04-03.本心。
与えられた客間に案内され、エミリアは着替え、すぐベッドにもぐりこんだ。
一人になって。
涙が、止まらなかった。
王子に不信を抱いてからも、その前も……こんなに涙したことは、なかった。
家族に拒絶されたことが。
ただただ、辛かった。
エミリアは、転生者である。だが前世の記憶を思い出す前のことも、当然しっかり覚えている。二人分の人生の記憶の中でも、パーシカム公爵一家との思い出は、かけがえのないものだった。王妃教育で王都住まいとなって、そのまま学園に入ってからは疎遠であった。しかしそれまでのことがなくなったわけでは、ないのだ。
父は忙しいというのに、ずいぶん自分を構ってくれた。よくエミリアを抱えて山林に出かけ、自ら剣を振るって猛獣や魔物を倒し、護衛を青くさせていた。護衛らが自分らに任せてほしいと懇願すれば、「こうしないと、誰かが怪我をするところだった」とうそぶく始末だ。だが後から振り返って見れば、エミリアはその言葉通りに、父の往く道では怪我人を見たことがなかった。彼は領民の苦労や訃報にたびたび心を痛め、少しでも誰かのためになればと、いつも懸命だった。エミリアはそんな父を間近で見て、育った。
兄もまた、そうだった。そういえばエミリアが学園に行く折に、どこかの冒険者団に弟子入りしたと聞いた記憶がある。もしかすると、イリスの母が取り仕切る、烈火団だったのかもしれない。自分の代で公爵領を独立に導き、皆によりよい暮らしを与えるんだと、いつも息巻いていた。そんな兄が、エミリアは誇らしかった。公爵領が独立したら、ジークの妻となった自分とは敵同士なのでは? とも思ったが。兄サイクルのことは、素直に応援したかった。遠い未来では、手を取り合えれば……そんなふうに漠然と、夢見ていた。
母は厳しかったが、それ以上に優しかった。絶対に怒らない。あの人が声を荒げていた記憶は、一回だけ。ジーク王子と婚約になりそうという頃、母クラリスは王都のエミリアの元へ飛んできた。そうして根掘り葉掘り、どこか怒った様子でジークのことを聞いてきて……最後に。「幸せにおなり」と涙ぐんでいた。あの澄ました顔の下で、実は自分への愛が溢れているのだと――――エミリアあの時、そう確信した。
幸せな家族の、記憶。
大事な家族の、絆。
それが。
(私が、何を、したって…………ちが、う)
壊れて、しまった。
(――――私が、やったんだ)
ほかならぬ、自分の手によって。
(私が婚約破棄なんてしなければ! ジーク様を罠にはめようとしなければ! あの人に嫉妬して、愛を疑ってなどいなければ……!)
ぐるぐると、思考が回る。布団を抱きしめて、かき抱いて。不意に、笑いが漏れた。
「ふ、ふふ。忘れていたわ……そうしたらもしかして、今頃。お父さまたちとは、敵同士」
公爵領の独立。これは乙女ゲームでも、定められていたものだ。悪役令嬢エミリアが、ヒロイン・イリスに嫉妬し、彼女を貶め……断罪され、婚約も破棄される。これに怒った公爵は独立を宣言。王国に宣戦布告を行って……国は、荒れる。
ヒロインと攻略対象のドラマが描かれる裏で、公爵家は滅亡。悪役令嬢は追放され、国の外へ一人で旅立つのだ。
「私は、どうすればよかったの……どうすればよかったっていうの! ジーク様を失った上に、家族、とも。もうここにも、帰ってこれない、なんて」
すべては、運命の通りに動いていた。もう、そうとしか思えなかった。ヒロインと仲良くなって、回避したはずの破滅のシナリオが。ぐるりと回って――――エミリアを、取り囲んでいる。
彼女自身の、選択によって。
「教えてよ、イリス……ねぇ、イリス……イリ」
呟きが、途絶える。息が、詰まった。エミリアの脳裏に浮かんだのは。
親しげな……イリスと、キスモート男爵。
ジークを唾棄していた彼女が。
明らかに心を、許していた。
(あの子が、キスモートルートに、入っているなら。再会、した今。ひょっとしたら〝偶然〟が重なって――――結ばれ、て?)
もしもそうなったら。イリスはきっと、キスモートの領地へと行くだろう。彼の手を取り、エミリアの元から去って。
(そしたら、私は、一人で。帝国に、たった一人で。こんなの、破滅……ゲーム通りの、破滅……あんまり、あんまりよぉ)
涙の奥から、さらに涙が溢れる。
「ぐぅうううっ、ふぐぅぅぅぅ……!」
嗚咽まで、漏れて。それを布に、押し付けて。
エミリアは。
目を、見開いた。
「―――――――せめて、イリスだけでも奪って!」
起き上がった、途端。
(あ、れ?)
体が、ぐらりと傾いだ。
(なぜ、あいつが。どうして、ねむけが)
しかも、客間のドアが開いている。
そこにいるのは。
昼間見た……生々しい、どぎつい色の、メイド。
(あらがえ、ない。私はイリスを、イリスを連れて、ここから、逃げなく、ては)
どさり、と体がベッドに落ちる。
足が、手が、指が動かない。
鼓動がおさまって。
呼吸が静まり。
瞼が降りて。
(逃げ――――――――)
「さぁ、お嬢様。本心を、さらけ出しな」
耳が最後に、何かを聞いた。
☆ ☆ ☆
目を開いてすぐに。
夢だ、とそう思った。
気持ち悪い。そう、とても気持ち悪かったから、だ。
エミリアは見たこともないドレスを着て、屋敷の廊下を歩いている。公爵家だが、時刻はもう昼間だ。しかし空腹は特に覚えず……エミリアの足は、ただ迷いなく前へ、廊下の奥へと進んでいる。
〝操られている〟、とそう思ったが。それは覚えのある、感覚ではあったが。抵抗、できなかった。違和感が、強くて。馴染みが、浅くて。
(今日はもう、ここを出ないといけないのに……でないと、ジーク殿下が来てしまう。お父さまに、ご迷惑が――――あっ)
父に勘当されたことを思いだし、エミリアは心が沈む。しかし表情は動かず、どうにも体が言うことを効かない。
<どうか安心して。人の本心は、常に優しい。恐れないで、どうか>
どこかで聞き覚えのある、声らしきものが、頭にすっと入った。エミリアは数度瞬きし、そのまま歩み出す。迷うことなく真っ直ぐ、サロンに向かった。
扉を開くと。
家族が、いた。
「おとう、さま」
声が漏れる。緊張と不安が、滲み出て。胸の奥が切なく、ぎゅっと締め付けられるようで。ソファーから立ち上がろうとする、彼の赤い瞳を見ていると……鼓動が早くなり、首筋から耳にかけてが熱くなり、濡れたような息がほうっと出た。
「――――――――お慕いしています、お父さま」
(…………えぇぇぇぇええぇえぇ!? 何言っちゃってるの私ぃ!?)
エミリアは混乱する。行動と、口から滑りだすものが、合わない。夢だと思えばその通りだが……嫌に生々しい。
生々しいと言えば。なぜかソファーに、あのメイドが座っている。だが、どうにも人数が、足りないような気がして――――。
「おお。愛しているとも、エミリア」
視線が抱擁によって、遮られた。力強く抱きしめられ、安堵と……失意が強くなる。確かに愛情を感じた。だがそれは恋慕ではなかった。それが思い知らされ、胸の奥がぎゅぎゅっと締め付けられる。
「お父さま、お願いです。私を女として、どうか」
「それはできない。お前は魅力的だが、私の趣味ではない」
「ああ、そんな! ならせめて、娘として抱きしめて! もっと強く! お父さまを感じさせてください!」
「しようのない娘だ。ああ、なんていじらしく、愛おしい……」
(なんじゃこりゃああああぁぁぁ!? やめて羞恥で死ぬ、死ぬーっ!)
エミリアは感情と剥離した叫びを、心の中で上げる。
「エミリア、可愛いエミリア。僕は君のために、国を作るよ……」
「エミリアぁぁぁ! いて頂戴、私の傍に! お嫁になんて行かないでぇ!」
「お兄さま、お母さま!」
家族四人が、固く抱きしめ合った。エミリアの胸には、幸福と息苦しさと熱が湧き。
(違う)
腕の隙間から見える、メイドを見て。あるいはここにいない、二人を思って。
その胸の内で、冷静に呟いた。
<違わないとも。これが本心。優しい人の心。最初は互いの想いが、合わないかもしれない。でも時間が経てば……そう、あと一日。あと一日、君は眠り続ける>
また声が、聞こえる。
暗くて、落ち着いた感じの。
エミリアは。
(――――――――違う!)
目を見開いた。
(そうだ、キスモート……〝ジーク殿下の紹介〟で来たと言っていた、キスモート! これはおかしい! こんなのはおかしい! 今のがみんなの、本心だとしても!)
体が動く、感情が一致する。不思議な光が、静かにエミリアから漏れだす。
彼女は〝精霊の宿ったもの〟を取り込み、そのスキルを使うことができる。ならばもし。そうもしも、スキルの使用者が、彼女の心に入り込んだら――――?
(私の本心は――――〝もやもや〟はどこだ! イリスはどこだ!)
エミリアの胸の奥に。
小さな煙のような。
炎が灯る。
「これが私の本心だ!」
<なっ!? なぜ動ける! この私の、スキルの中で!>
なぜかと言えば、それはきっと。
エミリアが、この短い時間で。
〝借り物〟から〝本物〟に。
近づいたからだ。
「イリスを出せ! キスモートッ!」
家族を押しのけ。
エミリアは、立ち上がった。




