04-09.決別の戦い。
エミリアとイリスの乗る精霊車が、猛然となだらかな斜面を下る。その後ろを、馬に乗ったジークが追いかけてきていた。
「速度、もっと上げてイリス! 追いつかれる!」
「これが最高速ですよ!? なんであんなに速いんですかあの馬!」
(ハッ、スキル〝いと高き者〟!)
エミリアが思い浮かべたのは、ジーク王子の持つ精霊の祝福だった。高みに昇るとき、高いところにいるとき、に絶大な加護を与える。
「私たちより高いところにいる! だからスキルの効果で、追跡がしやすくなってるのよ!」
体を捻り、座席の影から後ろを窺って……エミリアが眉根を潜め、叫ぶ。
「王子のスキル!? そんな滅茶苦茶な! このまま下ってたら、追いつかれる――――なら! アイテール、奥の手!」
瞬時に状況を理解したらしいイリスが、精霊車に何やら命じた。すると何かボールのようなものが、車から射出されたようで……それが跳ねて、いくつもジーク王子に向かっている。
途中。
爆ぜた。
「な、爆弾!?」
エミリアは顔を背ける。強烈な光、そして車体を揺らす振動があった。
「音と光だけ! こんなこともあろうかと、用意しておきました!」
「いつの間に!? 縫物してたんじゃなかったの!?」
「夜一人だと暇で! いろいろ作ってるんですよ!」
(この〝万才の乙女〟めッ! 頼もしいわね! これで、馬が倒れれば――――)
光と土煙の立つ向こうを、エミリアは目を細めて見る。そして。
思わず息を呑んで下がり、ドアに背を押し付けた。ベルトが体を締め付けるが、心臓が高鳴って気にするどころではない。
「どうしたんです、エミリア様!? 何か――――」
「はしって、くる」
「へ?」
見たくはなかった。だがエミリアは恐る恐る、座席の影から後ろを覗く。後部ガラスの向こう、先ほどは馬に乗って追いかけるジークが、見えていたが。今は。
――――馬よりも早く走る、王子本人が映っていた。
「なんで、どうして!?」
「わたしに言われたって、わかんないですよ!」
「車、速度!」
「最高速です! もう上がりません!」
大木でも跳ね飛ばせそうな勢いで走る精霊車、それを走って追いかける王子。車は時に、岩や木をなんとか避けて……蛇行する間に、跳んで迫るジークが距離を詰める。
「追いつかれるわ! さっきの閃光弾!」
「売り切れです!」
「こんな時のための!」
「策はもうありません!」
「また跳んだ!?」
ジークの姿が、ガラスの向こうから消え――――ダンッという音と、大きな揺れが車体を襲った。
「前ッ! 取りつかれました!」
エミリアが振り向けば、前方に王子の脚が見えている。膝がガラスに振るわれ……しかしみしり、という音がしただけだった。
(さすがに〝いと高き者〟の強化でも、精霊車は直接砕けない! でもこれ、どうしたら……!)
「急ブレーキをかけたら、振り落とされてくれませんかねッ!」
「落ちなかったら……?」
エミリアが不安を口にする。隣を見れば、引きつった顔のイリス。
「私……賭けって苦手なのよね」
「なら――――! アイテール、旋回しろッ!」
「きゃっ!?」
ぐっと車が回り出す。遠心力が体にかかり、エミリアはイリスの座席側に振られた。急旋回する車は速度をそのままに、次第に横を向き、そして反対を――――。
「ハッ、ダメ! 戻して!」
「エミリア様!? なんで――――」
「〝いと高き者〟第二の能力! 昇っているとき!」
バキッと音がした。
見上げると、天井から。
指が、生えている。
「どこまでも強くなるッ!」
指が、深く車内に入り。
手が、左右に。
天井を、開いた。
「そんな馬鹿なッ!? アイテール、水へ――――んぐっ!?」
「イリス!?」
上から即座に伸びた手が、イリスの喉を掴んだ。視線の隅には、エミリアをじっと見つめる……優しい瞳の、王子。
「迎えに来た、エミリア」
「聖剣ッ!」
エミリアはためらいなく、手の中から剣を取り出した。それは出現の勢いのままに、ジークへと向かい――――。
ガキッと音がして。
止まった。
(歯!?)
ジークが噛んで、白銀の刃を受け止めていた。慌てて出切った剣の柄を握るものの、圧倒的な力で振り回されそうである。エミリアがどれほど力を籠めても、押すことも引くことも、薙ぎ払うこともできない。
「イリス、イリス! イリ――――」
必死に叫び、友の名を呼ぶ。
エミリアの揺れる視線の中で。
王子に首を掴まれた、イリスが。
「イリ、ス?」
顔を真っ青にして――――もがいていた。
エミリアの瞳から。
光が、消える。
「イリスを離せ…………」
呆然と呟く。その目の前で、王子の手に力が込められた。
抵抗するイリスの顔が苦悶に歪み……手が、震えて。
力が――――。
「私のイリスを離せぇぇぇぇぇッ!」
エミリアの血が、一瞬で沸き立ち。
その中を巡る〝もやもや〟が。
爆発した。
白銀の下から。
虹の光が、現れる。
音はなく、光が弾けた。
光は車内を満たし、天に昇った。巻き込まれたジークの魔力が、ずたずたに切り裂かれたのを、エミリアは見ていた。彼の体がふわり、と浮かび上がるのも。
どこか遠くの世界の出来事のように、見ていた。
「ハッ、イリス!?」
天井が修復されつつあるのを見て、エミリアは我に返る。
「アイテール、止まって! イリスしっかり! イリス、イリス、イリス!」
光の剣を手の中に消し、エミリアは咽るイリスに向き直る。彼女の体を引き寄せ、その背を、あるいは喉に添えられた手を、荒く息をしながら撫でた。
車が速度を落とし、やがて止まる。イリスの咳も、止まり。二人の呼吸も、落ち着いた頃。エミリアはイリスをひしと抱きしめ――――。
「ここで待っていて、イリス」
そう囁いて、身を離した。ベルトを外し、ドアを開け、静かに車外へ出る。
「エミリア、さま――――だめ、出ちゃ!」
「決着をつけてくる。もう二度と追わせない」
止めるイリスに背を向ける。〝もやもや〟がまだ、血の中で煮えたぎっていて。
「あなたを、傷つけさせない!」
エミリアはその衝動に、逆らえなかった。
山道を下り、ほどなく倒れた王子を見つける。彼は以前追跡を振り切った時と違って……ぐったりとしていた。
「エミ、リア……!」
(さっきの感触……おそらくスキルの本体を斬った。でも傷がついた程度で、たぶんすぐ再生する。そうしたらこの人は、必ず立ち上がる。立ちあがったらスキルの効果で回復する。なら、今)
エミリアは手の中から溢れる光を。
(私が、すべきなのは――――!)
握り、潰した。
彼女はジークの傍に寄り、ひざまずき……彼の襟首を持って、その身を引き起こす。
「言いましたよね? 私。二度とあなたを、愛さないと。追って来ないでください」
「行き違いがあったのならば、謝ろうエミリア! だが私は、君を愛している! 諦めることなど――――」
「ウソだッ!」
エミリアは叫ぶ。その目から。
涙が、零れた。
「あなたは私を、愛してなんかいない! ただ公爵家の令嬢が、手元に欲しかっただけでしょう!」
「違う、そんなことはない!」
「ならなぜ、あの時! 舞踏会のあの時! 答えてくれなかったの! このブローチを贈ったのは、ただ私を得るためだけで! 愛などないのでしょうが!」
婚約破棄を演じた、あの時。ジークは答えなかった。その瞬間……エミリアは彼を、信じられなくなったのだ。
だが。
「そんなことはない! 私は前から、君を知っていた! スキルの選定で見かけて! それからブローチを渡すまで半年! ずっと君を見ていた! 〝無才〟などどこ吹く風と、懸命な君を!」
「ッ!?」
王子が言葉を、絞り出した。本心だと感じさせる、気迫と共に。
彼が一度も、振りまいたことがなかった、感情と共に。
「光り輝く、ようだった……! まるで母の、いやそれ以上の輝きで! 君を王妃にするために、私は王になろうと決意したのだ! 恋を、知ったのだ……!」
愛と、共に。
「うそ、です」
エミリアは俯き、首を振る。
「ウソではない、この想いは!」
「――――なら、証明してくださいよ」
抗弁するジークに向かって顔を上げ、間近でその瞳を睨みつけた。
「私が一番だって、証明してくださいよ。出来ませんよね? このブローチを、彼女にも贈ったあなたが。私への愛を、何をもって証とするのです?」
冷え冷えと凍り付いた声で、エミリアは責める。ジークの許せない行いを、責める。
「でき…………ない。証明、できない! だが私の想いは!」
「そんな見えないものを出されても、意味ないのですよ! このブローチが唯一だったのに! あなたがイリスに同じものを上げなければ! 私はあなたの愛を! 信じることができたのに!」
弱く首を振るジークに。
エミリアは思いのたけを、ぶちまけた。
後悔を。
「あなたがどれほど私を愛そうとも、私はその愛を信じられない。あなたのことも、もう二度と愛さない」
そして決意を。
「ならば、証明する!」
「どうやって! どうやるって言うんですか!」
「この国を――――否、世界を君に捧げて!」
決意に、決意が返った。
歯を食いしばるジークの、力強い意思が。
愛が……その瞳から、伝わる。
「君こそ世界の頂点に相応しい、エミリア! 君をそこに押し上げることで! 私の愛の証としようッ!」
「なら――――それができるまで、追わないで。私の前に、現れないで」
エミリアは彼の愛を……やはり、信じられなかった。彼の熱意に対し、何の気持ちも湧かない。どうしても空虚に、聞こえて。
「――――ッ! 君は、君は! 君はどうするというのだ! 君が誰かのモノに、なってしまったら! 私は!」
「…………あなた方は側室だ妾だと言うのに、女にはそれを許さないのですね」
縋るジークを、冷淡に、見下した。
脳裏に、彼とは違う価値観の。
大事な人を、思い浮かべて。
「世界の頂点は私ではない。イリスよ」
もやり、と胸の奥で。熱いものが沸き起こる。
「私は彼女を押し上げる。いえ、並び立つ! 勝負です、ジーク様」
賭け事は苦手だ。だが間違っていようとも、引けないものがある――――〝もやもや〟がどこまでも、エミリアを突き動かした。
「私と彼女が共に頂点にあるのなら、あなたの証明は成り立たない。私は一番ではない」
「私は君を押し上げるッ! あのような女よりも、才能に驕った者よりも、ずっとずっと高く!」
「では、お別れです」
エミリアは手を離し、立ち上がる。支えを失ったジークは、力なく大地に伏せた。
「さようなら、ジーク様」
その頭に、背中に、吐き捨てて。震える彼に背を向けて、エミリアは歩み去る。
(私だって、あなたと! でも、もう。後戻りなんて――――できない!)
車に戻り、ドアを開け……身を滑り込ませた。
(ジーク様と、イリスの、どちらかを選べと言われたら!)
透明な顔で自分を出迎える、イリスを見て。
「イリス、行きましょう」
「――――はい、エミリア様」
エミリアは、前を向く。
(私はこの子を選ぶ)
彼女の瞳からは。
「………………………………でも」
涙が、零れていた。止め止めもなく、幾筋も。
「あいして、いたの。すき、だったの」
「…………ええ」
「じーくさま、けっこん、したかった」
「……はい」
「でも、もうできない。私が、私が、こわした」
「違いますよ、エミリア様」
「ちがわない、ちがわないの……私がわるかったの。誰もせめて、くれないの」
言葉と、涙が止まらなくて。
「私をゆるさないで。おねがいよ……イリス」
エミリアはただ、願った。
子どものように。
懇願した。




