02-07.車上の攻防。
目の前には、白銀の剣の腹。その向こうには、眉根をひそめたイリス。彼女の後ろの窓には、馬が映っていたが……徐々に減速し、車から離れて行った。キキッと耳障りな……鉄が軋む音が聞こえ、エミリアは顔を上げる。嫌に生暖かい風が、隙間からしみ込んできていた。
(確かに鍛え込んでらして、軽業が得意な方だった……けど、なんてこと! 走る馬から、車に飛び移ったの!? それにアレ、前に見せてもらったことがある……あの剣、王家の秘宝の一つじゃないの?)
ジークは幼い頃から、木や建物に登るのがやたらと得意であった。その特技を活かし、よく勉強中のエミリアの元へ忍び込んできていた。彼に連れ出された折、王宮の宝物庫を見せられたことがあるが……今、天井から伸びている白銀の剣は、そこで見た一振りだったはず、である。
世にも珍しい、自然に精霊が宿ったという……聖剣。ご覧の通り、鉄だってやすやすと切り裂く。精霊の格の問題なのか、頑丈なはずの精霊車にも勝るようだ。
「精霊の宿った駿馬に、同じく精霊の祝福を受けた聖剣……身のこなしも大したものだ。お姫様を助けに来た、勇者か何かのつもりですか? ジーク王子」
イリスが煽るように、天井にできた裂け目に向かって声を上げている。するとガキッと音がして、剣が横に回った。エミリアとイリスに向かって、その両刃が向いている。
「イリィィィィィス…………」
剣の根元から、ねっとりとした声が降ってくる。エミリアは剣の根元、空いた穴の先に瞳が見え――――息を呑み、震えあがった。
「傲慢にも、エミリアを誑かした女よ。今一つの慈悲をやろう」
(は? イリスが私を誑かした? どういう……この人、イリスを取り返しに来たんじゃないの? 私に仕返しを、しに来たんじゃ……)
王子の考えがわからず、エミリアは生唾を飲み込む。だが運転席のイリスは。
「そりゃお優しいこって。何をしろって言うんです?」
席の前へと手を伸ばしながら、にやりと笑みを浮かべている。
そこへ。
「頭を垂れて、自らその刃に身を捧げよ」
冷たい、驕った声が降り注いだ。
(イリスを殺す気!? そんな、どうして――――)
「 い や だ ね ! やれ、アイテール!」
「きゃ!?」
エミリアはがくん、と座席に深く倒れ込んだ。急に、車が蛇行を始めたのだ。右に、左に、深く勢いよく。
「くく、小細工か! バランスを崩すとでも、思っているのかよ!」
だがジークはものともしていないようだ。剣はほとんどぶれておらず、天井の穴の向こうには、器用に重心を移動している王子の姿が垣間見える。
「―――――おい、なにをしている」
王子の声の調子が変わり、エミリアは訝しんで、腕を突っ張ってなんとか身を起こした。下がる視線が、天井、微動だにしない剣を順に捉え――――。
「イリ、ス?」
剣を両手のひらで挟んでいる、イリスの姿を、見た。エミリアの呟きの後、少しの静寂が訪れる。車はまだ激しく揺れ、よく見れば剣は小刻みに震えていた。ジークが動かそうとし、イリスがそれを押し留めているようだ。
「何をしていると聞いているのだァ! イリス・クロッカス!」
「そりゃあ――――こうさ!」
イリスの両手が、ぐっと降りる。剣が柄まで、車内に入りかけた。王子が慌てて引き戻そうとしたのか、刃は持ちあがり――――。
イリスが。
手を離した。
「ガッ!?」
肉を打ったような音と、悲鳴。一度持ち上がった剣が、車内に再び落ちて転がる。
「エミリア様、捕まって!」
急に言われ、エミリアは自らに巻き付いているシートベルトを咄嗟に掴んで、ぎゅっと目を瞑った。耳障りな音が響き、体ががくっと前に振られる。つんのめるような圧がかかり――――車が、止まった。
車内は静かなものだったが……代わりに、重い何かが地面にぶつかるような、音がする。
エミリアは圧力が和らぐのを感じ、思い出したかのように息をし、肩を上下させた。ベルトに絡めていた腕を解き、目を見開く。イリスが剣の柄を持ち、こともなげに後部座席に放り込んでいた。見れば天井に開いていた穴が、徐々に塞がっていく。視線を、前に向ければ。
「ハッ!? 殿下!」
うつぶせに倒れている、ジーク王子が見えた。
「まさか、死――――」
「んでると、まずいですかねぇ。トドメ、差しておきます?」
とんでもないことを言われ、エミリアはイリスに向かって何度も首を振って見せる。
「じゃなくて! 手当しないと!」
「ちょ、エミリア様出ちゃダメですって!?」
エミリアは叫び、ドアに手を掛けて開いた。しかし出ようとして、体に巻き付いたベルトに引き戻される。もどかしそうに、これを一刻も早く外そうとして――――。
「やはり――――君は美しい」
そんな声を聴き、固まった。
おそるおそる、目を向けると。
王子がゆらりと、立ち上がるところだった。
高速で動く車から振り落とされたとは、とても思えぬくらいに……なんの傷も、なかった。
エミリアの体が背中から引っ張られ、無理やり車内に戻される。扉が勝手にしまり、車がぐんっと加速して走り出した。車体が当たる寸前、ジークが横にさっと跳び――――。
一瞬。
窓越しに。
彼と目が、合う。
「また会おう」。
ジークの瞳が、そう言っている気がして……ならなかった。




