03-08.約束破り。
「約束が約束が約束がこれでは果たせないッ! なんてことをするんだおのれ約束破り! お前なんて人間じゃねェッ! あぁあぁっぁぁ、殿下違うのです殿下お約束はお守りします殿下ァーッ!」
エミリアの光の剣で鎖を破壊され、ドニクスバレットが喚き続ける。
だが天を仰ぎ……突然彼の錯乱が、止まった。
「ハッ! お前たち、抜剣ッ! そのままフラン男爵をお連れしろォ!」
「「はい、ドニクスバレット様!」」
「そして動くなサルどもッ! 男爵は〝生かして連れて来い〟とは言われていないッ! わかったら近づくんじゃねェー!」
(しまっ!?)
呆気に取られている間に、男爵が従者の腕に拘束される。細身の剣が彼につきつけられ、皮膚を突いて少しの赤を流させていた。
(どうする……聖剣のスキルで、こいつらを――――イリス?)
ふと見た、イリスの顔が、目が。
不敵な笑みを浮かべいて。
据わった目をしていて。
エミリアはその顔に……見覚えが、あった。
ある時、イリスが連日徹夜をして、何かを書き上げていた。それは後に「植生と精霊の関係について」という原稿――ジークが掠め取って、自分の手柄にした――だとわかったが。途中、何かに詰まったのか、イリスが何時間も悶えて悩んでいることがあった。だがある時ふと、イリスは今と同じような凄絶な顔をして。
「やっとわかりましたよ」と、そう呟いたのだ。
学会を唸らせる原稿が生まれたのは、その1時間後のことだった。
「それは解釈だろ? ドニクス」
イリスが、煽るように、あざけるように言う。ジークの言葉を捻じ曲げていると、ドニクスバレットを責めた。
「なんだと無礼ものがーッ! この私が、殿下の御言葉を違えているというのか!」
「父が死んでもいいというなら……違えているとも。いいか、貴様はこう言ったんだ」
名前を間違えられ、冷静さを失った彼に。
イリスが、畳みかけた。
「『フラン男爵家当主ズライト・クロックスは、至急王都に上がられたし』。わかるか? 我が父が自ら王都に行かなければ! 貴様の使命は果たされない!」
「ウワーッ! 殿下殿下お言葉を私は果たします使命を果たします必ずゥーッ!」
ドニクスバレットが、また錯乱する。エミリアは半歩、踏み出したが。
「動くなって言ってんだよォーッ! 死ななきゃいいんだろう!? その体を馬に括りつけて、生きてるギリギリで連れていってもいいんだぞ!?」
(ダメか……せめて、あっちの二人の注意を、男爵から逸らせることができれば)
光の剣の、その柄を握り締め……エミリアは慎重に、チャンスを待つ。
「いいわけあるかよ。お父さんは、わたしを呼び寄せるための人質だろう? あんた、ジークの言葉をそのままなぞろうとするだけで、ひょっとして何も考えてないんじゃないか?」
イリスが再び、ドニクスバレットを煽った。
「ジィィィィク様を呼び捨てにするなーッ! だったらお前も、この場でバラバラにしてェ!」
「わたしに手を出さないのが、お前のした約束だろうが、ドニクス」
「ウガーッ! ドニクスバレット! 名前を間違えるナァ!」
効果はてきめんだ。彼はどんどん、冷静さを失っていく。
そこへ。
「……お父さんを解放しろ。代わりにわたしを連れていけ」
イリスが爆弾を、投げ込んだ。
「イリス!?」「やめろ、イリス……!」
エミリアはにじり寄ろうとして……彼女がちらりと、自分を見たことに気づいた。
(今の……あれ? もしか、して)
「信用できるか! またそこの約束破りが斬るんだろう!?」
ドニクスバレットが、エミリアが持ったままの剣を指さしている。
「エミリア様、手を出さないでください。何かされるようなら、その前にわたしは命を絶ちます」
「イリス……!」「やめろ、やめてくれ! おまえが死んだら、おらは……!」
イリスが啖呵を切り……また少しだけ、エミリアを見た。
(やっぱり。そうに違いない……!)
彼女の瞳の光に確信を覚え、エミリアは機会の到来を待つ。
「さぁ、約束しろドニクス! エミリア様には手を出させない! お父さんを解放し、このわたしを王都に連れていき! ジークに差し出せ! 使命を果たすんだろう!?」
「クアアアアア! 名前間違えの不敬ザルがァ! 復唱! 『エミリア様に手を出させないならば、フラン男爵を解放し、代わりにサ……イリスを王都に連れていく』!」
目の焦点も定まっていないドニクスバレットが、イリスの提案を。
飲んだ。
「エミリア様には手を出させない! お父さんを解放したら、わたしは王都についていく! さぁ、お父さんを……フラン男爵をこちらによこせッ!」
「お前たち!」
従者たちは主人の意を組んで、躊躇いながら剣をズライトから離し、彼の拘束を解いた。ズライトがイリスに駆け寄り。
ドニクスバレットが胸に手を当て、甲を向けた。
「よぉしよしヨシ! 奴を縛れ、〝約定の拘束〟ッ!!」
勝ち誇った、彼の声が響き渡る。
音は、風に吹かれて。
流れきって。
「おい、どうした」
鎖は彼の手の甲から、僅かに垂れ下がるばかりで。
何も、縛らなかった。
「どうした私のスキルよぉー! 出ろ、出てくれ〝約定の拘束〟! 私が何をしたっていうんだ!」
エミリアは進み出て、戸惑うズライトを背中に庇う。イリスもまた、一歩前に出た。
「やったじゃないか」「ええ、思いっきりやったわね」
「「約束破り」」
「………………………は?」
二人が合わせて告げた声に、ドニクスバレットが間の抜けた音を返してきた。エミリアとイリスは視線を交わし、頷く。
「一つ目。そもそも、先の約束を破ってわたしに手を出そうとした。そのスキルは拘束……〝手を出す〟の範疇だろう」
「未遂だッ! それしきで、私の約束が……!」
ドニクスバレットはイリスの発言に嚙みついたが、まだ序の口である。エミリアが続きを受けて、口を開いた。
「二つ目。あなた、ジーク殿下の使命に反したわね? 男爵を解放したら、彼との約束はどうなるの?」
「そんなものなんとでもぉ! 私は必ず約束を果たす! 殿下、殿下! 必ずや男爵を――――」
「連れて行こうとしたら、わたしの約束と反する。だからチェーンは、結ばれない」
「キィィィィィーッ!」
二人で畳かけると、ドニクスバレットは錯乱する。従者たちが、おろおろと主人に歩み寄ろうとしていた。
「最後の三つ目。あなたこう言ったわ? 『ジーク殿下のお言葉はすべてに優先する』」
エミリアは涙をにじませるドニクスバレットを、じっと見つめる。
「あなたはイリスと約束を結んで、男爵を解放した。男爵を連れて行かないことを、自ら選択した! どれほど詭弁を重ねようとも、自分のやったことは覆せないわよ!」
彼の表情が。
固まった。
「やくそく、やくそく、わたしは、約束をまもって」
かちり、かちりと音が響く。
それは、鎖の音。彼の手の甲から、僅かに出る、鎖の残骸。
かちゃかちゃと動かしながら、ドニクスバレットは鎖を引き出そうとしている。
「父上も母上もジーク様も約束を守ってくれたのに私はわたしはワタシはなぜだ約束を破るなドニクスゥーッ! 顔向けッ、顔向けできない! こんなのは私ではないッ! 私は約束を――――」
彼が瞳から流す雫が、手の甲に垂れた。
鎖が静かに、砂になって。
「守れて、いたら。あんなことには、ならなかったのに……父上、はは、うえ……」
ドニクスバレットの手の甲から。
光が、消えた。
「オワァァァァァ――――…………」
砂が崩れるような音を、その外れた顎から漏らし……ドニクスバレットが膝をついた。彼の肩からは、もやもやした光のようなものが出て、虚空に消えていく。
「「ドニクスバレット様!?」」
エミリアはここぞ、と聖剣を振る。すると遠く従者たちの持つ剣が、真ん中から「斬れた」。
「これで勘弁してあげる。あなたたち、卿を連れて帰りなさい。王都まで、無事に」
「ちょ、エミリア様! こんなやつら、わたしたちで!」
「ダメよ」
抗弁するイリスを押しとどめ、エミリアはちらりと後ろを振り返った。意外そうな顔をして呆然としていたズライトが……静かに、頷く。
「あなたたちが、きちんと主人を連れ帰るなら……私たちは、手を出さない」
ふにゃふにゃになって倒れ伏すドニクスバレットを、従者たちは助け起こそうとしている。慌てふためきながら顔を上げ、エミリアを見る彼らに。
「約束よ。復唱は、必要かしら?」
彼女はそう言って、微笑みを向けた。




