04-10.どうか許して。
精霊車は山を下り切り、静かに平地を北へ進む。あとは国境付近に少しの人里があるくらい。帝国側に入ってからも、帝都まではほど近いはずであった。
旅の終わりが、近づいている。
「エミリア様、覚えていますか?」
エミリアのしゃくり声がおさまるのを待っていたのか、イリスが声をかけてきた。
「何を?」
「初めてお会いしたとき。学園の正門入ってすぐの、あそこで」
「覚えているわよ。私に真っ直ぐ向かって来たあなたが、見事な礼をとって」
イリスとの、忘れられない出逢い。溢れるような眩いオーラを纏っていた、イリス。今もなお、その輝きは消えていない。むしろ増しているようにすら見える。アイドルのようだった世界のヒロインと、こんなにも距離が縮まるなんて……エミリアは改めて、信じられない想いだった。
「はい。その後、わたし、失礼なことを聞きましたよね?」
「失礼? なんだったかしら」
「〝無才〟ってどんな気持ちなのか、って」
イリスに言われ、エミリアは首を傾げた。特に印象に、残っていないからだ。
「そんなの、散々聞かれたから、失礼ってほどでも」
「そんな感じでしたね。エミリア様、なんて答えたかは覚えてます?」
「『別にどうとも』って言ったわね」
答えだけは覚えている。イリスのその後の反応が、思ったより大きかったからだ。声も上げず、目を見開いて……何か、眩いものを見ているかのようだった。見上げているかのようだった。
「わたし、あの時。エミリア様についていこう、って。そう決めたんです」
前後が繋がらなくて、エミリアは眉根を寄せる。イリスは、笑顔だった。
「はい?」
「平民はほとんどが無才です。でも彼らは、そうは言わない」
視線を逸らし、イリスが前を向く。エミリアもつられて、前方を向いた。
「悔しい、羨ましいって。私は母の烈火団の人たちに、そういう話をたくさん聞きました。大体の人たちは、『羨ましいけどしょうがない。しょうがないけど、悔しい気持ちはどうしょうもない』って感じでした」
「ふぅん……?」
「でも。周り中がみんなスキルを持ってるエミリア様は……そうは言わなかった。学園では、みんなスキルの優劣でお互いを比べ合っていたのに。あなただけです、それを気にしてないの」
シートにゆっくりと背を預け、エミリアはイリスの言葉を反芻する。そしてぼんやりと、考えを口にした。
「スキル持ちは、みんなそれに引きずられる。スキルを使うことしか頭になくて、それで何をしようって発想がない。最初は私も欲しかったけど……見てるうちに、嫌になっちゃったのよ。きっと手に入ったら、詰まんなくなっちゃうんだろうなって」
「手に入ったご感想は?」
「『別にどうとも』」
そう口にした瞬間。
「――――やっぱり、最っ高です! 一生ついていきます!」
右手から手が伸び、イリスが抱き着いてきた。珍しい接触に、エミリアは顔を赤くして狼狽え……冷静さを保とうと、咳ばらいをする。
「何言ってるの。嫁入りどうすんのよ、それ」
「私のはどうでもいいです! エミリア様がご結婚なさるなら、メイドで雇ってください!」
はしゃぐイリスに、エミリアは思わず頬を緩めた。
「世界一優秀なメイドね。でももうちょっと、いい活躍の場をあげたいわ」
「そんなの、いいのに」
「私の気が済まないのよ。〝もやもや〟する」
そう言うと、イリスが見上げてきて。
満面の笑みを、見せた。
★ ★ ★
夜が更け、車は停められいる。国境はまだしばらく先で、その前で休むことにした。疲れているエミリアを慮り、イリスが寝ずの番を買って出ている。
エミリアは静かに、寝息を立てていた。
「エミリア様……一度寝ちゃうと、朝までぐっすりなんですよね。ベッドから叩き落とさないと、起きてくれなくて」
イリスは一人呟く。エミリアの方を向いて。彼女を――――じっとりと、見つめながら。
「わたし――――――――嘘を吐きました」
イリスは胸元のブローチを、握り締める。
「〝竜鳥の涙〟の伝説、知ってたんです。男が、愛した女性に贈るって。知ってて……」
その顔が。歪んだ。笑みのように。泣いているように。
「まず、わたしがこれを欲しがっているって、人づてにジークの耳に入るようにしました。同時に、お駄賃目当てと見せかけて、彼に近づきました。能力と、〝手柄を献上する姿勢〟を示し……忠誠心があると、認められて。その上で自分から、あの『植生と精霊について』の原稿を、ジーク王子に渡しました。見返りに、とても綺麗な宝石があれば、と願って。もちろん、これが渡されるかは、わからなかったですけど」
振り返るのは、ここ二月の。あるいは、エミリアと出会ってから半年ほどのこと。
彼女の密やかな、企み。
「わたし、賭けは得意なんです」
イリスはにやり、と笑みを見せた。誰にも見られない笑みを。
「これをもらったときは、もう嬉しくて。そのままエミリア様に、おそろいですって、言いに行って。当然……あなたがどう思われるか、予想はついていました」
ブローチを握り締める手が、震えた。それもまた、賭けだった。エミリアの疑いがジークに向かず、即座にイリスを嫌う可能性もあった。
だがイリスは……賭けに、勝った。
「伝説を踏まえるならば、エミリア様にこのブローチを贈った相手は、ジークしかいない。あなたは口には出さなかったけれど、これをとても大事にしていました。ジークを愛しているのが、とてもよく、わかって。だからわたしは」
エミリアの寝顔にかかる銀糸を、優しく払いのける。少しの身じろぎをする彼女を、イリスは愛おしげに見つめた。
「不安そうなあなたに、さりげなくジークの様子を伝え、不信をあおったのはわたしです。不正の証拠や証言、見つかりやすいと思いませんでした? わたしが調べておいたものを、エミリア様が目につくようなところに置いたり……証人たちがどこにいるか、誘導したりしました。もちろん〝竜鳥の涙〟の入手で払われた、犠牲についても」
イリスは息を吐く。綱渡りのようだった計画の、正念場を思い出して。バレないように暗躍し、かつ置いたヒントのすべてをエミリアが拾ってくれなければ……勝負にもならない。自分が矢面に立っても、ジークに踏みつぶされるだけ。エミリア自身がジークと決別してくれなければ。
イリスの望みが叶うことは、決してなかった。
「あなたが悩んだ末、ジークを試そうとしているのはすぐにわかりました。だから先回りして、メイドとして雇われて。人前でわざと、粗相をして……わかりやすすぎです、エミリア様。人前で激しく叱責して、後で涙目でわたしに謝るんですから。もちろん、ドレスや教本の古い奴を見せたのも、わざとですよ? あなたはわたしの仕込みを、見事にすべて拾ってくれて――――」
「そうして賭けに、勝ってくれました。見事に婚約破棄を、勝ち取った」
晴れやかな笑顔で、イリスは天井を見る。一筋の涙が、頬を伝った。
「相手、王子様、ですからね。わたしじゃどうにかするには、エミリア様を外国に連れ出すくらいしか……手段がなかった。彼の周りは信奉者が固めていますし、暗殺は難しかったですしね。あの身体能力を思えば、手を出さずにこうして回りくどいことをしたのは、正解でした」
困難を乗り越え、感無量となったイリスは、もう一筋の涙を流す。それは、自分の苦労を思ってのことでは、ない。
「旅の中でのことは、特に仕込みはありません。ちゃんと逃げ延びるために、車を用意しておくので精一杯でしたし……あの猛追は、さすがに予想外でしたから。そう。わたしは、この旅の始まりまでを、用意しただけ。あとは何も、していない……」
彼女が尊く思うのは。
「なのにあなたは。わたしを選んでくれた。選んでくれた……!」
エミリアの、選択。
彼女がしてしまった、選択。
それはきっと――――重大な過ち。
「毎晩毎晩、わたしがあなたの寝顔を見て、どんな思いでいるかわかりますか!? 嫌われたくない一心で、夜明けまで耐えて、ずっと眠れなくて! 無防備なあなたをいつまでも見ていたい! 手を出してすべてを終わらせてしまいたくて、仕方がない! 台無しにしてでも、あなたが欲しい! エミリア様!」
同性同士など、認められない。どこに行っても、石を投げられる。けれどそんな相手を、エミリアは選んだ。二人行くことを、選んでしまった。
「あなたを、愛しています――――!」
イリスはエミリアに、恋をしていた。
「あなたは太陽。才能に溺れない、この世で唯一の光です。そんな方が、私を選んでくれて! 私と一緒に、世界の頂点に立つとまで! 歓びで震えが止まりませんッ!」
彼女の想いは、異性に向くよりずっと官能的で。覚えのある淡い初恋など、どす黒く塗り潰すようなもので。想うだけで身もだえして、〝もやもや〟して。そう。彼女が言うように。
それに抗ったら――――きっと、気が狂ってしまう。
「でも」
イリスは視線を下げ、顔を下げ、体を丸め……眠るエミリアに近づく。その寝顔を、じっとりと見つめる。
「わたしがやったことを、すべて知られたら。あなたとジークを別れさせたことを、知られてしまったら。きっと、嫌われてしまう。憎まれて、しまう。でも〝もやもや〟して、我慢できなかった……あなたとあいつが仲良くしているのが、我慢できなかった!」
喚く口の端から飛ぶ唾が、エミリアの顔にかかっている。あとでお拭きしなければ、どう拭こう、何で拭こう? そんな情念に憑りつかれながら。
「わたしのやったこと、どんなひどいことでも許せるって、そう言いましたよね!? 愛するジークを、わたしになら取られてもいいとまで! あんなの要りませんけど……ならわたしは、あなたを奪い取る! 他の誰にも、渡さない! 渡せない……!」
イリスの悲鳴のような苦悶は、止まらない。
「あぁあぁぁぁぁ、ごめんなさい、ごめんなさいエミリア様ごめんなさい! 許して、許してください、どうか」
彼女の〝もやもや〟が、その全身を駆け巡って。熱く体を焦がし、身を震えさせた。息は荒く、汗はしたたり、目は血走って。
「やったことの罰は、なんでも受けます。あなたのためなら、なんでもします。だからどうか!」
世界でエミリアだけを、見ている。
「あなたを愛してしまったことを、許してください、エミリア様――――――――」
天に祈るように。
イリスはそっとエミリアを撫でる。
穢さぬように、汚さぬように、己の黒い欲望が、降りかからないように。
その愛を決して、叶えないように。
★ ★ ★
二人の帝国へ向けた旅が。
終わろうとしていた。
世界の頂点――――二人の安住の地を目指す旅は、続く。
それが帝国で終わるのか。はたまた別の国へ往かねばならないのか。
そして二人の〝もやもや〟の正体もまた。
まだ誰も、知らない。
――――――――
御精読、ありがとうございました。
本作はこれにて、いったん完結となります。
「まだ旅途中じゃん、帝国編見せろ!」「くっつくところまでやれや!」「ジークもっとボコして!」などのお怒りがありましたら、ご感想欄にお寄せくださいませ。
お読みいただき、ありがとうございました。
(2025/5/20)
→ご応援ありがとうございます。続きの5章更新を開始しました。2人の関係の終着まで、かき切るつもりです。よろしければこのまま、お読みくださればと思います。




