04-07.家族の絆。
ぱちり、と目が覚めて。
エミリアは――――苦しげに、胸を抑えた。
(な、に。心が、魂が、きしんで、る)
ベッドの上。夜着を着て、汗をびっしょりとかいていて。カーテンの向こうには、ほのかに日差しの気配があった。
(何か、あったのに……なにも、覚えていない)
長く衝撃的な、夢を見ていた気がする。大事なことが、たくさんある気がする。なのになにも、思い出せない。
「イリス…………」
ぼんやりと、呟く。
胸の奥が。
跳ねた。
〝もやもや〟がぶわっと広がり、血を伝わって全身に行き渡る。炎のような衝動が体に満ち満ちて、はじけ飛びそうだ。エミリアは跳ね起きて、服もそのままにドアへ向かった。廊下の外に出て、使用人もいない屋敷の中を走り、隣の部屋の扉の前に立つ。ノックすらせずに、ノブを捻り、扉を引き開けた。
「イリス!」
叫んで、ベッドに真っ直ぐに走り寄る。上体を起こし、顔を上げた、イリスに。
そのまま、抱き着いた。
「イリス……! よかった!」
「エミリア、様」
イリスの手が、エミリアの二の腕に添えられる。抱きしめる腕に力を籠めると、汗の湿りを感じた。エミリア自身にも……イリスにも。
「わた、し。なにもできなかった、気がして。それで。なにもおぼえて、なくて」
「大丈夫よ、安心して。きっとあなたは――――守られた」
身を離して、エミリアはじっとイリスの青い瞳を見つめる。すっと息を吸い込むと、鼻孔を結構な汗臭さがくすぐった。
「私の〝もやもや〟が、守ったわ。もう大丈夫よ」
「はい、そう……ですね」
エミリアは自分で何を言っているのか、まったくわかっていなかった。だがどうしてか、それで納得した。イリスもまた深く頷き、何かを理解しているようだった。彼女の顔が、ほっとしたように緩み。
真っ赤に、染まった。
「ちょちょちょちょちょ汗! わたし汗臭いですからエミリア様!?」
「そうね、私もよ」
「エミリア様のはかぐわしいから大丈夫ですけれど!?」
「そうね、私もよ……恥ずかしい? イリス」
喚いていたイリスが、固まる。エミリアは彼女の、微妙な表情を読み取って。
「私もよ。一緒ね」
彼女の耳元に口を寄せ、小さく、囁いた。
「お風呂、一緒に入る?」
「ぴゃあああああああ!」
エミリアは。
イリスの悲鳴を聞くのが。
なぜか、とても楽しかった。
☆ ☆ ☆
パーシカム公爵邸は、大騒ぎになった。なぜかすべての居室のドアが開けられていて、二人ほど容体のおかしい者がいた。
一人は、客分として逗留していた、モス男爵キスモート・キークォーツ。彼は客室の椅子でぐったりとしているところを、発見された。意識はあるものの、泡を吹いた状態で見つかっており、大事をとって休まされている。何があったかを聞くと、妙な夢の話をしだしたそうだ。夢の最後に光の剣で貫かれ、スキルを……精霊の加護を失ったと、喚いている。特に「エミリアには会いたくない」と漏らしているという。
もう一人は彼のメイド、ブバルディア・ブティックバーゲン。なんと、エミリアの部屋で倒れているのを発見された。だがエミリアには何の覚えもない。ブバルディア自身は意識を取り戻したものの、「もやもや」とうわごとのように呟いており、強いショックを受けているようだった。
そしてそれ以上に、大騒ぎだったのが。
「イリス、準備はできた!?」
「はい、エミリア様!」
着替えた二人は、応接室に急ぐ。忙しい中、なんとかメンターたちが時間をとってくれたのだ。
「丸一日、時間が経っているなんて……! 急がないと、ジーク殿下が来てしまう!」
そう。エミリアたち、屋敷の全員が寝ている間に、一日が過ぎていた。エミリアがこの家にやってきたのは、一昨日ということである。
彼女たちはすべてを忘れ、知る由もないが。
時間稼ぎは――――成功していた。
屋敷自体も、24時間皆が寝ていたので、いろいろと大変である。また体調を崩している者も多く、大わらわであった。事態の把握と収拾に時間がかかり……すでに昼近くになっていた。
「お父さま、お待たせいたしました!」
メイドが扉を開き、エミリアとイリスを室内に招き入れる。エミリアは礼もそこそこに、勧められるままソファーに座った。浅く腰掛け、父を眺める。
「ぁ……」
「ん」
目が合った瞬間、なぜか二人して小さく声が出た。顔を赤らめ合い、視線を逸らす。エミリアの視線が流れる先……兄と母についても、そうだった。イリス以外が顔を赤くする中、メンターの咳払いが響く。
「説明せねばならない。愛娘を、悲しませるわけにはいかないからな」
「勘当の件でございますね? お父さま。大丈夫です……信じておりますから」
エミリアは笑みを向ける。父が、そして兄と母が、力強く頷き返した。一昨日の緊張した場とは比較にならないほど、今の応接室は和やかで……やる気、あるいは熱意といったもので満ちていた。
信頼し合う家族が、困難に立ち向かうような。
熱い想いが、充満していた。
「まずは、恥を告白しよう。謝罪をしよう。我が公爵家は、お前を守ることができない。エミリア」
守れない――――そう言われて、さすがにエミリアは、首を傾げた。彼女たちはこのまま、急いで出立して帝国に行くだけである。公爵領が王子や王国の害意に晒されないのであれば、特に問題はないはずだ。
「もしも、ジーク殿下が本気でお前をものにする気ならば。すでに婚姻の手続きは、済んでいるだろう」
「えぇ!?」
(あっ)
驚きの声を上げたのは、イリスだ。エミリアは気づき、小さく息を呑んだ。
「王国は他の国より、法による統治が遅れている。他者と利害が衝突し、裁可の必要がなければ、基本どうでもいいし、どうとでもなるのだ」
「殿下は私との成婚書を手に、この公爵領に来て……私を差し出せと迫るつもり、だと」
「であろうな。そうされると、こちらはお前を差し出すしかない。仮に領から出ていた場合」
「私を探さなければならない……帝国まで、人をやって」
時間稼ぎや嫌がらせで、エミリアを探さないことはできるだろう。だが公爵領は独立の前の大事な時期であり、このエミリア探しを行うことになれば、余計な隙を晒すことにもなりかねない。
しかし。
「だがそもそも。平民ならば、貴族や王族と結婚できないのが、この国の習わしだ」
もしもエミリアとジークが「結婚不能」になれば。
「あ、だから勘当して、エミリア様を貴族じゃなくすのですか!?」
隣で声を上げるイリスに、エミリアは笑顔を向ける。
「そういうことね。タイミング的に、私が勘当されたのが早いか、結婚が成立した方が早いか、という点でもめそうだけれども……それこそが狙い、と」
「左様。そこでもめるのならば、国王陛下に裁可を願える。ジーク殿下の目論見は、潰える」
エミリアと結婚したことこそが真実だと主張するジークと、勘当した方が早いからエミリアの結婚など無効だと言うメンター。このままでは決着がつかないので、どちらが正しいかは国王が決める。そしてアイード国王は「婚約破棄に賛成の立場」。ジークの主張など、一蹴されて終わり、ということだ。
エミリアは納得し、頷いた。事情はわかった。家族の気持ちも、理解した。
「エミリア。お前をジーク殿下から守る方法は、これしかなかった。どうか、許してほしい」
「――――許せません」
だが、認められなかった。
エミリアは立ち上がって回り込み、父のひざ元に崩れる。
「守ってくださったのは、わかります。愛してくださっているのも、わかります。でも、私は……!」
我慢する間もなく、涙が零れる。
素直な……本心と、共に。
「お父さまと、お兄さまと、お母さまと! 家族でいたかった……!」
悲痛な叫びが……エミリア自身の胸を、締め付ける。彼らと家族でいられなくなる、そのきっかけは。自分がジークと、婚約を破棄したことだ。エミリア自身の、せいなのだ。
逃げられない過去の選択が、悔恨となってエミリアを縛る。
「安心しろ。お前は必ず、取り戻す」
「……………………お父さま?」
父の大きな手が、エミリアの頭に乗せられる。結った髪の上から、ぽんぽん、と優しく。
「勘当も、王子との結婚も――――オレン王国の法の問題だ」
そしてその声もまた。
優しかった。
「――――――――あっ」
公爵はつまり、こう言っているのだ。
公爵領独立の暁には。
帰ってこい、と。
「独立を、果たされた際には! 必ず、お祝いに戻ります!」
エミリアは顔を上げる。父を見上げる。
「待っている。そしてその道が、一日でも早く訪れるように……そうだな、お前たち」
濡れた瞳の先に。
「父上。軍についてはいつでも行けます。兵糧も十分だ」
「あなた。辺境の根回しは済んでおりますので」
兄と、母の姿も、映った。
「エミリア。大学の長期休みにでも、軽い気持ちで戻って来るがいいだろう」
「お父さま、お母さま、お兄さま……!」
涙が、また零れる。
先ほどと違う、勘当された夜とも違う――。
暖かな、涙が。
「ありがとう、みんなみんな、大好きです!」
家族への、愛と共に。




