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03-09.目指す先は。

 使者、ドニクスバレットらが去って。

 人質になろうとした娘を叱る父、自らを犠牲にしようとした父に怒る娘。そんなやりとりと、抱擁を暖かい目で眺めた後。


「申し訳ありませんでした、フラン男爵」


 エミリアはズライトに向かって、そう切り出した。


「私は勝手なことをした。使者を突き返し、貴家を危険に晒しました」

「そんな、エミリア様が謝ることなんて! あの約束野郎が……!」


 イリスが、ズライトの隣で慌てている。だが当の男爵は、首を横に振った。


「イリス、そうじゃねぇだ。エミリア様、謝罪を受け入れます」

「お父さん!?」


 イリスを尻目に、エミリアは頷き、再び口を開く。


「できる限りのことはします。聞けば、男爵家は我が公爵家と浅からぬ縁だとか。ならば、フラン男爵家当主の身柄を、〝王命ではなく、王子が勝手に〟要求したことを父に伝え、動いていただきます」

「政治のことはわからねぇ。こっちでも相談はしますが、お頼み申しげます。爵位をお返しして、昔みたいに公爵領の隅っこに戻っても……困ることはねぇんで」

「そうなられては、公爵家側が面倒なのでしょう。後で人がお戻りになったら、誰か公爵家に向かわせてください。手紙は書きます」

「んだ。何から何まで、助かります」


 エミリアの実家、パーシカム公爵家は……長くオレン王家と敵対している。正面からやり合っているわけではなく、大きくなり過ぎた公爵家が独立しようとしているのだ。王国としては、独立されると何のうまみもないため、反対の姿勢である。だが公爵家側は、もう強引に独り立ちできるくらいの力をつけていた。

 この点を踏まえ、エミリアは公爵家に男爵領を守らせるつもりである。ジーク王子の実家に対するちょっかいを、防ぐ目的だった。普通の家なら王家を恐れて嫌がるところだが、彼女の実家は事情が異なる。そしてパーシカム公爵家の方は、ジークの力ではどうにもできない。フラン男爵家さえ守ることができれば、あとの憂いはないのだ。


「んで、こっからは親として言わせていただきます」


 ズライトが言って、姿勢を正している。少しの汚れがついた紳士の姿は、なぜか誇らしげに見えた。


「あなたの御英断により、娘のイリスの命は、きっと守られた。私を解放させなければ、この子はどこかで、過ちを犯したでしょう」


 イリスをちらりと見れば、彼女は微妙に視線を逸らしている。ズライトを連れ去られたら、ドニクスバレットに夜襲することくらいは考えていた……そんな顔だ。


「御礼申し上げねばならないところ、不躾なお願いにございますが」


 ズライトが。イリスの父が。

 堂々と。あるいは切々と。

 深く頭を、下げた。


「どうか、どうか。イリスをよろしくお願いいたします。エミリア様」

「お父さん……」


 ほんのり顔の赤いイリスと、少し薄いズライトの頭頂部を眺めて、エミリアは笑みを浮かべた。


「…………私だって、イリスに守られてるの。一蓮托生よ」

「お聞き届けいただき、ありがとう存じます」


 ズライトが頭を上げる。とても満足そうな顔で……エミリアはすっと、胸が暖かくなるのを感じだ。

 同時になぜか、〝もやもや〟が膨らみ――――。




「――――聞いたわよ」




 突然、謎の声に割り込まれた。見れば柱の影などに、何人もの人間が身を隠し、こちらの様子を窺っている。そのうちの一人、筋骨隆々とした女性が進み出て……エミリアのことを、じっと見つめた。


「なぁにがあったか知らないけれど、あんたがイリスを託すなんて! というかあのイリスが惚れるなんて、どんなすごい男が――――」


 女性が息を呑む。




「…………もしかして、おん、な?」




 指を、差された。エミリアは旅装で、下はスカートではない。髪もしっかりまとめて、帽子の中に入れっぱなしだ。化粧もしていないし……なんなら、イリスの方が女らしく見えるのではなかろうか。


「パーシカム公爵家の娘、エミリア・クラメンスです。イリスの……お母さまかしら?」

「しかも公のお嬢さん!? なんてこったイリス! とんだ大物をたらし込んだねッ!」

「お母さん!? いい加減にしてッ!」


 イリスが割って入る。彼女の母だという女性は、なぜか豪快に笑ってイリスの背中をばしばしと叩いていた。


(随分な女傑でらっしゃる……というか、私)


 抱擁を交わす、親子三人を眺め。


(なんでイリスの恋人枠みたいに見られたの……?)


 エミリアは小首を傾げた。



 ☆ ☆ ☆



「へぇー。それでわざと逃がしたってのかい?」


 広い食堂に招かれたエミリアは。食事ついでにイリスの母・レッカと差し向って話をしていた。冒険者風の十数人の男女が、二人の様子を別のテーブルから窺っている。イリスとズライトも、その中だ。


「ええ。始末すれば時間を稼げますが、使者が戻ってこないとなれば、次は軍勢が来ます。ですが遅れても使者が戻れば、少しの時間稼ぎができる。精霊を失った主人を連れての帰還ですから……相当日数がかかるでしょうし、ね」

「その間に、パーシカム公に渡りをつけようってことかい。公に兵を回してもらうにも、時間がかかるしねぇ」


 レッカが感心したように言う。彼女は皿の肉をフォークでつつき回し、無作法を気にせずに口の中へ放り込んでいた。


「なるほど、さすが公の娘……王妃になるところだった女、だ。お天道様から見てるみたいに、状況がよくわかっている」


 エミリアは褒められて――――いい気はしなかった。どうしても目を伏せてしまい、気にしていることが顔に出てしまう。身勝手に王妃の道から降りたことは……彼女の胸の奥に、くさびを刺されたかのような痛みをもたらしていた。


「娘もダンナも無事だったことに、納得だ。この恩義は――――忘れない」


 明るく穏やかに言われ、エミリアは顔を上げる。


「レッカ、さん」


 女傑の顔は、真剣だった。姿勢はリラックスしていたが、目を見るだけで強い意思と、本気が窺える。


「我がパーティ・烈火団は、エミリア・クラメンスをその一員と認める。あんたが困ったとき、必ず助けになろう。結構どの国にも団員がいるし、頼ってくれて構わない」

(え。そんな大冒険者団だったの……? イリス一家、いろいろと謎が多すぎる……ヒロインの実家とは、とても思えない)


 ズライトが男爵家の当主なら、レッカは冒険者団(パーティ)のリーダーであった。精霊教を基盤とした〝冒険者〟という制度は、ならず者たちの受け皿ともなり、どの国でも定着している。それでも、国を股にかける集団というのは、非常に珍しいはずだ。


「じゃあ王国の方はいいとして。二人はこのまま、帝国に行くのかい?」


 一点して、レッカが軽く尋ねてきた。エミリアは少しだけ思案し、首を横に振る。


「お父さまに直接お話してから、参ります」

「とんずらしちまう点については、どう考える」


 この〝とんずら〟とは。ジーク王子絡みのトラブルを残したまま、二人が国外に逃げることを指しているのだろう。エミリアはそう解釈し、少しだけ眉根を寄せた。


「私たちが王国に留まれば、問題は激化します。一方、帝国に行けば状況が複雑化し、ジーク殿下が打たねばならない手が広がる。公爵家を脅しつけても、もはや意味はなく……」

「王家の頭ごなしに、外国に渡りを付けるのも難しい。そうこうしているうちに、国王陛下からお叱りを受けてとん挫、か?」

「狙いは、その通りです」


 アイード国王とカルメリーナ王妃は、ジークとエミリアの破談に賛成である。ジーク王子がエミリアを取り戻そうとする、あるいはイリアを害そうとする動きが大掛かりになれば、これを止める立場にあった。今現在何もしていないのは……ジークが泳がされているから、である。

 しかし。ジークが追い詰められ、派手な動きをするまでの間の対処は、自分たちでやらなければならない。でなくば、家族から犠牲が出ることも、あり得るのだ。先の使者・ドニクスバレットとのやりとりを思い出し……エミリアは、気を引き締めた。


「だが、帝国があんたたちの身柄を、王子に引き渡す可能性は?」

「私はともかく、イリスは手放さないかと。あそこは……」


 エミリアは記憶の底から、帝国のことを掘り起こす。正直かの国については、転生してから大した話が聞けていない。だが乙女ゲームの第二作目の舞台が帝国であり、彼女はその話をいくらか思いだした。


「スキル至上主義の国、ですから」

「違いない。だからあんまり、行かせたくなかったんだがね……」


 レッカが心配そうに、ため息を漏らしている。確かに〝万才の乙女〟イリスが行けば、祭り上げられる可能性すらある。スキルの優劣によって人の価値が決めつけられ、職や身分、皇位継承権すらにも影響するらしいのだ。


「むしろ、〝無才〟だというあんたの方が心配だ、エミリア。大丈夫なのかい?」


 予想外の言葉をもらい、エミリアは息を呑んだ。


「才能身分制度なんでしたっけ。ですが、外国の身分を否定したりはしないでしょう」

「そりゃそうだ。差別はされるがね」


 こともなげに言われ、エミリアは若干、不安になる。前世でも今世でも、〝差別〟というのは身近ではなかった。だが王国でも平民と貴族は大きく扱いが違うし、帝国ならそれがスキル差によって出るであろう。もちろん、エミリアは帝国では差別される側、だ。


「差別っても、そこまで酷いことにゃならないはずだが……あたしが心配してるのは、そこにいって何かやりたいことができるのか、ってことだよ。まぁイリスはいろいろあるさ。王国より帝国の方が、研究は盛んだ」


 レッカが一息に言い、盃を持ってぐびり、と中身を喉に流し込んでいる。次の質問の予想がついて、エミリアもまた、生唾を飲み下した。


「あんたはどうなんだ、エミリア」

「私は――――」


 〝わからない〟と答えそうになって。

 その目の端に。

 イリスが。

 映った。


「イリスの助けに、なりたいです」



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