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03-02.男爵親子。

 面食らった――――そんな表現を、エミリアは肌で感じていた。まさに、顔面でボールでも受けたかのように、痛みのような衝撃で顔が強張る。昨夜ぐっすり眠ったというのに、一気に疲労も襲い掛かってきそうだ。


「男爵閣下、でらっしゃる……」


 大きな腹巻?のようなものを履いた上から、上着を羽織った中年の男性……フラン男爵邸に着いたエミリアたちを出迎えたのは、そんな人物だった。


「敬称なんて結構でさぁ、あっしはズライトってもんでして」

「お父さん、ちゃんとして。特に恰好」


 おおらかなダミ声に、イリスの針のように冷たく鋭い声がかぶさって突き刺さる。


「精霊様の宿った一張羅だぞ!? これ一着で砦が建つ額の、伝説のステテコで――――」

「わかったけどそうじゃないから。せめて誰かに変わって」

「おめぇ急に帰ってくるからよ。みんな狩りしに公爵領さいっちまって、今おらしかいねぇ。ささ、どうぞどうぞ。狭いところですが」


 勧められ、エミリアは見上げる。中がごみ屋敷だったりしない限り……狭いということはないように見えた。三階建ての御屋敷。正直、エミリアの実家より豪奢である。飾り気はなさそうだが、大きくてとにかく広かった。


「…………わたしから離れないで。迷いますから」


 ぴったりと寄り添ったイリスが言うもので――――エミリアは頬を引きつらせた。



 ☆ ☆ ☆



 我慢や苦悩を重ねていたのだろう……そんなイリスの甘えた姿を見た夜から、明けて。二人はまず、フラン男爵領を訪れていた。昨日の様子からして、ジーク王子がもし報復などに打って出るとしたら、相手はイリスの家族だと踏んだためだ。

 イリスは「うちは大丈夫だから」と言って聞かなかったものの、エミリアは『公爵家にはまだ伝令が届いていないはずで、いきなり訪れるのは難しい。その間に、男爵家の様子を見ておきたい』という理屈で、イリスを説き伏せた。

 そうして二人は、フラン男爵家の屋敷を訪れたわけだが。


(広すぎる……人がいない。なのに、汚れが全然ないわ。使われている形跡は、ちゃんとあるのに)


 屋敷を案内されて歩くだけで、疑問が尽きなかった。


「さっきのお話だと、すぐ出るってこっちゃないんなら、そら。この部屋、お使いくだせぇ」

(だから広いって……国王陛下のお部屋かなにか?)


 ズライト男爵に引き入れられ、エミリアは広すぎる客室に気後れする。高めの天井、20mはあるだろう奥行き、左右には別室に繋がるドアも見えた。今いる部屋はテーブルやソファー、棚や調度が置かれており、リビングルームを思わせる。奥の部屋左右どちらかは寝室だろうか。


「右手は食堂、左手は寝室、奥に浴室でさぁ」

「はい?」

「あとはこうすりゃあ」


 ズライトがどすどす、と床を踏みしめると……ずもももも、と影がせり上がった。人のような猫のような顔の、侍女?に見える何かが、静かに佇んでいる。


「屋敷精霊が出るんで。炊事洗濯、掃除から耳かきまで。なんでもお申し付けくだせぇ」

(やしきせいれい…………? なんか、ゆるかわいい……)


 猫侍女?が丁寧に頭を下げている。意味がわからなかった。

 エミリアが知る限り、物に宿る精霊は、聖剣などごく一部のはずである。だから精霊車を見たときも、随分驚いた。これは彼女の知るゲームの知識でもそうなっていて、屋敷に精霊が宿るなど聞いたこともない。


「ここはかつて、もっと国境が後ろだったときの、前線基地兼冒険者ギルド支部だったんです」


 イリスが近づいて、耳打ちしてきた。内緒話という必要もないはずだが、なぜか声を抑えている。


「ずいぶん昔のことで、当時はまだ伝説の〝魔法使い〟たちも残ってて……不思議なものがいっぱいあるんです、この屋敷。あの精霊も、その一種で。メイドさんみたいにお世話してくれます」

「よく国に接収されないわね、ここ……」


 前時代の産物は、おおよそ国などがせしめているはずであった。聖剣も、そうした遺物の一つである。エミリアがやや感心したような顔でイリスを見ていると、どうしてか彼女は少し真剣そうに、目を細めた。


「離れちゃダメって、言ったでしょう? 家人だと認識されないと、精霊に排除されるんです。運が悪いと、異界に連れ去られるんだとか」

(セキュリティ完備ぃ!? 異界って何よコワ……イリスから離れないようにしとこ)


 恐ろしい話をしたイリスが、身を離す。思わずエミリアは、彼女の袖を指先でつまんだ。決まった人間しか使えないのなら、確かに接収しても意味がない。だが自分のような客人はどうなるのか――――エミリアは『異界』という単語から、精霊に囚われた先を想像し、身を震わせた。不安で、とても落ち着かない。


「じゃ、あっしはちょっと作業があるんで」

(いっちゃうの!?)


 そんな心境のところにズライトが引き揚げようというものだから、エミリアはびくりと体を震わせ、直立不動で顔を強張らせた。ステテコ一丁の男だろうとも、いなくなるとなれば心細い。


「あ、お父さん。相談に乗ってほしいんだけど」


 エミリアが固まっている隙に、イリスがカバンを置き、布に包んだ長物を近くのテーブルの上に載せた。彼女が布を解くと、中から白銀に輝く刀身が現れる。

 ジークが残していった、聖剣だった。


「この剣、鞘が作れないかな? 切れ味すごいから、抜き身だと危なくって」


 剣は布でも鉄でもすらりと切れてしまうので、持って歩くだけでも危険だ。車の後部座席に放り込んでいたら、床を切り裂いていたので、置いておくだけでも危ない。鞘はおそらくジークが回収しているはずだが、代わりのものがほしいところであった。


「おお、精霊の宿った剣だな? だがこりゃ気難しそうだ。おめぇならどうする?」


 ズライトが剣を睨んでから、イリスに水を向けている。経験や勘によるものなのか、彼には聖剣の見えない何かがわかるようだ。


「縄で簀巻きにしたら、意外に大丈夫なんじゃ?」

「牢のような鞘を作ってみる、って手もある」


 二人のやりとりに、エミリアは思わず噴き出しそうになった。聖剣の扱いにしては、あんまりな話である。だが彼らの顔は、見るからに真剣であった。


「とにかくこいつがどうしたら〝今は斬らない〟って考えるか、それを探らにゃいけねぇ」

「そうだねぇ。なら例えば――――」


 エミリアを放っておいて、二人の議論が進む。手持ち無沙汰になって、彼女はひとまず持っていたカバンを置いた。イリスの傍に寄るも、二人が剣を手に話しているため、危なくてあまり近づけない。


(…………仲、いいわね)


 親子の様子を、ぼんやりと見つめる。恰好や口調は奇抜だが、ズライトは娘に対して驕ったところがない。親というより対等な人間として接しているかのようで、イリスの方も彼を頼りにしている節が窺える。二人とも口調に遠慮がなく、時に笑い、時に楽しそうに、言葉を重ねていた。

 その様子は。前世でも今世でも……自分の親子関係には、ないもので。

 エミリアは一人、ため息を胸の中に落とす。


(それに……また私、役に立てない)


 二人の話にさっぱり入れないのが……不満だった。

 勉強はしっかり、してきているつもりだ。前世の記憶を思い出してからは、特にたくさん。だが精霊や祝福、遺物や魔法といったものはわからないことも多く、ゲームの知識も役に立たない。

 「イリスのために」そう思った昨夜の気持ちを、思い出し。

 エミリアはそっと、胸元を押さえた。

 その下のブローチを握り。

 もっと奥の……〝もやもや〟を掴むように。


(イリスの役に立ちたいわ。でもここで過ごす間は、どう考えても客分。どうしたら……)


 家事なども多少できるし、ここは他に使用人などもいなさそうだ。だが屋敷精霊とやらがいて、しかもイリスに世話を焼かれるなら、エミリアがすべきことはきっとほとんどない。そんな幾日かの暮らしを思い、エミリアは。

 ため息を吐いて、顔を上げた。

 その時。


「おっ」

「あっ」

「あっ!?」


 何かの拍子に柄がテーブルに当たったようで、剣がイリスの手から落ちようとしている。回る切っ先が。

 イリスの太ももを、向いていた。


(危ない、イリス――――!)


 エミリアは無意識に、手を伸ばす。鉄でも切り裂いてしまう刃に……無防備な、右手を。しかも剣を受け止めようと、下から。揺れる切っ先が、重力に従いながら、エミリアの指先に迫り――――。




 するり、と剣がエミリアに、飲み込まれた。




「「「……………………え?」」」


 三人同時に呟き。

 しばらく皆、身動きがとれなかった。


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婚約は破棄します、だって妬ましいから(クリックでページに跳びます) 
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