04-02.私の家族。
不整脈で死にそう……頭の片隅でそんなことを考えながら、エミリアは事情の説明を終えた。案内された応接室で、彼女の心は千々に乱れている。
まず、正面には大好きな父親・メンター。物憂げな表情も実にセクシーだ。彼の隣には、兄のサイクル。憔悴した顔は見ると心配で胸が苦しくなる一方、研ぎ澄まされた美の圧力も感じて……心臓が高く跳ねそうになる。泳いだ視線が母クラリスに向けば、自然と背筋が伸びた。完璧な所作に身が引き締まる思いで、彼女の存在はエミリアの意識を現実に繋ぎとめていた。
そして反対側を見れば――――なぜか不快な男爵・キスモートが同席している。彼の後ろには生々しい色のメイドが待機していて、目にすると気持ち悪い。おまけに、キスモートの隣にはイリスが座っている。納得がいかなかった。なぜ自分の隣ではないのかと、イリスを目にするとつい、エミリアは憤慨してしまう。
その上で。
部屋全体が……奇妙な緊張感に、包まれていた。エミリアの家族がどうにも、よそよそしいのだ。
(私が緊張し過ぎなのも、あるかもしれないけれど……いやこれはしょうがないし。お父さまの前で、しかも久しぶりにお会いするのだから。でも、そうじゃないわね、これは)
エミリアが話を進めるに従って、彼らの顔は曇った。そしてたまに、エミリアやイリスの方をちらちらと見て、視線を落としていた。
明らかに、苦悩していた。それを言い出せない……そんな顔を、していた。
(やっぱり……ご迷惑、なんだ)
エミリアは俯き、膝の上でスカートの裾をぎゅっと握り締める。もし家族に……メンターに再会するときがあればと、この日のために用意したドレス。豊かで微細な刺繍はしかし……誰にも褒められなければ、ただ目にうるさいだけであった。
「ぉ……お兄さま、お加減は」
「だいぶ良い。お前の気にすることではない、エミリア」
明らかに顔色が悪い兄・サイクルに、突き放すように返答され……エミリアは押し黙る。間が持たずに声をかけてしまったことを、後悔した。優しい兄だったはずなのに、と呟きを喉の奥に押し込め……ここ数年会えなかったサイクルから、視線を外す。
「お母、さま。刺繍のないドレスというのは、最近の流行なのですか?」
「辺境の事情によるものです。もう少し勉強なさい、エミリア」
「っ。はい、申し訳ありません……」
いたたまれなくなって話題を振った母クラリスに、ぴしゃりと言われ……怒られたと思い、エミリアは顔を下げる。様子を窺うように、彼女の隣の男性……メンターに目を向けた。
「お、父、さま」
「先の話については、追って返答する」
硬い声に恐る恐る視線を上げて見れば、表情の険しいメンター。エミリアは嗚咽のような息を呑み込み、目元が熱くなるのを堪えた。出迎えの時のような笑顔が見られないのが……思う以上に、辛くて。
「部屋を用意してある。休んでいきなさい。今日はもう遅い。」
メンターが立ち上がる。兄、母もそれに続いた。エミリアはそれを、見送ることしか、できない。
「お待ちを、公爵閣下!」
部屋の入口に向かう彼らが、イリスの声で足を止めた。
「…………何かね、イリス嬢」
応じる父の声は、どこか不機嫌そうに聞こえる。エミリアはどんなやりとりがされるか想像がつかず、急速に不安を覚えた。
イリスに何も言って欲しくない、父の機嫌を損ねてほしくない……そう思う一方。なんでもいいから、少しでも気分が上向くことを。優しい言葉を。都合のいいことを……聞きたく、なっていた。
「ジーク王子は、すでに強引な手を使って、エミリア様を得ようとしています。追手を放ち、自らも聖剣を持ち出して、暴力的な手段で迫ってきました。使者もまた、攻撃的なスキルで拘束しようとしてきており、非常に危険です。馬での移動と考えると……明日明後日には、この公爵領に辿り着くでしょう」
「であろうな。それで?」
「次はどれほど暴れるか、想像がつきません。街や貴家にご迷惑が掛かることも考えて……私たちは、一刻も早い出国をしようと考えています。ですので……」
イリスの告げた内容は、二人で相談して決めていたことである。しかし。
(こんな気持ちで、お別れ、なんて)
暗澹とした気持ちになり、エミリアは奥歯を強く噛んだ。
「あいわかった。明日、早い時点で回答しよう。旅に必要なものも、言ってくれて構わない。出来る限り、手配する」
事務的な返答。感情を抑えたような声。早く出て行けと言わんばかりに聞こえ、エミリアは勝手に気分が落ち込んでいくのを、止められない。
そこへ。
「ありがとう存じます。その」
すがるような、イリスの声が舞い込んだ。
「おつもりだけでも、伺えませんか? 何をされる、のか」
「いろいろある。ひとまずイリス嬢は、安心してほしい。それから――――エミリア。確かに伝えるのは、早い方がいいな」
〝安心してほしい〟ということは……イリスの実家は、守ってくれるということだろう。エミリアは安堵した。ここに来た目的は、達成されたのだ。家族が冷たいのは辛いが、心底ほっとして。
「なんでしょう、お父さま」
きっとエミリアへの言伝も、いいものに違いない……そう期待して、顔を上げたのだ。少しの笑みを、浮かべて。
「勘当だ」
顔が、凍り付いた。
表情だけではない。喉も、肺も、心臓も。
動かなくなったような、気がした。
「そんな、勘当って、いったい……」
「言葉通りの意味だ、イリス嬢。正式には、明日改めて伝える」
疲れているのか目頭を指で押さえながら、メンターが退室する。吐き捨てた彼の言葉は、冷たくて。兄も母も何も言わず、続いた。
(まって)
声が、出ない。
(ねぇまって、おねがいまってください、いや)
ぐるぐると、想いだけが回る。
扉を見つめる目玉も、ごりごりと回っている気すらして。
その視界に。
「お辛いですね。その御本心」
自分よりずっと顔色が悪そうな……男爵の顔が現れた。ぬるりと出てきた彼は、不気味で。だが見ても何も。
心が、動かない。
「きっと……報われるでしょう」
何か言っている。うるさい蚊のようだ。彼が今、素早く手を伸ばして潰した、小さな虫のようだ。早くいなくなって欲しい。消えて欲しい。
そんな思いだけが、渦巻く。
「む……これは蚊ではないな。では、我々も失礼。いくよ、ブバルディアくん。イリス、また」
「はい、キスモートお兄さん」
扉から目が離せなかったエミリアは。自然、男爵とメイドを見送る形になった。
「エミリア様……」
視界は遮らず、隣から。優しい声が、聞こえる。
「寝るわ」
「でも」
だがその優しさが届けられるのは、少しだけ……遅かった。あなたが余計なことを聞かなければ――――そんなことを、口走りそうになって。
(もう、嫌……)
エミリアは、口も目も閉じていたくなって。
足早に、応接室を出た。
「エミリア、様……」
心配そうな、イリスの声に背を向けて。




