04-08.旅立ちを――追う者。
見送りもない、あわただしい出発となった。
馬車は目立つし時間がかかるため、エミリアとイリスは馬で屋敷から領都正門まで直行。そこで素早く、預けていた精霊車を受け取り、乗り込んだ。
荷物を詰め、乗り込んでから、正門前に出て。
二人は一度だけ、振り返る。
「また、来ましょう」
「今度はゆっくり、案内してあげる」
二人はシートに深く背中を預け、微笑み合う。車はゆっくりと、下り坂を滑り出した。王都方面の南山道から登って来るジークと鉢合わせる可能性を考え、北道に進路をとる。緩やかなカーブを描く山道を、それなりの速度を出して下って行った。
「この速度なら、馬も追いつけないはずです。彼の持つ、精霊の宿る馬、であっても」
「そうね。安心して、いいかしら……公爵領を出たら、もう帝国は目と鼻の先だし。そっちの心配をすべき?」
そもそも、馬に下りで速度を出させるのは、危険である。仮に精霊が宿っていようと、それは同じだ。乗馬が得意なエミリアとしては、ジークに遭遇することなく出発できた時点で、少しの楽観があった。むしろエミリアにとっては、初の外国訪問。そちらの方が気になってきて、緊張で少し顔が強張る。
「王国との国境から帝都はほど近いですし、そう困ることはないと思いますよ? 国境は監視があるだけで、検問もないですし」
「そうなんだ……いいの? それ。国としてどうなの?」
「人間より魔物の方が怖いから、そっちに人員割いてるって話です。お母さん情報」
「なら安心ね」
イリスの母レッカは、国をまたぐ大冒険者団のリーダーだ。その娘の言うことなので、エミリアは素直に聞いて、安心した。音もほとんどなく、揺れもしない精霊車内は快適で……たっぷり寝たはずなのに、気持ちが落ち着いたせいか、少し眠たくなってくる。
(そういえば……お兄さま、不眠症なんじゃなかったかしら? 安眠セラピストとか言ってた、モス男爵……キスモート殿は、ショックが酷いらしいけれど。仕事してくれるのかしらね……あっ。キスモートと、言えば)
エミリアは顔を上げ、右隣のイリスをじっと見つめる。
「イリス。キスモート卿のこと、好きなの?」
「ブフォォッ」
飲料ボトルを出して口をつけていたイリスが、盛大に噴いた。
「ちょ、大丈夫? イリス」
エミリアがハンカチを取り出して、さっと拭きにかかる。イリスはボトルを置いて、随分咽ていた。
「なんてこと聞くんですか? なんてこと聞くんですか!?」
何やら怒られた。少し理不尽に感じ、エミリアは口先を尖らせる。
「あれだけ仲良さそうだったら、そう思うわよ。どうなの?」
「どうもこうも、あり得ないです。あの人、奥さんに逃げられてますけど、まだ離縁できてないから妻帯者ですよ?」
(なおのこと気持ち悪いのだけど、あの男爵。結婚したままなのに、イリスにあの態度だったとか……というかイリス、貞操観念しっかりしてるわねぇ。妾だ側室だって言いだす男どもより、正直安心するわ)
現代日本から転生してきたエミリアとしては、価値観の近いイリスの返答にほっとした。顔が緩み、冗談めかして続ける。
「なら、あの態度じゃ誤解させるわよ。特に貴族の社会でやったらダメでしょ」
「ん……そういうとこ、ちょっと慣れなくて。気を付けます。でも……」
しかし対するイリスは、少し落ち込んだような様子で。冗談だとフォローが必要かと思って顔を上げて見れば、イリスが真剣な表情でじっとエミリアを見つめてきた。
「気になる、んですか? エミリア様。わたしがキスオートお兄さんのこと、すき、かどうか……なんて」
「うん、気になる」
聞きにくそうなイリスに対し、エミリアは小首を傾げて即答する。
「ど、どうして、でしょう」
「あなたが誰かに惚れて嫁入りしたら、私は一人で帝国行きよ? 無才の身で、針のムシロだわ。かといって、もう後戻りなんてできないし」
エミリアはすらっと答えた。彼女は勘当されたのだ。その手続きは「エミリアとジークの結婚」にも対抗できるよう、当然に王国に対して正式に進められる。そうなると家には帰れない。イリスについては別にそこまでしていないので、仮に気変わりして男爵領に帰っても、特に問題はない。
(ま、勘当した上で屋敷のどっかに、使用人として隠れ住まわせてもらうとか……そういうこともできるけれど。家に迷惑かけないためには、国を出る方が望ましいわ。イリスはそこまでしなくても、公爵家の庇護が男爵家にあるだけで、十分。国に戻っても、多少の自由は得られたでしょうね)
考えながら、エミリアはシートに背を落とす。残ろうと思えば、ジークを避けつつ、実家にいることもできたかもしれない。だがそれは、家族の決断を。断腸の思いでエミリアを送り出してくれた、彼らの行いを。穢すような気がして。
(そう。戻りたいなら、戻れるけれど。そうしたい、けれど……それは、ダメよ)
甘えられない。エミリアはそう、胸の中で零した。
「あー……………………そりゃ、そうですよねぇ」
気の抜けたような声が、響く。見ればイリスも、シートに身を沈めていた。
「そうよ。他になんだと思ったの?」
「何でもありません」
何か拗ねている。怒らせてしまったかと振り返るが、思い当たるところが何もない。何なのよ、とエミリアも小さく不満を呟いた。
「……前に、エミリア様。ご自分が妬ましいって、仰ってたじゃないですか」
しばらく窓の外に目をやっていると、イリスがそう零した。エミリアは記憶を掘り返す。確か、王都から出てすぐのことだ。イリスに何もかもしてもらっていて、自分が彼女に何もできなくて……〝もやもや〟が大きくなり、たまらず吐き出した言葉。
〝私が妬ましい〟というその想いは。
今も胸の奥で、うずいている。
「うん、言ったわね」
「あれ、どうしてですか?」
どうして、と聞かれて。
エミリアは言葉に、詰まった。
イリスはおそらく、エミリアがなぜそこまでイリスに対して負い目を感じるのか? を聞きたいのだろう。エミリアの気持ちを、聞きたいのだろう。
答えはあるような気がする。もう知っているような気がする。
だが〝もやもや〟の正体が。とても大事なことなのに。
どうしても、思い出せない。
「わたしなんかがいくら優しくしようとも、お気になさらなければ、いいのに」
「魂が焼けそうなほど気になるからよ。〝もやもや〟して気が狂いそうなの」
自嘲気味に、しかし消沈した様子のイリスに向かって、エミリアは思わず素直に答える。口に出してから彼女は思う。おそらく〝もやもや〟の衝動に逆らえば……エミリアは本当に、気が狂うだろう。心が燃えさかり、神経を焼いて、自分が自分でなくなるだろう――そんな確信があった。
「わたしは男爵家の娘で、エミリア様は、公爵家のご令嬢で」
「私、平民になったけどね」
「エミリア様は、〝無才〟なのに、とっても頑張ってて。私みたいに、スキルで持ち上げられてるわけでも、ないのに」
「精霊具取り込めるようになっちゃったけどね。他人に力を上乗せしてもらってるようなもんだし、あれ」
「どうして、わたしなんかを、そんなに……」
卑下するイリスに合わせて応えるも、エミリアの言葉はどうにも届かないようである。この旅で、エミリアはイリスに……ぐっと近くなった。学園では仲が良いと言っても、相部屋であったとは言っても、もっと隔たりがあった。身分の差、そして才能の差が、心に大きな壁を作っていた。
その壁は、この旅によって壊された。
(そうか。イリスが気にしているのは、壁があること、あったことじゃ、ない)
俯く彼女の横顔を眺め、エミリアはその奥を見ようと、目を細める。
(どうして私が壁を壊したか。まぁ平民とか精霊具のことは偶然の結果だけど、そうじゃなくて……私の意思を問うているのね)
イリスと出会った時は、乙女ゲームの破滅回避が頭にあった。同時に、眩い才気を見せる彼女に、心酔していた。打算と憧れは、お互いの距離を遠くしていた。
エミリアの嫉妬……〝もやもや〟は、きっと。互いの距離感に対する、不満でもあった。エミリアは胸元のブローチを……イリスとおそろいの、憎しみと絆の始まりを示す〝竜の涙〟を握り締めて。
「私、間違ってた」
「……え?」
「ジーク殿下を、振ったこと。大間違いだった。私があの人を信じられなくて、自分に負けた」
勇気をもって、言い切った。振り向いた彼女の青い瞳から、目を逸らさずに。
「でもね。あなたに連れ出してもらったのは……大正解なのよ」
「エミリア、様」
イリスの目が、大きく見開かれる。意図を探り、困惑する視線に、エミリアは微笑みを返した。
「うん。そこを分けて、考えなきゃいけなかった。殿下とイリスのことを、一緒に考えちゃいけない。その上で、どちらを選ぶかって、言われたら――――」
「エミリア、様?」
エミリアは言葉を、詰まらせる。
エミリアの視線は、運転席の窓の向こうを捉えていた。車は山道に沿って蛇行しており、彼女の見る方角には領都がある。つまり山頂だ。
そこから、真っ直ぐに。
「馬が来てる」
駆け下りてくる、馬がいた。
――――ジークだ。
「速度を! いえ、可能なら真っ直ぐ下って!」
「はい、アイテール! 道なき道を下れ!」
二人叫び、精霊車が呼応する。車は山道を逸れ、下り坂を一直線に走り出した。
彼女たちを追う、馬を背にして。




