04-01.嫉妬よりも、胸を焦がすもの。
嫌なものを見た――――実家の屋敷、その玄関口にたどり着いたエミリアの感想は、そんなものだった。
公爵領の領都は、高地にある。なだらかな山道を進み、エミリアとイリスの乗る精霊車は、午後遅くに市壁までたどり着いた。街中は車が走れないとのことなので、門で預け、迎えの馬車に揺られることしばらく。揺れで尻が、音で耳が痛くなり始めた頃、やっと屋敷が見えてきた。馬車を降りれば、ずらりと出迎えの使用人たちが並んでおり――――そこでエミリアは。
(なにあれ……)
奇妙なものを二つ、見た。
一つは、やたらと派手な格好のメイド。黄色や桃色の、つぎはぎだらけに見えるエプロンドレス。カラーリングが生々しい感じで、不気味だ。
そして彼女の向こう。玄関の階段脇。そこにしゃがみ込んでいる……男がいる。別に、しゃがんでいるのはいい。上着の長い裾が地面についており、そこは気になったが、そうではない。
「眠りを妨げるものなんて、存在してはならないんですよぉ…………蚊、蚊、蚊。コイツラの存在を、我々貴族は許してはならない。一匹残らず、丁寧に潰さねばならない……それがこの私の、使命」
その男はぶつぶつと呟きながら、空中を飛ぶ何か、小さな水場に浮かぶ何かを、手でつまんでは……潰していた。異様である。恰好からして、貴族の縁者だろうとはみられるが……親戚ではないと、エミリアは思いたかった。
エミリアとイリスは、イリスの実家・フラン男爵家をジーク王子の魔の手から守ってもらうため、パーシカム公爵家との交渉にやってきた。交渉といっても、これから帝国に留学するエミリアに、差し出せるものはない。むしろ王子との婚約を勝手に破談にしてきたのだから、損失を補填せねばならないくらいである。だが……やらねばならない。お願いを聞いてもらわなければ、ならない。理と情を説いて、必ずや。
そう意気込んで、久方ぶりに会う家族の待つ屋敷へ、お腹が痛くなりそうなのを堪えて……エミリアはやってきたわけだが。
妙な男に、出鼻をくじかれた。
「ブバルディアくぅん! 君もそうは思わないかい!? 蚊は絶滅させるべきだ!」
急に男が立ち上がり、大きな声を上げた。エミリアもメイドたちも、ビクリと体を震わせる。
「それはどうでもいいですが、ご主人様。キスモート様。男爵様。注目されてます」
生々しい色のメイドが、蚊の絶滅を訴える男に答えている。最悪なことに、この二人は組なようだ。男爵ということは親戚ではなかろうが、客だとするなら一秒でも早く、帰って欲しいところだ。エミリアは正直、泣きそうだった。
(使用人が私たちを案内しないってことは、出迎えにお父さまあたりが来るんだろうけど……それならおいでになるまで屋敷に入れないし。こんな、イリスの情操教育に悪そうな人たち、早く遠ざけたい――――イリス?)
エミリアがふと、隣を振り返ると。なぜかイリスが、目を輝かせている。
「キスモートお兄さん! どうしてここに?」
イリスが嬉しそうな声を上げており、エミリアは気分が悪くなり、卒倒しそうになった。実兄というわけでもなかろうが――――背が丸くてヒョロっとした、顔色が悪くてクマが濃い、こんな不気味な男を。あの輝かしいアイドルが「お兄さん」などと呼ぶ……悪夢だ。吐き戻しそうである。しかもイリスは彼に駆け寄り、その腕をとった。
「おお、イリス! 見違えましたよ……美しくなって。もう17でしたか?」
「まだ16ですよ。それで?」
「ああ、ジーク殿下のご紹介で、安眠セラピストなんてものをやっていましてね。こちらのご子息……サイクル様の、不眠治療をしているのです」
蚊殺し男爵は、実兄の関係者だった。不眠治療ということは――――。
「といっても、まだ始めてしばらくといったところでして。ご本人を寝かしつけながらも、こうして睡眠環境を整えるのに忙しいのです」
「蚊潰しは、いつもの趣味じゃなかったんですか?」
「実益を兼ねています」
屋敷に逗留しているということ。否、エミリアが気になっているのは、そこではない。
(距離が近い、ちかぁーい! 手を握るな、にぎにぎするなー!?)
イリスと、その男爵が妙に親しげである、という点だ。
「あ、エミリア様。ご紹介いたします」
しなくていい、という返答をぐっとこらえ、エミリアは引きつった笑みを浮かべて待つ。
「こちら、モス男爵。ただ領地や爵位より、キスモートって名前の方が有名かも?」
「爵位は継ぎましたが、領地は義理の両親がまだ見ていますからね。キスモート・キークォーツと申します」
「で、あちらがエミリア様です。パーシカム公爵家のご令嬢」
「おお、サイクル様の妹君の! 公爵閣下にも、大変お世話になっております。どうぞ、よしなに」
男爵が深々と頭を下げた。それを見て、エミリアは。
(あぁーッ! 思い出した! このモブ顔男爵、攻略対象ゥーッ!)
前世で見た乙女ゲームの記憶に、思い当たるところがあった。
キスモート・キークォーツは情けない男である。妻には逃げられ、子もいない。婿で入った男爵家の義理の両親には気に入られ、爵位は継がせてもらったものの、本人には領地経営の才もない。せめて後継者を設けるためにと、嫁探しに王都へ来たところ、ヒロイン・イリスと〝再会〟する。年の離れた幼馴染だった二人は次第に惹かれ合い、彼と結婚したイリスはその才気で男爵領を切り盛りする……というエンディングだった。
強烈に貧乏くさいキャラクターの裏で、超絶な苦労人であり、しかも劇中最高の癒しキャラであるキスモートは、意外な溺愛攻略対象として人気があった。
(でも……そうだと、したら。まずい、これはまずい……!)
エミリアは危機感を抱いていた。〝もやもや〟がマグマのように、胸の奥でぐつぐつと煮立っている。
肝心なこと、それは……ゲームでの二人は、こんなに仲が良くない、という点だ。王都での再会時はもっと余所余所しく、偶然街で出会うのを繰り返すうちに、運命を感じるようになっていく……そんな二人なのである。
(ルートに、入っている!? ハッ! だからイリス、ジーク王子が好きじゃないって言って――――)
状況証拠が揃いつつある。最悪の展開だと……エミリアは血の気が引く思いだった。
「……エミリア、様?」
当のイリスが、きょとんと小首を傾げていて。その可愛らしい仕草の下で……二人の腕と手、指が絡まっていて。
〝もやもや〟に――――どす黒い炎が、点きそうだった。
「ぁー…………よろしく。エミリア・クラメンスよ」
エミリアは完璧な笑顔を作り、一部の隙も無い姿勢で相対する。こいつは敵だと……魂の奥で、囁きながら。
その時。
「待たせてすまなかった、エミリア」
朗々とした声が響き渡り、開け放たれた大扉から紳士が現れた。
(お父さまだ――――!)
エミリアは一転、浮かぶ喜色を表情の下に隠した。胸の奥の炎は消え、忙しく別の暖かいものが再点火されている。
紳士がゆっくりと、階段を降りてくる。短い銀髪のオールバック、切れ長の瞳は赤く、口元と顎には整えられた髭。刻まれた皴さえも、彫刻で掘られたような美しさ。前世の自分が彼を見てきゅんとしそうになるのを、エミリアは必死になって抑え込んだ。
(お、推しが父親、なんて――――緊張で声が出ないっ! こんな旅装で前に立つなんて、恥ずかしすぎる!)
エミリアは見事な淑女の礼をとって、彼が近づいてくるのを待つ。抑えているつもりではあるが、心臓はバクバクと鳴って、顔は熱くて真っ赤だ。大きくゆっくりと息をしていないと、そのまま飛び出して、抱き着いてしまいそうであった――――娘だから許されるんじゃないか? などと自分に言い訳をして。
「顔を上げておくれ、エミリア。それから、そちらが?」
「あっ。フラン男爵の娘で、イリス・クロッカスと申します。公爵閣下におかれましては、いつもお世話になっていると、父母から」
「世話になっているのはこちらだ。君とはぐっと小さい頃以来だな。改めて、自己紹介しよう」
エミリアはゆっくりと顔を上げる。少しは顔の赤みが引いたかと、思ったが。
「パーシカム公爵家当主、メンター・クラメンスだ。よろしく」
イリスが綺麗な礼をとっている。キスモート男爵も礼をし、使用人たちは頭を下げて控えていた。だがエミリアは彼らが、ほとんど目に入っておらず。胸に手を当て、優雅にほほ笑んでいる父・メンターに、視線が釘付けになっていた。
ジーク王子のことは、愛していた。だが誰が一番好きかと言われたら、それはエミリアにとって――――父親、メンターその人なのだ。
それは離れていて、親子として交流してこなかったからこその、前世から引き継がれた想い。
背徳的に熟成された感情が。
〝もやもや〟を塗り潰した。




