使い物になる精霊具は少ない。


(馴染むまでのスキルは、やっぱり他人に操られてるみたいで……気持ち悪い。でも慣れてくると、急にぴったり吸い付くようなって、ちょっと楽しいのよね。聖剣……〝(ソード)〟は光になるときとならないときがあって、機嫌がよくわからないけれど。アイテールとかこの〝おせっかいな爆弾魔(メールボマー)〟は、使いやすい方ね)

「……それ、狙ったところに届くようになったんですか? エミリア様」


 うきうきと筒を撫でていると、遠慮がちな声が届いた。イリスが小首を傾げ、こちらを覗き込んでいる。エミリアはだらしない笑みを浮かべ、胸を張った。


「なったわよー。ちゃんと返事も来るし。たぶん余計なところにも行ってるから、内緒話は書けないけど」

「逆に話を広めるのなら、問題ない、と」

「そういうこと」


 自信満々に頷くと、イリスはどこかしかめっ面だ。エミリアは気になったが、先に手紙を処理する方に意識を向ける。

 筒には蓋がついており、開けて中に物を入れると、かなり遠くまで一瞬のうちに届けてくれる。しかし、同じ物を宛先()()にもばらまいてしまうという、欠点があった。ばらまかれたものはしばらくすると消えるが、それに「返事」を書くと回収され、また筒に戻って来る。


「ここに来るまでにしっかり、ズライト卿とやりとりしたし。よし、いけ!」


 エミリアがいそいそと筒に紙を入れて蓋を閉じると、ぽんっとごく小さな音がした。蓋を開けてみると、中身はちゃんと消えている。「返事」が戻ってきた場合、少なくともスキル使用者のエミリアにはわかる仕組みだ。ズライト……イリスの父がまだ起きていれば、小一時間以内に応答が来るだろう。


「エミリア様は……元気ですね。帝国も、ガラクタみたいなスキルも、なんだかんだ楽しんでらして」

(さすがのイリスも疲れてるのかしら? ご飯食べに行くのもダメだと言うし。ちょっと心配ね)


 やはりどうにも、イリスの声が沈んでいる。しかし案じて彼女に目を向けても、視線を逸らされてしまう。筒やペン、インクツボに吸取器を自分にしまい込みつつ、エミリアは窓を見つめた。


「使い慣れないスキルは、まだ違和感がすごいけどね。帝国はー……」


 「窓はあるけどあまり開けるな」と店主に言われているので、開けっ放しにできないのが残念だ。だが初めて訪れて街の夜景は、エミリアの胸にしっかりと焼き付いている。


「この荒んでる感が、ちょっと好き。この街、ちょっと王都の南寄りみたい。大きな工場も見えたし……鉱山近いんだっけ?」

「そのせいか、空気悪いですね。わたしはちょっと、苦手です」


 エミリアはにへりと笑って見せてが、一方のイリスは苦笑いだ。可愛らしい顔の眉根がしっかりと寄っており、はっきりと不満が見えた。


「そうなの? 倉庫で精霊車作ってたのに?」

「王都の鉱山は、かなり離れてるじゃないですか。帝国は至る所で採掘されてて……どこも空気がすすけてます。だから窓にも鎧戸が必ずついてるし、はめ殺しのところも結構」


 言われて見れば、薄暗い街の窓はだいたいきっちり閉まっていて、灯りが漏れているところはほとんどなかった。エミリアは前世で割と排ガスに慣れていたので、まったく気になっていない。鉱山街ならともかく、このくらいならば平気であった。


「おお、詳しい。昔来たことがあるんだっけ?」

「ええ、お母さんに連れられて」


 イリスの短い答えを聞き、エミリアは彼女の顔を覗きこむように見る。だが絶妙に俯き加減で、その綺麗な青い瞳が、ほとんど見えない。

 目が合えば、つい逸らしてしまうが。

 見えてないと、もどかしかった。


「イリスは、元気ないね?」



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婚約は破棄します、だって妬ましいから(クリックでページに跳びます) 
短編版です。~5話までに相当します。
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