04-06.〝もやもや〟の正体。
縄がほどけない――――エミリアの関心は、そこだった。ブバルディアがやろうとしている、〝エミリア本心ショー〟などどうでもいい。どうにも彼女だけが囚われたようだし、自分よりも外の様子の方が気になる。先ほどのイリス、彼女の近くにいるキスモート、夢に囚われたままの家族や使用人たち。
そしていずれ来るだろう――――ジーク王子。
(ジーク様が追いついてくる前にここを出て、帝国に向かわなくては、ならない。私は、この公爵家にいてはならない……)
眠りに落ちる前。エミリアは父メンターから、勘当を言い渡された。だが、先ほどキスモートのスキルの中でメンターは、確かにエミリアへの深い愛情を見せていた。
(私が勘当されるのには、きっと理由がある。そしてそれは、〝私が一刻も早く、公爵領や王国から出なくてはならない〟ということを意味している……! 私を愛するお父さまが、私を家族から追放するご決断をなされるなんて、これは重大!)
思い返してみれば、応接室でのメンターの顔は苦悩に満ちていた。兄のサイクルや、母のクラリスもだ。エミリアを愛する彼らが、悩んだ末に出した〝勘当〟という結論。これを無駄にするわけには、いかない……エミリアは彼らの想いを信じ、覚悟を決める。
(おそらく私は、ジーク殿下がこの公爵邸に現れ! 私に会う前に! 勘当されて国を出なければならないッ! まずは――――)
その瞳に光を宿し、スクリーンをそわそわと眺めている女……刺客・ブバルディアを睨みつけた。
(このふざけたファッションセンスの女のスキルから、逃げ出すこと。ここから出れば、たぶんキスモートの元へ戻る。そしたらあいつを倒して、みんなを夢から出せる!)
「おおっと、見えてきたねぇ。さぁて、誰からにしよう」
朧に映っていたスクリーンのエミリアの姿が、はっきりとしてくる。
(〝夢現の幻影〟と言っていた……スキルの効果は、まず夢に捕えること。そして本心の上映会、か。あいつが自分で言ってたけれど……わざわざ縛っているということは、本来この夢の中では、自由に動ける。一方、あいつ自身も縄や椅子を出したり、割と好き勝手出来る可能性が、高い)
エミリアはブバルディアや周囲の様子を、慎重に窺った。
(肝心の〝癖〟はいくつか見え始めている。まず、あの吐き戻したようなファッション。それから、その自己顕示欲の高さ。ジーク殿下への忠誠。核となるのはたぶん……他人の本心を知りたい、という心理。キスモートは本心を知るというより、本心そのものに幻想を抱いているようだった。ブバルディアが人の本心を何だと思っているのか、それが重要)
にやにやしている、メイドが。
「まずは――――サイクル様」
囁きと共に……映像を、切り替えた。木の葉散る木の下、幼いエミリアの前には、子どもだが凛々しい姿の兄、サイクル。
(え、これってまさか)
確かその光景は、エミリアが妃選定に行く直前のもの。まだ見ぬ王子よりも、確かこの時のエミリアは。
『わたし、おにいさまのおよめさんになる!』
兄に、素直な好意を抱いていた。
「んま」
(恥ずかしいぃぃぃーッ!)
エミリアは照れて、笑いそうになって、あっという間に顔が真っ赤になり……全身がムズかゆくなって、呼吸まで乱れる。汗腺すべてから汗が噴き出したかのようで、目は泳ぎ、隠れたくなってガタガタと震えた。
そして――――血の気が引いた。
「…………気づいたようだね、やるじゃないかお嬢様」
ブバルディアが、低い声で呟いている。エミリアは顔が真っ青になるのを、止められなかった。
(このスキル! 確かに本心を暴く! でもそれだけじゃない……なんだこの強烈な精神攻撃はッ! 防御できない!)
反応が異常なのだ。家族とはいえ、比較的縁遠い兄。それに対する、おそらく弱めの本心。サイクルに対する一番強い思いは、幼い頃にした先の「求婚」で合っている。それが暴かれただけで、エミリアは心が直接炙られたような、激しい反応を強制された。
キスモートに暴かれた時も、確かに羞恥はあった。だが、段違いだ。
(もしキスモートの時とは異なり、えぐい悪意を暴かれたら! 私の心はどうなる!?)
自らの心に、悶えて死ぬかもしれない。エミリアの胸に、強い危機感が宿った。
(私は勘違いしていた! 危険なのはこの女、ブバルディア! 敵はキスモートじゃない、このメイドだ! こいつに好き放題させていたら、ドニクスバレットと同じで、致命的な損失をもたらされる!)
「そうそう、いい目になってきたねぇ。確かにあたしは、ジーク殿下からあんたの足止めを承っている。あのお方の役に立ちたい。けどね」
「ジーク様のお傍にいる奴らは、全員気に食わないんだよォーッ! このあたしを差し置いてッ! 特にお前だ、エミリア・クラメンス! こんなダサい格好の女、絶対に許さないッ!」
ブバルディアが、エプロンドレスを見せびらかすように翻し、びしっとエミリアを指さしてきた。
「あたしの作った服を着ろッ! でなくば悶えて死ねッ!」
(ドニクスバレットは、ジーク殿下への忠誠心がすべてだった……ブバルディアは、違う。彼に認められたという、ファッションセンス……いや、この外に表れている本心こそが核! 人のどぎつい中身そのもの! 汚物のような人の内側を肯定するのが、ブバルディアという女! きっと私が死んで、殿下が激しい感情を見せるのならば――――こいつは例え殺されようとも、歓喜して死ぬッ!)
吐しゃ物のようだと彼女の服をなじろうとし、エミリアはぐっとこらえる。売り言葉に買い言葉は、危険だ。
(どうする。こういうやつを、怒らせるのは逆効果! 今すぐ私を殺して、始末するだけ! 時間稼ぎ……こいつの本来の目的である、時間稼ぎに付き合うしかない! けど――――)
「さて、次はあんたのお母さま……じゃないねぇ」
もったいつけるメイドを、エミリアは静かににらんだ。全身全霊をこめて、身構える。
(耐えられるの? 私、に)
「お父さま――――パーシカム公爵、メンター閣下だ」
来た。映ったのは――――。
『お父さま、私は、エミリアは幸せです――――!』
『エミリア、こんなことをしては……!』
エミリアは映像を一瞬たりとも見ていられず、必死になって下を向いた。だが、頭の中に直接光景がなだれ込んでくる。もちろん、見覚えのあるものではない。それはおそらくいつか、エミリアが抱えたことがあるだろう……強い願望。もう捨て去って久しい、しかし覚えのある〝生々しい感情そのもの〟だった。エミリア自身は、もうそんなつもりなどは、ない。父が男性として好みかと言われればそうだが、彼女はジークを愛し、その愛に破れ、変わった。だが。
過去の背徳を見せつけられ、声を聞かされ。
心が、蝕まれる。
「いい趣味してるじゃないか、お嬢様」
ブバルディアのその言葉を、聞いた途端。ぶわっと血が広がったような気がして――――鼻や口の奥から、鉄臭いにおいが広がった。べったりとした何かを、目の奥、耳の奥、あるいは手先や足先、背中や尻の下、縛られている腕や脚からも強く感じる。
(血!? 毛細血管が破裂して、血が出ている! これは――――〝羞恥〟! このむき出しの生々しい心を、ブバルディアに見られることが! 攻撃になっている!)
震えが走る。怯えではない。寒気に近かった。ただの傷以上に、一瞬〝死〟が垣間見えるような……そんな強いショックが、体の奥にまでもたらされていた。
(無理、耐えられ、ない…………)
エミリアの瞳の光が、消える。
口は半開きになり。
「はい、ここまで」
呼吸が――――戻った。
「楽しいけれど、この辺はさっき見せられちまったからねぇ。予想通りってやつだ……楽しくない」
煽るように告げられながらも、エミリアは必死に肩で息をして、呼吸を整える。
だが、今でこうだとすれば。
次は。
「あんたがさっき、見せなかったもの。あっち側はずいぶんお熱いものを抱えて、苦しそうだったねぇ?」
「やめ、て」
確信があった。
(終わる。私が、終わってしまう。それを、見られたら)
イリスへの心。エミリアの中に、その本心に対する答えはない。ただの友情のつもりである。だが、見えてはいけないものが、きっとそこにある。
それをブバルディアに見られたら。
きっとエミリアは、人として。
終わりを迎える。
「くくく、さぁ映し出せ! 〝夢現の幻影〟! 生の本心を、羞恥まみれにしてやるんだッ!」
「やめてぇーッ!」
スクリーンには。
光が、広がった。
「おい、なんだよこれは」
光の奥に、映像が流れているようである。
声らしきものも、している気がする。
だが、なぜか何もかもが。
〝もやもや〟していた。
「なんだんだこれは、見えねぇじゃねぇかァーッ! くそ、くそっ! 許せない、許せねぇ!」
ブバルディアが、暴れる、スクリーンをだんだん叩いている。
「隠すなァーッ! あたしは隠し事ってやつが、一番嫌いなんだ! 許せるものか! こんなひどいものを許せるものかッ! 絶対にぶっ壊してやる! そうだ、お嬢様の心を、まず滅茶苦茶にすれば――――」
涙を流し、口の端からは泡を吹いて、画面を叩き続けた彼女は。
振り返って。
そのすぐ傍に立つ、エミリアをようやく、見た。
「なん、で。なんでだよぉー! 縄はどうした!? いつ斬った、どうやって!?」
「…………斬ろうと思ったから、斬れた。それだけ。あなた」
斬ろうと思ったら、光の剣が出た。
彼女はそれで縄と椅子を斬った。
段に上がって。
そのキラキラとした〝もやもや〟が見たかった。
「邪魔よ」
「ギャッ!?」
スクリーン前にいたブバルディアに、右手に持っていた光の剣を雑に振るう。すると彼女は、インクのような七色の光をぶちまけられ、よろけるようにスクリーンの向こう側へと落ちた。
「ほら、そこにいれば見えるでしょう? たっぷり見なさいよ。私の本心を。生の心を――――」
エミリアが冷たく告げる。陶然と述べる。〝もやもや〟とした光景を見て、〝もやもや〟と響く音を聞いて。
愛おしそうに、もどかしそうに。
「――――私の〝もやもや〟を! 底の底まで見てみろブバルディアッ!」
より強く輝くその心を、見つめた。
「やめてくれぇーッ! なんだこれは! 人間の心じゃない!? 醜い! 美しい! こんなものを見せるな! 人の内側は、こんなに綺麗じゃないッ!」
スクリーンの奥から、絶望の声が響く。
「あぁぁあぁぁぁぁやめてぇぇぇ……ひかりが、光が、やきつく、あたまを、めだまを」
光の中のブバルディアは、しばらく震えていたが。
「アァァァァァァァァ――――――――……………………」
砂がほろほろと崩れるような声をだして。
それきり、動かなくなった。
(人間の心じゃない、か。それはそうよ。だってこれは、精霊の――――)
それは嫉妬だった。
対象は、ジーク王子だ。
理由は……彼が王子という立場で専横したから。
だがその大元は、小さな不正ではない。
王子であるというだけで。
攻略対象であるだけで。
彼女を得ることができる――――そんな存在に対する、嫉妬。
「さぁ、国を出ましょうイリス。それでようやく、あなたは私の――――」
エミリアもまた、〝もやもや〟のスクリーンの向こうへと、踏み出した。
彼女の姿が消えて。
人の夢が、終わる。




