01-02.恋を塗潰す〝もやもや〟。
またある日の学園、食堂。エミリアは野菜と豆や魚の乗ったプレートを受け取り、席を探した。
「最近、お一人が多い」「殿下が魔物退治に行かれるからでは?」「だが男爵令嬢にご執心だと……」
ざわめきに混じり、どこかからそんな言葉が耳に入る。視線を向けぬようにしながら、エミリアは歩き続けた。
(大丈夫。ゲームと違って婚約もしたし、私はイリスをイジメてもいない。嫉妬など、できる相手ではないし……あれ以来、殿下が不用意にイリスに近づかないよう、気を付けてる。なのに……)
ざわり、と胸の奥から〝もやもや〟が沸き上がり、エミリアは小さくため息を吐く。
(あんな噂。いったい、どこから……)
目当ての人物を見つけ、エミリアは顔を取り繕った。
「ここ、いいかしら。イリス」
「はい! おいでになると思いまして」
男爵令嬢を見かけ、彼女が椅子から多量の本をどけるのを待ち、席に着く。〝万才の乙女〟とまで呼ばれるようになったイリスは、しかし友人には恵まれないのか、一人でいることが多かった。
「精が出るわね。殿下と遊んでいると、そんな噂を聞くけど?」
自分でも意地悪だと思いながら、エミリアが茶化して聞く。目を丸くしたイリスが、冗談だとわかってくれたようで……にこやかな笑みを浮かべた。
「とんでもありません! わたし、遊んだりなんてしませんから」
「そう、さすがの努力家ね。殿下は優秀だから遊んだり、魔物退治にも行けるけれど……我々が合わせたら、成績が落ちてしまいますもの」
イリスの才はあくまで、本人が努力しないと何かをできるようにならない。ふわっとした見目に反して、苛烈な上昇志向を持つ貧乏男爵家の娘には、実に合っている祝福だった。
(〝無才〟の私や、最初から優秀な殿下とも違う。憧れる。不思議とこの子を見ても、もやもやしないのよね)
彼女を盗み見ながら食事を始めようとしたとき、ふと目が合った。
「どうかしたの?」
「いえ、その。遊びはしないのですけど。殿下が勉強を教えてと、よくいらっしゃるので」
気になる一言を聞き、エミリアはフォークでさした生野菜を、そのまま口に放り込む。
(この間の試験、満点だったという殿下が……? どういう、こと?)
もやりとしたものを、抱きながら。エミリアはイリスから、詳しく話を聞いておくことを決意した。
☆ ☆ ☆
(やっぱり…………思い過ごし、よね。素晴らしい発表だった)
その日。ジークは王立の大学で、〝花と精霊の相関について〟という論文の発表を行った。祝福の仕組みに迫るものとして、大いに注目を集め、聴講したエミリアも誇らしい想いだった。
同時に。
(やはり、才能のない私なんかとは、違う。イリスほどなら、もう比べる気も起きないけれど。少し殿下が、羨ましい……)
未来の夫と、なるだろう相手。転生者イリスとしては、仄かに「対等であってほしい」という幻想も抱く。だがジークは、王になるかもしれない者。おこがましい想いだと、エミリアは首を弱く振った。微妙に〝もやもや〟が晴れず、エミリアは大学の廊下を彷徨う。
無意識に握り締めた胸元のブローチが、少し暖かく感じた。
そっと見て、ブローチの角度を確かめる。ジークからの初めての贈り物だったそれは、〝竜鳥の涙〟と呼ばれる宝石のついたブローチ。見ていると、当時のドキドキを思い出して、時が経つのを忘れる――――そんな宝物だった。
(これを贈られたときのことは……今でも、忘れられない)
妃教育を受けていた令嬢たち誰もが、有用な才を授かっている横で、なんの祝福も受けられなかったエミリア。貴族ではないとか、不義の子だとまで噂され、暗くふさぎ込んでいたとき。
『泣かないで。これをあげるから、元気出してよ』
そんな言葉と共に、もらったブローチだった。
(効いたなぁ、あれは。お父さまやお母さまが、間が悪くて王都に来れなくて……使用人のみんなも励ましてくれたけれど、心細くて。そんな時に殿下は、こんな私に優しく、してくれて。涙が、止まらなかった)
その瞬間、エミリアは彼を好きになってしまった。
それは衝撃的な、恋だった――――前世の記憶を、思い出すくらいに。
乙女ゲームの悪役令嬢に、転生したと自覚した彼女は。
シナリオを捻じ曲げて、王子の妻となることを。
決意した。
もちろん、周りからは笑われた。才のない令嬢が、王子の妻になんてなれっこない、と。エミリアは耳を塞ぎ、ひたすら突き進んだ。
そうして勝ち取った、婚約だったのだ。
なのに。
(大丈夫。殿下は私を、愛して――――)
このところ、人がいるところでは常に噂を耳にした。それはおおよそエミリアとジーク、そしてイリスのことだった。イリスに探りを入れているエミリアとしては、そんなことにはならないとわかっている。わかっているつもりだったが……噂を聞けば不安が膨らみ、〝もやもや〟が大きくなる。自然と彼女には、人のいないところを目指してふらふらと歩いていく、癖がついていた。
(ここは……………………あれは?)
見覚えのまったくない場所に出て、ふと顔を上げる。
廊下遠くに、重なり合う人影があった。
(まさ、か)
足が止まった。
声が、出なかった。
息をすることも、できない。
鼓動が止まったような、気がした。
影が分かれ、うちの一つが奥へ去る。
もう一つが……。
「エミリア様!」
エミリアに、近づいてきた。
眩い輝きを纏う。
ヒロインが。
「あ、あなたも殿下の発表を聞きに!? そうよね、素晴らしい論文で……」
「違います、殿下に呼ばれて」
(え。どういうこと? なんで大学にわざわざ?)
エミリアの視界が、揺らぐ。ぐらぐらとし、定まらない。だがなぜか、下だけは見ないようにと、視線が上がった。そこに、イリスの胸元に。
見てはいけない何かが、あるような気がして。
「それよりこれ、見てください! 殿下に頂いたんです!」
イリスが近寄ってきて、少し背伸びをする。エミリアより少しだけ背の高い彼女の胸元が、どうしても目に入って。
彼女の瞳のような。
桃色の差した。
宝石が。
「〝竜鳥の涙〟! エミリア様と、おそろいです!」
無邪気な光が、眩しくて。
あまりにも、輝かしくて。
エミリアは、がっくりと。
膝をついた。
★ ★ ★
胸の〝もやもや〟は、もう限界だった。
それからしばらく、エミリアは駆けずり回った。
ジークとエミリアの不仲、婚約破棄まで噂に囁かれる中。
どうしても彼を、信じたくて。彼の意思を、確かめたくて。
最後にエミリアは、決意した。
〝賭け〟に打って出ることにしたのだ。
ジークが自分を、信じてくれるかもしれない、と。
致命的な破綻をもたらす、覚悟をして。
★ ★ ★